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2008/06/27のBlog
[ 19:00 ]
[ 書き出しの印象的な小説 ]
顔なじみの書店員さんに
「書き出しの印象的な本はなあに?」と たずねて
「う~ん、これかな?」と 貸してもらった本
(書店員さんに借りるな、という話だけど、お店になかったので・笑)
「完璧な文章など存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
なるほど・・・と思う
完璧な絶望は存在しない
僅かなりとも希望があるから
だから絶望を自覚できる
完璧な絶望は、からっぽになってしまうということ
そこにはもう、希望も絶望も、なんにもないのだ
そう 前に聞いたことがある
ならば絶望という感情がないのだから
完璧な絶望は存在しない
では、完璧な文章が存在しない、ということは
完璧な文章に感情が存在してはならない、ということ?
こんなふうに
最初の一行だけで、これだけ思考がぐるぐるしてくるのだから
すごい書き出しなのかもしれないと思う
この1章には、「 」で括られた印象的な言葉が他にもある
「文章を書くという作業は
とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。
必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」
「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。
もっと暗い心は夢さえも見ない。」
いきおいに乗って、一気に読んでしまった
さらりと一気に読んでしまえる本だった
たくさんのハルキストさんたちを敵にまわしてしまいそうだが(笑)
おもしろくないわけじゃないのに
一気に読めてしまった、という感想しか出てこない
登場人物は それぞれ魅力的なのに
なぜか読み終えてしまうと すっと頭から消えていってしまう
村上春樹の小説
短篇を中心に少しずつ読んでいるのだけれど
記事にできないのは、登場人物がわたしの世界に居ついてくれないからかもしれない(笑)
でも、書き出しから13ページまでの第一章は
すごくすごく おもしろかった
いろいろなことを考えながら
気持ちよく深く潜っていけそうな
そんな魅力的な書き出し
[ 風の歌を聴け 村上春樹 ] (講談社文庫)
「書き出しの印象的な本はなあに?」と たずねて
「う~ん、これかな?」と 貸してもらった本
(書店員さんに借りるな、という話だけど、お店になかったので・笑)
「完璧な文章など存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
なるほど・・・と思う
完璧な絶望は存在しない
僅かなりとも希望があるから
だから絶望を自覚できる
完璧な絶望は、からっぽになってしまうということ
そこにはもう、希望も絶望も、なんにもないのだ
そう 前に聞いたことがある
ならば絶望という感情がないのだから
完璧な絶望は存在しない
では、完璧な文章が存在しない、ということは
完璧な文章に感情が存在してはならない、ということ?
こんなふうに
最初の一行だけで、これだけ思考がぐるぐるしてくるのだから
すごい書き出しなのかもしれないと思う
この1章には、「 」で括られた印象的な言葉が他にもある
「文章を書くという作業は
とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。
必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」
「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。
もっと暗い心は夢さえも見ない。」
いきおいに乗って、一気に読んでしまった
さらりと一気に読んでしまえる本だった
たくさんのハルキストさんたちを敵にまわしてしまいそうだが(笑)
おもしろくないわけじゃないのに
一気に読めてしまった、という感想しか出てこない
登場人物は それぞれ魅力的なのに
なぜか読み終えてしまうと すっと頭から消えていってしまう
村上春樹の小説
短篇を中心に少しずつ読んでいるのだけれど
記事にできないのは、登場人物がわたしの世界に居ついてくれないからかもしれない(笑)
でも、書き出しから13ページまでの第一章は
すごくすごく おもしろかった
いろいろなことを考えながら
気持ちよく深く潜っていけそうな
そんな魅力的な書き出し
[ 風の歌を聴け 村上春樹 ] (講談社文庫)
2008/06/25のBlog
[ 13:52 ]
[ 余白から ]
先日 [ 唄を忘れた金絲雀は ] という記事を書いたところ
「こんな話を知っていますか?」というメールが届いた。
西條 八十の「砂金」という詩集におさめられている
「トミノの地獄」という詩にまつわる都市伝説。
2005年くらいにインターネットを介して
爆発的にひろまったらしい。
どんなものかというと
この詩を声に出して読むと、凶事が起こる。
かの寺山修司も、そのために亡くなったとかいうもの。
そしてその出所が 四方田犬彦さんの著書 だというのだから
びっくりしてしまった。
気になったので いろいろ検索してみたら
なんなんだ、いったい!!!
呆れるような記事をいくつも目にして呆然。
呆れるというよりも
腹が立つというよりも
もう、もう、 なんだかね、とっても悲しい。
いまさらむしかえすのもどうかと思ったけれど
もしもこの話を信じてしまっている人がいるとしたら
西條 八十は あちらの世界でとっても悲しんでいるんじゃないだろうか。
そう思い、記事にすることにした次第。
たしかに一瞬 ギョッとするような言葉もちりばめられている。
でもね、声にだすのが怖かったなら、そのままで
どうか よくよく読んでみて欲しい。
トミノの地獄 西條 八十
姉は血を吐く、妹は火吐く、
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩けやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯(うぐいす)に。
皮の嚢(ふくろ)にゃいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、くらい地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに
西條 八十詩集 『砂金』 収録
わたしがこの詩を知ったのは
この詩をとてもやさしいメロディで歌ってもらったからだった。
そして、この詩にこめられた想いを教えてもらった。
この詩が発表されたのは、第一次世界大戦のさなか。
スペイン風邪の流行で多くの人が亡くなったり
混乱を窮(きわ)めていた時代。
トミノのような子(男の子だと思う)がたくさんいただろう。
お国のために・・・と、宝玉(命)を差し出す子どもたち。
鞭うつように叱咤激励して、心の中で血の涙を流しながら
戦場に送り出せねばならなかった姉(家族)がたくさんいただろう。
西條八十は詩人だから、詩、という手法によって
その時代を憂いたのだろうと、その人は言っていた。
八十その人に確かめるすべはないし
その人の解釈が正解なんて言えないけれど
わたしは、この詩にこめられた想いは、そうだと思っている。
呪だとか、近親相姦なんてとんでもない。
その時 歌ってもらった不思議な旋律は
今でも うっすらとおぼえている。
韻を踏んだとても美しい詩に
和の旋律がとてもきれいだった。
わたしも歌ってみよう。
自序
心象の記録者である以上、
私がその心象の、強く正しき人間の心象であれかしと冀(こいねが)つて居る事は
云ふまでも無い。
大正八年初夏
著者
~詩集「砂金」より~
~~*~~
メールをくださった Yさんへ
教えてくださってありがとうございます。
でも、この話、わたしは、断固 信じません。
こんな話がまとこしやかにひろまっていたことに
とても 憤りをおぼえます。
ものすごく悔しいから、あれから何度も声に出して読みました。
絶対、わたしは死にません。
ブログも続けていきます。
フリーメールからの返信だと、サーバーにはじかれてしまうようなので
こちらの記事にて返信いたします。
nadja
「こんな話を知っていますか?」というメールが届いた。
西條 八十の「砂金」という詩集におさめられている
「トミノの地獄」という詩にまつわる都市伝説。
2005年くらいにインターネットを介して
爆発的にひろまったらしい。
どんなものかというと
この詩を声に出して読むと、凶事が起こる。
かの寺山修司も、そのために亡くなったとかいうもの。
そしてその出所が 四方田犬彦さんの著書 だというのだから
びっくりしてしまった。
気になったので いろいろ検索してみたら
なんなんだ、いったい!!!
呆れるような記事をいくつも目にして呆然。
呆れるというよりも
腹が立つというよりも
もう、もう、 なんだかね、とっても悲しい。
いまさらむしかえすのもどうかと思ったけれど
もしもこの話を信じてしまっている人がいるとしたら
西條 八十は あちらの世界でとっても悲しんでいるんじゃないだろうか。
そう思い、記事にすることにした次第。
たしかに一瞬 ギョッとするような言葉もちりばめられている。
でもね、声にだすのが怖かったなら、そのままで
どうか よくよく読んでみて欲しい。
トミノの地獄 西條 八十
姉は血を吐く、妹は火吐く、
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩けやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯(うぐいす)に。
皮の嚢(ふくろ)にゃいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、くらい地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに
西條 八十詩集 『砂金』 収録
わたしがこの詩を知ったのは
この詩をとてもやさしいメロディで歌ってもらったからだった。
そして、この詩にこめられた想いを教えてもらった。
この詩が発表されたのは、第一次世界大戦のさなか。
スペイン風邪の流行で多くの人が亡くなったり
混乱を窮(きわ)めていた時代。
トミノのような子(男の子だと思う)がたくさんいただろう。
お国のために・・・と、宝玉(命)を差し出す子どもたち。
鞭うつように叱咤激励して、心の中で血の涙を流しながら
戦場に送り出せねばならなかった姉(家族)がたくさんいただろう。
西條八十は詩人だから、詩、という手法によって
その時代を憂いたのだろうと、その人は言っていた。
八十その人に確かめるすべはないし
その人の解釈が正解なんて言えないけれど
わたしは、この詩にこめられた想いは、そうだと思っている。
呪だとか、近親相姦なんてとんでもない。
その時 歌ってもらった不思議な旋律は
今でも うっすらとおぼえている。
韻を踏んだとても美しい詩に
和の旋律がとてもきれいだった。
わたしも歌ってみよう。
自序
心象の記録者である以上、
私がその心象の、強く正しき人間の心象であれかしと冀(こいねが)つて居る事は
云ふまでも無い。
大正八年初夏
著者
~詩集「砂金」より~
~~*~~
メールをくださった Yさんへ
教えてくださってありがとうございます。
でも、この話、わたしは、断固 信じません。
こんな話がまとこしやかにひろまっていたことに
とても 憤りをおぼえます。
ものすごく悔しいから、あれから何度も声に出して読みました。
絶対、わたしは死にません。
ブログも続けていきます。
フリーメールからの返信だと、サーバーにはじかれてしまうようなので
こちらの記事にて返信いたします。
nadja
2008/06/22のBlog
[ 17:51 ]
[ 書き出しの印象的な小説 ]
syuguruさん から教えてもらったのは
『風立ちぬ』
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
序曲
それらの夏の日々、一面に薄(すすき)の生い茂った草原の中で
お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、
私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていたものだった。
そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、
それからしばらく私達は肩に手をかけあったまま、遥か彼方の、
縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を
眺めやっていたものだった。
ようやく暮れようとしかけているその地平線から、
反対に何物かが生れて来つつあるかのように・・・・・
この冒頭の文章を読み
目を閉じて夏の終わりの夕暮れを思い描く
じつは、わたし
子どものころから
よくおかしなものを怖がる と言われたのだけれど
その おかしな怖いもののひとつに 夕焼け がある
夕焼け というよりも、夕暮れの気配
暮れていくこと そのものが 怖かったのかもしれない
さっきまで燦然と輝いていた白い雲が
縁からだんだん茜色にそまり
全身が燃えたつような艶やかさを放ったあと
みるみる翳りゆくさまを思い描く
蒸し暑い大気の中に
ひゅっと 異質の空気が通り過ぎるさまを想像してみる
やはり今でも 夕暮れは怖いと思う
小説では、この書き出しのあと
ふいに 風が立つ
その風は
描きかけの絵をのせたままの画架を倒し
風立ちぬ。いざ生きめやも。
という詩句を ”私”から引きだしていく
何度か登場する
風立ちぬ。いざ生きめやも。 という一節は
フランスの作家 ポール・ヴァレリーの
"Le vent se lève, il faut tenter de vivre."を
堀辰雄自身が文語調に翻訳したものだそうだ
文法から言えば誤りだという話だけれど
この小説を読み終えて
”私” の真似をして
風立ちぬ。いざ生きめやも。
呟いてみたとき
「生きめやも」
そう 「生きめやも」 でなければ、と、そう思う
深くて重い「生きてみなければ」という想いには
「生きめやも」 が ふさわしい
生きてみなければ
そう、生きてみなければならない・・・よね
生きていかなきゃならない・・・よね
あなたが虚しく生きた今日は
昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日
という言葉をおもいだす
十二月三十日
本当に静かな晩だ。
私は今夜もこんなかんがえがひとりでに心に浮かんで来るがままにさせていた。
~p168~
静かな晩は、きっといつか、訪れるのだから
[ 風立ちぬ・美しい村 堀 辰雄 ] (新潮文庫)
『風立ちぬ』
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
序曲
それらの夏の日々、一面に薄(すすき)の生い茂った草原の中で
お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、
私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていたものだった。
そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、
それからしばらく私達は肩に手をかけあったまま、遥か彼方の、
縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を
眺めやっていたものだった。
ようやく暮れようとしかけているその地平線から、
反対に何物かが生れて来つつあるかのように・・・・・
この冒頭の文章を読み
目を閉じて夏の終わりの夕暮れを思い描く
じつは、わたし
子どものころから
よくおかしなものを怖がる と言われたのだけれど
その おかしな怖いもののひとつに 夕焼け がある
夕焼け というよりも、夕暮れの気配
暮れていくこと そのものが 怖かったのかもしれない
さっきまで燦然と輝いていた白い雲が
縁からだんだん茜色にそまり
全身が燃えたつような艶やかさを放ったあと
みるみる翳りゆくさまを思い描く
蒸し暑い大気の中に
ひゅっと 異質の空気が通り過ぎるさまを想像してみる
やはり今でも 夕暮れは怖いと思う
小説では、この書き出しのあと
ふいに 風が立つ
その風は
描きかけの絵をのせたままの画架を倒し
風立ちぬ。いざ生きめやも。
という詩句を ”私”から引きだしていく
何度か登場する
風立ちぬ。いざ生きめやも。 という一節は
フランスの作家 ポール・ヴァレリーの
"Le vent se lève, il faut tenter de vivre."を
堀辰雄自身が文語調に翻訳したものだそうだ
文法から言えば誤りだという話だけれど
この小説を読み終えて
”私” の真似をして
風立ちぬ。いざ生きめやも。
呟いてみたとき
「生きめやも」
そう 「生きめやも」 でなければ、と、そう思う
深くて重い「生きてみなければ」という想いには
「生きめやも」 が ふさわしい
生きてみなければ
そう、生きてみなければならない・・・よね
生きていかなきゃならない・・・よね
あなたが虚しく生きた今日は
昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日
という言葉をおもいだす
十二月三十日
本当に静かな晩だ。
私は今夜もこんなかんがえがひとりでに心に浮かんで来るがままにさせていた。
~p168~
静かな晩は、きっといつか、訪れるのだから
[ 風立ちぬ・美しい村 堀 辰雄 ] (新潮文庫)