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殉教 天国の希望と喜び
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2007/11/27のBlog
秀吉は、この24人に対して、キリシタンたちがたくさんいる長崎で処刑することを
命じます。
彼らの処刑を通して、長崎にいるキリシタンたちをはじめ、人々への見せしめとして、
キリシタンたちの信仰を失わせようとしたのです。
まずその手始めに、京都で24人の鼻と両耳をそぎ、惨めになった彼らの姿を
大阪、堺、京都などの主な町々で引き回せと命令しました。
しかし、キリシタン大名と親交のあった当時の京都奉行の石田光成が、
秀吉に彼らの減刑を申し出、左の耳たぶを切るだけで許されました。
2007/11/24のBlog
[ 09:11 ] [ 殉教 26聖人 浦上キリシタン ]
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」
 (マタイの福音書22章14節)

 二十六聖人が、最初に捕らえられたのは、京都と大阪の教会でした。
 最初、彼らは24人でしたが、長崎に向かう道中で身の回りの世話をするために付き人としてついてきたペテロ助四郎とフランシスコ吉が殉教者の中に加わり、26人となります。
 最初に捕まった24人は、6人のフランシスコ会士であった外国人神父と3人の日本人イエズス会士、それに15人の日本人信徒(キリシタン)でした。かれらは伝道士や伝道士見習いはもとより、元僧侶、武士や商人など、いろんな立場と職業の人たちでした。
 その中には3人の子どもも含まれていました。
 ただ、この最初の殉教者の中には、女性は含まれていませんでした。
 もちろん、この後、多くの女性たちが、殉教していくことになりますが‥‥。
2007/11/23のBlog
[ 12:05 ] [ 殉教 26聖人 浦上キリシタン ]
そしてそれは、殉教者の中に加えられたことを意味しました。もちろん、マチヤスもそのことを知っていました。知っていて、彼は殉教者の中に自らを委ね、殉教者となることを選んだのです。
 そしてその彼を、神も選ばれたのです。
 彼は誰かの強制や押し付けではなく、自らの意志を持って、殉教という道を選び、神も彼を殉教者として選ばれたのです。神によって、彼は殉教者の一人として選ばれ、受け入れられたのです。
 確かに、神さまは、神さまを選ぶ者を、選んでくださるのです。
 今もって、彼の生地も年齢も受洗日も、分かってはいません。
 しかし彼の名は、天にしっかりと刻まれていることでしょう。この後、殉教していった多くの名も知られていないクリスチャンたちとともに、天に間違いなく、彼の名は書き記されているのです。
2007/11/22のBlog
それでも「マチヤス」「マチヤス」としつこく連呼する役人に、
一人の青年が捕縛吏の前に進み出て、答えました。
「私の名もマチヤスです。」と。
彼の洗礼名も同じマチヤスだったのです。
全く別人の、しかし洗礼名が同じマチヤスが役人の前に出て来たのです。
頭数をそろえなければいけない役人は、この別人のマチヤスを見て、
料理人のマチヤスを捜そうともせず、お前でいいと、喜んでこの男を捕まえたのです。
どうやら役人というのは、昔も今もあまり変わらないようです。
こうして彼は、捕縛吏の役人たちに、受け入れられました。
[ 00:33 ] [ 殉教 26聖人 浦上キリシタン ]
捕縛吏の一隊が、秀吉の命令で京都の教会に足を踏み入れた時、捕縛吏たちの手には捕縛者名簿が握られていました。
 彼らはその名簿に従って、一人一人名前を読み上げながら、返答する信徒を確認し、人定めをしていました。
 「マチヤス」「マチヤス」
 捕縛吏が何度もマチヤスの名を呼びました。しかしマチヤスは答えません。
 このマチヤスは料理人でした。ですからマチヤスはこの時、買い物に行っていたのだという人もいますが、本当のところ分かりません。そうかもしれませんし、いたけれども恐ろしくて答えられなかったのかもしれません。
 料理人のマチヤスの答えは、無かったのです。