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2008/05/11のBlog
[ 12:30 ] [ 余白から ]
snapshot s1709

よく”1冊の本”というようなことを言いますね。
”無人島にもっていく1冊の本”とか
”これまでに読んだ本から1冊を選ぶなら”とか。

warmgunさん 【Don't Let Me Down】の記事~

ちょっと考えてみた。


warmgunさん
無人島にもっていくなら、なるべくむずかしい本を選ぶね(笑)
笑ってらっしゃるが、わたしはどうだろう?

他にすることがみつからないなら
イヤだな~、なんて言ってもいられなくて
むずかしい本、読むかも、とも思う。

でも、わかんない→おもしろくない!
すぐに投げ出してしまいそうな気もするし。
することがないなら寝てしまお・・・
なんてこと、すぐに考えてしまう自堕落人間のわたしだから
やっぱり無理かもしれない(笑)


warmgunさんは
”好きな本”ならすぐ思い浮かぶ3冊(3種類)がある。
と、おっしゃる。

さて、nadjaさんは?
これまたすぐに思い浮かばない(苦笑)

何度読み返しても面白い、夢中になってしまう本ならある。
面白いかはわからないけど、読み返すたびに新たな発見がある本がある。
いつも手が届くところにあって、ふと開いてしまう本もある。

それが”好きな本”なのだろうか。



そうそう、無人島にもっていく本。

いろいろ考えてみたけれど
わたしはたぶん
無人島に本は持っていかないような気がしてきた。


ずっと本はひとりで読むものと思っていた。
実際、読書はひとりでするものだし。
誰かと両側から覗きあって読むなんてできないし。

でも、別々に、だけど、一緒に読むこともできるんだね。
誰かが読んでいた本を、いま、わたしが読む。
わたしが読んだ本を、誰かも、読む。


共有する楽しみ。
本の話を、自分以外の誰かとする楽しみを知ってしまったから。

だって、無人島では、誰とも語り合えない。



ねぇ、おもしろかった本の話をしよう。
ねぇねぇ、うんうん、って盛りあがれるって素敵だね。
別々の頭の中にひとつのイメージが浮かぶ。


ねぇ、わからなかった本の話をしよう。
自分では思いつかなかった見解を聞かせてもらったり
誰かの言葉でぼんやりとした輪郭が鮮明になるってスゴイ。



語り合いたいな、話したいな、って思いながら
読みかけの本を開いてみようか。


それとも、風が強くて涼しいけど
とりあえず晴れてる空だから
桜のあとの春を探しに出かけてみようか。




そんな 5月11日、日曜日。


2008/05/10のBlog
[ 23:02 ] [ ■海外作家の本 ]
[ テレーズ・デスケルウ モーリアック ] (講談社文芸文庫)


時々 思うことがある
わたしは、自分で読む本を選んでいると思っているけれど
もしかしたら、逆なのではないだろうか

「そろそろ、アナタ、私(書物)を読めるようになったかしら?」

そんな風に
書物の方から
誘ってくれているような気がする



先日 鏡響子さんのブログ【致死量の毒薬】 で この本のタイトルをみつけ
最後まで読めず放り出してしまったことを思い出した
自分にとって親しいヒロインになるに違いないと感じていた、という鏡さん
その鏡さんの記事を読ませていただき
テレーズにもう一度会いたくなった
というか 「テレーズさん、会っていただいてよろしいですか?」
おずおずと この本を手にした

読みはじめて少し驚く
以前は執拗に感じた違和感というかじれったさが
今は さほど感じなくなっている

自分を世界の中心において
周囲を変えていこうとした(ように思えた)テレーズに
どうして自分から出て行こうとしなかったのだろう?
新しい生き方を求めることをしないのだろう? と
読みながらそんなことばかりを考えてしまっていた以前のわたし

登場人物と自分を並べて読む
そういう読み方しかできなかった頃には
読むことが許されなかった本なのかもしれない


1927年に描かれた女性「テレーズ」が抱く自身の内面との葛藤は
2008年の現代においても変わることなく存在する葛藤で
それは、たぶん、どんな過去においても存在し
どんな未来であっても消え去ることのない葛藤ではないかと思う

わたしが望んでいたこと?
望んでいなかったことをいうほうがやさしいわ。
わたしはただ人形のように生きたくなかったんです。
身ぶりをしたり、きまりきった文句をいったり
いつもいつもテレーズという女を殺してしまうようなことをしたくなかったんです。

~p171~

テレーズと夫の最初で最後の「対話」のシーン
テレーズの心の奥から絞りだしたような言葉が痛い

(わたしの心がひかれているのは、この石の町ではない。
公園でもなければ美術館でもない。
目の前で動き、嵐よりも凶暴な情熱の風雨に叩かれる人間の森なのだ。
あのアルジュルーズの森の夜の呻き声も
人間の声のように聞こえたからこそわたしの心をゆすぶったのだ)

~p176~

ラストで語られるテレーズの心の声が
わたしの視界をも、広げてくれたような気がする



本との相性・・・それも確かにあるかもしれないけれど
本には、読む時(読める時)があるのではないかと思う
本が読み手を許可して、はじめて読むことを許される本
[ テレーズ・デスケルウ ]
この本は、そういった1冊であったかのように思う



~~*~~

再びこの本と出会わせてくれた 鏡さんに感謝

鏡 響子さんの記事にTBさせていただきました。

丁寧なあらすじと鏡さんならではの着眼点
読んでみたい今度こそ!と思わせてくれた素晴らしい記事です。


2008/05/08のBlog
[ 16:10 ] [ ■国内作家の本 ]
[ 夢の子供たち 加藤幸子 ] 講談社


繰り返し訪れる夢は
封印された記憶を開く鍵なのだろうか


この物語の主人公は
「加奈って<夢ファンクラブ>とかの会員じゃないの?」とからかわれたりするほど
毎晩のように夢をみている
さめなければよかったのに、と思うくらい幸福な夢に会ったり
次の夜が怖くなるような悪夢に出会ったりする

夢の話を誰かに語ることで夢を去らせる、というやり方は
実はわたしもよく使う手だ

ただ、繰り返し訪れる夢だけは
そうはいかない
その象徴性について
それが意味するところについて
一生懸命考える

風邪をひいて寝こんでいた加奈のもとに届けられた小包
それは母が遺したスケッチブックだった

スケッチブックに描かれていた景色は
おぼろげな記憶を呼び覚ます

夢が指し示すものを知りたいと思う
わからないことがもどかしくて仕方がない

もう一方では知りたくないとも思う
わからないほうがいいのだという気もしている


いつかこの物語の加奈のように
ひょんなことからするすると謎は解けるのかもしれない
考えても考えても わからないのなら
いつかのその時を待つのがいいのかもしれない


桜が咲き、散る この季節に
きまって怖い夢をみていた人

彼女も、どこかで、夢をみているのだろうか、と思う


夢がつながるといいのに、と思う




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