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L'espace du livre*
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2008/04/14のBlog
[ 11:23 ] [ ■光文社古典新訳文庫 ]
[ 狂気の愛 アンドレ・ブルトン 訳/海老坂 武 ]


昨年 warmgunさん から教えていただいて
期待し、待ちわびていた1冊


読解力が足りなすぎたのか
一気にのめりこむ、という風には読めなかった

でも、むしろ、当然かもしれない
だって、アンドレ・ブルトン
シュルレアリスムの父と呼ばれた人物

そもそも、愛の何たるかを理解していない私
痙攣的な美は、ドコ?
なんて言ってるうちは、まだまだダメなのだろう(笑)


なかば開き直りつつ頁をめくる
意地になって読んでいくと
なおさら わけわかんなくて イヤになってくる(苦笑)

そういう時は、ブルトンに「ごめんなさい」を しながら
読みかけ本と戯れたり
お気に入りの漫画本に魂をさらわれたり(笑)
行きつ戻りつしながら 読んでいると
いつのまにか、最後の頁だった



気づいたら
本を読んでいる私
という存在が希薄になっていた



シュルレアリスムでは
自分という存在を徹底的に透明化することが求められる、と言う


力のある作品は読み手を いざなう
いろんな意味で
さまざまな場所へ
読み手が気づかぬうちに さらっていく


長いながい道のりの果て
うっすらと見えてくるのは
ぼんやりとした光の如きもの

生は緩慢であり、人間は生を賭けるすべをほとんど知らない。
人間が生を賭けるのを助け
生にそっくりその意味を与えることのできる存在に到達する可能性は
星図のなかに見失われている。
もういちど言うが、今晩わたしの連れとなっているのは誰か
わたしの先を行くのは誰か?
明日という日は、これらの魅力的な巻毛
巻毛に似ているこれらの踝などを考えることなく
しかたなしに受け入れたさまざまな事がらから作られたままだ。
退くなら今だろう。

~p103~


目を見開いて読もうとして失敗
それなら、と、目を閉じて読む勇気もなく
怖い映画を観るように
指の隙間から覗き見しながら
ようやく 『狂気の愛』 の表面を覆う 薄い膜の上を
息を詰め、おそるおそる 爪先で忍び足してきたような
そんな 異様な疲労感がここちよい


2008/04/13のBlog
[ 16:05 ] [ 余白から ]
「やさしいね」 って、言われた

(え?) って、おもった


だって なんにもやさしくなんてしてないのに
かえって、つめたいって言われるかな、っておもってたくらい


『 やさしい 』 という言葉の使い方が、変わってきたのかもしれない
『 やさしさ 』 という言葉の意味が、 変わってきたのかもしれない


[ やさしさの精神病理 大平 健 ] (岩波新書) を読む


読み手、ひとりひとりにいろいろな考えを呼び起こさせる本
わたしの場合は、読み終えて、こんなことを考えた


人は、どんなときに やさしい と感じるだろう
人は、どんなふうに やさしくしよう と考えるだろう


やさしくする には、相手をよく観察しなければならない
やさしくする には、相手の気持ちが想像できなければならない

相手がどんな性格で何を求めているか
それをしっかり把握していなければ
『やさしさ』 は 『勘違い』 に なってしまう


この本には、いろいろな 『 やさしさ 』が紹介されている
これって、やさしいの? と疑問に思うが、読み進めてみる


席を譲らない「やさしさ」
好きでもないのに結婚する「やさしさ」
返事をしない「やさしさ」 など・・・

そんな現代の「やさしさ」のひとつが
相談しない 「やさしさ」

がっかりさせたくない、という
相手を思っての気持ちが
相談しない、返事をしない、という行為になる

相手は
信用されていない、自分に関心がない
そう受けとってしまうだろう


伝わらない 「やさしさ」



現代の 『やさしさ』 は 『無関心のやさしさ』 と言われる

そっと見守るやさしさ というのは、今も昔も変わらなく存在するのに
それが 無関心 に見えてしまうのは なぜだろう?


見つめる視線
不安に、させたくない

感じる見守る視線
心配、かけたくない


だから、よそおう
お互いに、仮面をつける


それも ひとつの 「やさしさ」の形であって
「愛」が 消滅したわけではない


では、なぜ 伝わらないのか


足りなくなっているのは
「やさしさ」 や 「愛」 ではなく
「信じる気持ち」 ではないだろうか


無関心をよそおいながら
手を差し伸べたくなるのを堪え
『大丈夫』 と相手を信じきる気持ち



それは、とてもむずかしいけど



悩みも苦しみも痛みも
代わってもらうことも、代わってあげることもできないから
そういった方法でしか 伝えられない
そんな 「やさしさ」 というものも確かに在るのだと知ったから
この本に書かれている 「やさしさの欺瞞」とも呼べるようなモノですら
受け容れていかなければならないのだと思う



信じることも
待つことも
ぜんぜん得意じゃないけど

やさしくなりたい
やさしくありたい

そうおもうのだ



※ 4/14 修正
2008/04/09のBlog
[ 13:55 ] [ ■光文社古典新訳文庫 ]
水は透明なもの
透明な水はすべてを透かしてしまう鏡

一点の曇りもないというのは
人間にとって恐怖なのよ。

~p145~

水の精、オンディーヌの言動は曇り(偽り)がないから
時として残酷
それは、少女ならではの純粋さ、潔癖さ
いつのまにか少女ではなくなってしまったわたしの目には
眩しくて、眩しすぎて、痛すぎる

愛しくもあり、哀しくもあり
羨ましくもあり、痛ましくもあり
見つめていると、胸が痛くなる


[ オンディーヌ 作/ジロドゥ 訳/二木麻理 ] (光文社古典新訳文庫)


水の精と人間の男の悲喜劇であるジロドゥの戯曲『オンディーヌ』
読みなれていない戯曲という形式、実はかなり苦手
( 有名な [ 三文オペラ ] ですら、いまだ挫折中・苦笑)
台詞で物語が進行することに、若干戸惑いもあったが
新訳ということで、台詞がとても現代的
途中から違和感なく読み進むことができた

『オンディーヌ』は、フーケーの『ウンディーネ』が基になっていると言う
以前 ラッカムの絵本で [ ウンディーネ ] を読んだ
とても美しい物語だとは思ったけれど
どうしても ラッカムの絵にばかり目がいってしまったこともあり
物語そのものの印象が薄かった

ジロドゥの『オンディーヌ』を読んで
先にも引用したが
水の精 オンディーヌと会話する王妃の言葉がとても深い

ハンスは魂が小さいからオンディーヌにはふさわしくない、という王妃に
「あたしなんて魂がないんです。もっと悪いわ。」とオンディーヌはこたえる
そのあとに続く王妃の言葉だ

でも魂がなくて問題になるのは人間だけなのよ。
人間ではないどんな生き物にとっても、それは問題にならないの。
だって世界の大きな魂は
馬たちの鼻から吐き出されて魚たちのエラから吸いこまれている。
でも、人間はひとりずつ、めいめいの魂をほしがった。
みんなの大きな魂を、ほんとうに愚かに、こまぎれにしてしまった。
人間たちには、みんなの魂というものがないのよ。
魂のこんな小さな分け前が並んでいるだけで
そこからは貧相な花や貧相な野菜がはえてくるだけ。

~p142~

魂について とてもとても深い言葉だと思う
人間は、己自身のみの小さな欲望に囚われてしまうことがある
視野がせまくなり
ずっと未来のことやずっと過去のことを
考えることができなくなってしまうのかもしれない

それぞれの小さな魂を
集めることができる大きな意志 というものは
存在しないのだろうか