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2008/04/26のBlog
[ 15:32 ]
[ sa.ku.ra ]
桜の咲く道を通って
春を胸いっぱいに吸いこんで
うちに帰ろう
2008年4月26日
真駒内公園の桜
~~*~~
風に吹かれて-Blowin' in the Wind-
chibisaruさんの企画 にTBさせていただきました。
春を胸いっぱいに吸いこんで
うちに帰ろう
2008年4月26日
真駒内公園の桜
~~*~~
風に吹かれて-Blowin' in the Wind-
chibisaruさんの企画 にTBさせていただきました。
2008/04/21のBlog
[ 16:00 ]
[ sa.ku.ra ]
2008/04/14のBlog
[ 11:23 ]
[ ■光文社古典新訳文庫 ]
[ 狂気の愛 アンドレ・ブルトン 訳/海老坂 武 ]
昨年 warmgunさん から教えていただいて
期待し、待ちわびていた1冊
読解力が足りなすぎたのか
一気にのめりこむ、という風には読めなかった
でも、むしろ、当然かもしれない
だって、アンドレ・ブルトン
シュルレアリスムの父と呼ばれた人物
そもそも、愛の何たるかを理解していない私
痙攣的な美は、ドコ?
なんて言ってるうちは、まだまだダメなのだろう(笑)
なかば開き直りつつ頁をめくる
意地になって読んでいくと
なおさら わけわかんなくて イヤになってくる(苦笑)
そういう時は、ブルトンに「ごめんなさい」を しながら
読みかけ本と戯れたり
お気に入りの漫画本に魂をさらわれたり(笑)
行きつ戻りつしながら 読んでいると
いつのまにか、最後の頁だった
気づいたら
本を読んでいる私
という存在が希薄になっていた
シュルレアリスムでは
自分という存在を徹底的に透明化することが求められる、と言う
力のある作品は読み手を いざなう
いろんな意味で
さまざまな場所へ
読み手が気づかぬうちに さらっていく
長いながい道のりの果て
うっすらと見えてくるのは
ぼんやりとした光の如きもの
生は緩慢であり、人間は生を賭けるすべをほとんど知らない。
人間が生を賭けるのを助け
生にそっくりその意味を与えることのできる存在に到達する可能性は
星図のなかに見失われている。
もういちど言うが、今晩わたしの連れとなっているのは誰か
わたしの先を行くのは誰か?
明日という日は、これらの魅力的な巻毛
巻毛に似ているこれらの踝などを考えることなく
しかたなしに受け入れたさまざまな事がらから作られたままだ。
退くなら今だろう。
~p103~
目を見開いて読もうとして失敗
それなら、と、目を閉じて読む勇気もなく
怖い映画を観るように
指の隙間から覗き見しながら
ようやく 『狂気の愛』 の表面を覆う 薄い膜の上を
息を詰め、おそるおそる 爪先で忍び足してきたような
そんな 異様な疲労感がここちよい
昨年 warmgunさん から教えていただいて
期待し、待ちわびていた1冊
読解力が足りなすぎたのか
一気にのめりこむ、という風には読めなかった
でも、むしろ、当然かもしれない
だって、アンドレ・ブルトン
シュルレアリスムの父と呼ばれた人物
そもそも、愛の何たるかを理解していない私
痙攣的な美は、ドコ?
なんて言ってるうちは、まだまだダメなのだろう(笑)
なかば開き直りつつ頁をめくる
意地になって読んでいくと
なおさら わけわかんなくて イヤになってくる(苦笑)
そういう時は、ブルトンに「ごめんなさい」を しながら
読みかけ本と戯れたり
お気に入りの漫画本に魂をさらわれたり(笑)
行きつ戻りつしながら 読んでいると
いつのまにか、最後の頁だった
気づいたら
本を読んでいる私
という存在が希薄になっていた
シュルレアリスムでは
自分という存在を徹底的に透明化することが求められる、と言う
力のある作品は読み手を いざなう
いろんな意味で
さまざまな場所へ
読み手が気づかぬうちに さらっていく
長いながい道のりの果て
うっすらと見えてくるのは
ぼんやりとした光の如きもの
生は緩慢であり、人間は生を賭けるすべをほとんど知らない。
人間が生を賭けるのを助け
生にそっくりその意味を与えることのできる存在に到達する可能性は
星図のなかに見失われている。
もういちど言うが、今晩わたしの連れとなっているのは誰か
わたしの先を行くのは誰か?
明日という日は、これらの魅力的な巻毛
巻毛に似ているこれらの踝などを考えることなく
しかたなしに受け入れたさまざまな事がらから作られたままだ。
退くなら今だろう。
~p103~
目を見開いて読もうとして失敗
それなら、と、目を閉じて読む勇気もなく
怖い映画を観るように
指の隙間から覗き見しながら
ようやく 『狂気の愛』 の表面を覆う 薄い膜の上を
息を詰め、おそるおそる 爪先で忍び足してきたような
そんな 異様な疲労感がここちよい