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2007/12/02のBlog
[ 22:04 ] [ 寮 美千子 ]
[ ノスタルギガンテス 寮 美千子 ]

意識して読む本を選んでいるわけではないのに
なぜか ”ことば” に 憑かれてしまったように
”ことば” について考えさせられる本ばかりを読んでいる

〈文学の境界線〉
生成する廃墟 世界の裂け目 記憶の王国
あらゆる名付け得ぬ 廃墟の 唯一の だからこそ無数の名 ノスタルギガンテス

言葉にして表すことで
名前をつけることで
イメージが乖離してしまう

怖れる櫂(カイ)の姿は
言葉を発することに臆してしまう自分に重なる


読んできた物語を私の言葉で記す
読んだ時の気持ち、感じたこと、忘れないように
そういうつもりで書いてきたけれど
作者のイメージを、私はきちんと受け取っているだろうか
私が感じたことを、私の言葉は正確に表現しているだろうか
これを読んでくれた人は、読んだことによって
作品にこめた作者の想いと違ったイメージを持ってしまわないだろうか


時々、むしょうに不安になり、震えがとまらなくなる


不安と迷いを
そして
その先にあるものを、暗示してくれた作品



『ノスタルギガンテス』は
それぞれのうちに眠る「ノスタルジー」を呼び覚ます


[ 21:08 ] [ ヘッセ ]
ヘルマン・ヘッセ

独学で古今の書物をよく読み、自身でもすばらしい文学作品を世に送り出し
作家、詩人としてばかりではなく、絵を描き、庭仕事を愉しんだ人

挫折を繰り返し、たびたび鬱状態に陥りながらも
精一杯、生を生き抜いた人

[ ヘッセの読書術 ヘルマン・ヘッセ ]

先日の記事で、ヘッセも濫読がいけないと言っていると書いたが
それは、読書に関するエッセイを集めたこの本に書かれていた


ヘッセは読書の方法を、3つのタイプに分類して説明している

1. 無批判に読むタイプ

2. 客観的に観察するタイプ

3. 自分で解釈するタイプ

読書について (p64)

詳しい説明をすると、あまりに長い引用になるので省くが
この3つのタイプを行き来することで
より深い読書ができると言うことなのだと解釈した


さて、真の読書家 とは、どのような読み方をする どのような人を指すか

ヘッセは、このように言っている
私たちが徹底的に知っているものだけを
私たちは本当に自分のものにしたといえるのである。
三人か四人の一流の作家の作品を完全に、そしてくりかえし読んだ者は
次から次へと好奇心に駆られてあらゆる時代と国々の文学作品の抜粋と断片を
多量に飲み込んだ読者よりも豊かなのであり
はるかに多くのことを学んだのである。
少数の本を徹底的に知っているので
その本を手に取るだけで
それらを読んですごした無数の時間を思い起こすことができることは
千冊もの本の題名と詩人の名の漠然とした記憶でいっぱいになった頭よりも
ずっと高尚で自分の心を満足させてくれるものである。

書物とのつきあい p25

つまり、カフカを徹底的に読み、愛する、鏡さんのような方が
真の読書家である、と ヘッセは言っているのです。

偏狭な読書傾向、大いに結構なことではありませんか?


私は、ようやく、自分が書物から何を学びたいのか
おぼろげに見えてきたところです。

鏡さんのように、早くから自分が求める作家や作品をみつけられた方が
とてもうらやましく思います。


鏡 響子さんの 読書家になれない理由に TB

ツナミンさんの ハリネズミと狐に TB
(12月5日)
2007/12/01のBlog
[ 13:18 ] [ 長田 弘 ]
記憶は、過去のものでない。
それは、すでに過ぎ去ったもののことでなく
むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。
とどまるのが記憶であり
じぶんのうちに確かにとどまって
じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ。

[ 記憶のつくり方 長田 弘 ]

12月になると
面倒くさがりの私でも、さすがに片付けなければならない
という気持ちになってくる

これは、いるもの
これは、いらないもの
そうやって、選別するのが苦手だ

記憶もまた、そういうものだと思っていたが
そうでもないらしい

記憶という土の中に種子を播いて
季節のなかで手をかけてそだてることができなければ
ことばはなかなか実らない。
じぶんの記憶をよく耕すこと。
その記憶の庭にそだってゆくものが
人生とよばれるものなのだと思う。