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2008/07/09のBlog
[ 12:30 ]
[ 基本 ]
人間は2本足か4本足か?それとも3本足かw
人間は、他の動物と同じく4本足である。
人間の足は、他の動物との形に違いがある。しかし、これこそが人間の歩行を助けている。
足の形だけでなく骨盤や股関節の形も歩行を補っている要因であるが、それを受け止める構造が足にある。それは、「土踏まず」である。この「土踏まず」を隔てて、前足底側を「前足」、踵側を「後ろ足」と分類することができるのだ。
人間の足は1脚に2足あるということになる。2脚あるから、4本足ということになるワケだ。
4本足の動物には「踵」と分類されるものがあるが、人間で言う「膝」のような働きのもので「踵」を着いての歩行はしない。
だから、「土踏まず」はない。
猿の脚や足は人間のものと似ているが、決定的な違いは拇指の位置だろう。
4本足の動物もそうであるが、拇指が後ろの方にある。
猿科の動物は、足が「掌」のような形をしている。やはり「土踏まず」を認識できないように思う。
動物は足裏(肉球)をベッタリ着けた状態(拇指以外)で歩く。
人間で言えば「爪先立ち」で歩いているようなものだろう。
他の動物は方向を変える時に、胸椎や腰椎といった背骨を湾曲させることで、前足を後ろ足の向きと違えて曲がる。
車の前輪と後輪と同じといえるだろう。
人間はというと、股関節で足の向きを変えて曲がっていく。ここで、普通の歩行は、前進なら「後ろ足(踵)」から「前足(前足底)」と着いて歩く。後退なら「前足(前足底)」から「後ろ足(踵)」と着いて歩く。
骨盤と股関節が発達したから可能な脚の動きである。「土踏まず」で「前足」と「後ろ足」を分けることで、その動きを受け止められる。所謂「2足歩行」と言われる人間の歩行を可能にしている。
少林寺拳法が運歩を大事にしているのには、捌きに重きを置いているからだ。
前進でも後退でも転回足でも前足底から着くことで「鉤足」を使い、捌きを活用している。
「技」とは「手偏に支える」と書く。要するに、「手を支える。補助する。」という意味だ。
では、何で補助するのか?手を支えるのだから、手とは別なものだと分かる。
そう。「手と別のもの」。つまり、「捌き」なのだ。その「体捌き」や「足捌き」の命である「鉤足」。
ほとんどの動きに通じる「鉤足」。外鉤足と内鉤足を上手に使うことができれば、さまざまな運歩ができる。
これができれば、少林寺拳法の技法の大半ができたことになるのではないかとさえ思える。
しっかりと意識していこうと思う。
人間は、他の動物と同じく4本足である。
人間の足は、他の動物との形に違いがある。しかし、これこそが人間の歩行を助けている。
足の形だけでなく骨盤や股関節の形も歩行を補っている要因であるが、それを受け止める構造が足にある。それは、「土踏まず」である。この「土踏まず」を隔てて、前足底側を「前足」、踵側を「後ろ足」と分類することができるのだ。
人間の足は1脚に2足あるということになる。2脚あるから、4本足ということになるワケだ。
4本足の動物には「踵」と分類されるものがあるが、人間で言う「膝」のような働きのもので「踵」を着いての歩行はしない。
だから、「土踏まず」はない。
猿の脚や足は人間のものと似ているが、決定的な違いは拇指の位置だろう。
4本足の動物もそうであるが、拇指が後ろの方にある。
猿科の動物は、足が「掌」のような形をしている。やはり「土踏まず」を認識できないように思う。
動物は足裏(肉球)をベッタリ着けた状態(拇指以外)で歩く。
人間で言えば「爪先立ち」で歩いているようなものだろう。
他の動物は方向を変える時に、胸椎や腰椎といった背骨を湾曲させることで、前足を後ろ足の向きと違えて曲がる。
車の前輪と後輪と同じといえるだろう。
人間はというと、股関節で足の向きを変えて曲がっていく。ここで、普通の歩行は、前進なら「後ろ足(踵)」から「前足(前足底)」と着いて歩く。後退なら「前足(前足底)」から「後ろ足(踵)」と着いて歩く。
骨盤と股関節が発達したから可能な脚の動きである。「土踏まず」で「前足」と「後ろ足」を分けることで、その動きを受け止められる。所謂「2足歩行」と言われる人間の歩行を可能にしている。
少林寺拳法が運歩を大事にしているのには、捌きに重きを置いているからだ。
前進でも後退でも転回足でも前足底から着くことで「鉤足」を使い、捌きを活用している。
「技」とは「手偏に支える」と書く。要するに、「手を支える。補助する。」という意味だ。
では、何で補助するのか?手を支えるのだから、手とは別なものだと分かる。
そう。「手と別のもの」。つまり、「捌き」なのだ。その「体捌き」や「足捌き」の命である「鉤足」。
ほとんどの動きに通じる「鉤足」。外鉤足と内鉤足を上手に使うことができれば、さまざまな運歩ができる。
これができれば、少林寺拳法の技法の大半ができたことになるのではないかとさえ思える。
しっかりと意識していこうと思う。
2008/06/20のBlog
[ 17:03 ]
[ 基本 ]
呼吸法とは「息を整え心身を同時に鍛錬し、気力と体力を最も効果的に活用する方法」である。
長時間の場合は下腹部に結手印を結び、短時間の場合は胸前で独鈷印を結んで、体を垂直にして丹田に気を入れ、軽く目を閉じながら、鼻呼吸を原則とし、「宇宙の精気我体中に入る」と思念しながら充分に息を吸気し、少し漏気し、息を止めて気を満たす充気を行った後に「ダーマの徳性、我に発する」と思念しながら七分呼気し、三分残気して吸気に戻ることの繰り返しであると、教範初版で説明されている。
この「体を垂直にして」というのが、腹式呼吸でないと上手くできない。
腹式呼吸ができていないと、肩が上下したり、中心軸が前後にブレてしまう。これでは動きも悪くなるし、呼吸も浅くなる。「息」は「生き」である。しかし、体術を行う者としては「活き」にまで高めなければいけない。
つまり、「心・気・力」の一致を生むために呼吸法は大切なのだ。
呼吸の仕方は、「吸気→漏気→充気→呼気→残気」のサイクルを繰り返す。
「吸気」は、鼻からゆっくりと充分に吸い込む。
「漏気」は、鼻からフムと漏れる。
「充気」は、吸い込んだ空気を丹田に溜める。
「呼気」は、口から細く長く吐く。または、吐気という。
「残気」は、全てを吐いてしまわずに、若干残す。
この際、「充気」が一番大切で、体中に気がしっかりと行き渡るイメージをしながら行う。
呼吸法を始める時は、まず軽く吐けば、楽に始められる。
腹式呼吸ができているかチェックする方法は、仰向けに寝て呼吸をしてみると良い。
正しく腹式呼吸ができている場合は、1分間に数cm程度だが頭の方向に進んでいく。
ちょうど、イモムシが歩くようなイメージである。
備忘録を、あまりにも放置しすぎていたために、慌てて書きました。
他にも何か書きたいことや、思いついたこともあったのですが、思い出せません。
思い出した時に、追記編集をしたいと思います。
長時間の場合は下腹部に結手印を結び、短時間の場合は胸前で独鈷印を結んで、体を垂直にして丹田に気を入れ、軽く目を閉じながら、鼻呼吸を原則とし、「宇宙の精気我体中に入る」と思念しながら充分に息を吸気し、少し漏気し、息を止めて気を満たす充気を行った後に「ダーマの徳性、我に発する」と思念しながら七分呼気し、三分残気して吸気に戻ることの繰り返しであると、教範初版で説明されている。
この「体を垂直にして」というのが、腹式呼吸でないと上手くできない。
腹式呼吸ができていないと、肩が上下したり、中心軸が前後にブレてしまう。これでは動きも悪くなるし、呼吸も浅くなる。「息」は「生き」である。しかし、体術を行う者としては「活き」にまで高めなければいけない。
つまり、「心・気・力」の一致を生むために呼吸法は大切なのだ。
呼吸の仕方は、「吸気→漏気→充気→呼気→残気」のサイクルを繰り返す。
「吸気」は、鼻からゆっくりと充分に吸い込む。
「漏気」は、鼻からフムと漏れる。
「充気」は、吸い込んだ空気を丹田に溜める。
「呼気」は、口から細く長く吐く。または、吐気という。
「残気」は、全てを吐いてしまわずに、若干残す。
この際、「充気」が一番大切で、体中に気がしっかりと行き渡るイメージをしながら行う。
呼吸法を始める時は、まず軽く吐けば、楽に始められる。
腹式呼吸ができているかチェックする方法は、仰向けに寝て呼吸をしてみると良い。
正しく腹式呼吸ができている場合は、1分間に数cm程度だが頭の方向に進んでいく。
ちょうど、イモムシが歩くようなイメージである。
備忘録を、あまりにも放置しすぎていたために、慌てて書きました。
他にも何か書きたいことや、思いついたこともあったのですが、思い出せません。
思い出した時に、追記編集をしたいと思います。
2008/03/10のBlog
[ 17:13 ]
[ 法話 ]
漢字としての卍の書き順ではなく、開祖が教えられた卍の書き順であり、卍の意味を理解するための書き方です。
書き方は教わりましたが、意味まで尋ねていませんでしたので、卍の表裏については独断と偏見によるものです。
いつか、師に尋ねる機会があったら、その時に更新します。
また、他に何か知っていることがありましたら、ご教授下さい。
【卍の書き方】
卍には表裏があり、それぞれ意味がある。
表卍には愛や慈悲を、裏卍には力や理知を表してある。
地球の自転の方向を基準として考えると、表裏の意味が分かってくる。
地球の自転は右廻りに動いている。だから、太陽や星は左廻りに動いて見える。
だから、自己を中心とする動きである力や理知などの能力は右回りの裏卍で表され、それに対する、他へ発する愛や慈悲心という与える心は表卍で表されるのだろう。
そういう理由から「拳禅一如」や「裏卍」は右側に、「力愛不二」や「表卍」は左側に掲げられるようになっているのだと思う。
卍の書き順は、図のような順で書かれる。
先ずは天から地へ縦線をひく。続いて陰から陽へ横線で十字をきる。あとは、天から発された力が円を描くように筆を進めていき、力の流転を表現するのだ。
愛や慈悲なら左廻りに、力や理知なら右廻りに書いていく。
書き方は教わりましたが、意味まで尋ねていませんでしたので、卍の表裏については独断と偏見によるものです。
いつか、師に尋ねる機会があったら、その時に更新します。
また、他に何か知っていることがありましたら、ご教授下さい。
【卍の書き方】
卍には表裏があり、それぞれ意味がある。
表卍には愛や慈悲を、裏卍には力や理知を表してある。
地球の自転の方向を基準として考えると、表裏の意味が分かってくる。
地球の自転は右廻りに動いている。だから、太陽や星は左廻りに動いて見える。
だから、自己を中心とする動きである力や理知などの能力は右回りの裏卍で表され、それに対する、他へ発する愛や慈悲心という与える心は表卍で表されるのだろう。
そういう理由から「拳禅一如」や「裏卍」は右側に、「力愛不二」や「表卍」は左側に掲げられるようになっているのだと思う。
卍の書き順は、図のような順で書かれる。
先ずは天から地へ縦線をひく。続いて陰から陽へ横線で十字をきる。あとは、天から発された力が円を描くように筆を進めていき、力の流転を表現するのだ。
愛や慈悲なら左廻りに、力や理知なら右廻りに書いていく。
2008/01/29のBlog
[ 10:30 ]
[ 剛法 ]
蹴り方は突き方ほどの新旧の差はないものの、やはり変化しているようだ。
特に、蹴上と廻蹴は変わったように感じる。
それは、突きと同じで冴え(引き)が弱くなっているということだ。
これも胴突きと同じく、着胴の意味は攻撃部位の確認と作りの確認にとても有用だと思う。
前足底で蹴ることが冴えを出すことに重要なポイントで、蹴足を引くには足首が曲がっている方が楽なのだ。
足首が曲がった(生きた)状態で蹴るには、前足底が出ていないと爪先蹴になる。
クツを履いた状態なら爪先蹴は有効だが、裸足の爪先蹴は突指などの危険がある。
前足底での蹴りは当身の五要素である「当身の速度」を満たし、ケガも防げる蹴り方なのだ。
蹴り方で注意された時の言葉
・蹴足の膝を胸元に引き付ける。
・前足底を出す。
・膝のスナップで蹴る。
・蹴った後、踵で尻を蹴る。
・音が鳴った時には、足が地に着いているように・・・
・膝を絞る。
・腰を入れる。(水平軸と鉛直軸の使い分け)
・蹴りの冴えで、相手の道衣を脱がせる。
上記以外にも幾つかあったが、蹴り方の種類で違うことなので省略します。
特に、蹴上と廻蹴は変わったように感じる。
それは、突きと同じで冴え(引き)が弱くなっているということだ。
これも胴突きと同じく、着胴の意味は攻撃部位の確認と作りの確認にとても有用だと思う。
前足底で蹴ることが冴えを出すことに重要なポイントで、蹴足を引くには足首が曲がっている方が楽なのだ。
足首が曲がった(生きた)状態で蹴るには、前足底が出ていないと爪先蹴になる。
クツを履いた状態なら爪先蹴は有効だが、裸足の爪先蹴は突指などの危険がある。
前足底での蹴りは当身の五要素である「当身の速度」を満たし、ケガも防げる蹴り方なのだ。
蹴り方で注意された時の言葉
・蹴足の膝を胸元に引き付ける。
・前足底を出す。
・膝のスナップで蹴る。
・蹴った後、踵で尻を蹴る。
・音が鳴った時には、足が地に着いているように・・・
・膝を絞る。
・腰を入れる。(水平軸と鉛直軸の使い分け)
・蹴りの冴えで、相手の道衣を脱がせる。
上記以外にも幾つかあったが、蹴り方の種類で違うことなので省略します。
2007/12/17のBlog
[ 09:43 ]
[ 連絡 ]
「突き方で注意されたこと」を、いくつか追加しました。
2007/12/13のBlog
[ 14:19 ]
[ 剛法 ]
現在の突き方は、突き込むような感じで引き(冴え)が弱い。
拳から肘までを「棒として突く」イメージがある。
見た目にも衝撃も、突きに重みを感じる。
この突き方は、鉤突の突き方として学んだ記憶がある。
昔の突き方は、極端に例えると「掌拳で突く」ようなイメージがあった。
見た目はすごく軽い。しかし、深さは充分にある。
それが、胴やミットを突くことを多くやっていると、思いっきり突きたくなる衝動に駆られ、現在のような突き方に変わってきたのではないか。
だから、着胴の意味が変わってきたのではないかと思う。
簡単に例えると、昔の突きは「すぐ突き」で、今の突き方は「ちょく突き」だ。
基本稽古の号令で、昔は「上段直ぐ突き」と言っていた。
現在は「上段直突き」と言っている。
これも、突き方を変えた原因なのだろう。
今までに、突き方を注意された時の言葉・・・
・小指側からの3本の拳頭を使う。
・カナヅチで釘を打つように突く。
・スナップで突く。
・突き上げるように突く。
・肘から送る。(腕のみの話)
・突きの間合は、肘が届く距離。
・(直ぐ)突きは、拳の質量で突く。
・振子をする。
・膝を絞る。
・腰を落とし過ぎるな。
・腕が伸びきる前に引く。
・どの間合からでも引けるように。
・当てる瞬間に、拳を握りこむ。
・引きは素早く。
・音がした時には、胸元に戻っているように。
・引きで、相手の道衣を脱がせる。
・相手を後ろに飛ばさず、手前に落とす。
・ポンと軽く突く。
・開祖の突きは、見ていて軽かった。
・猫のように柔らかく。
まだまだあったと思うが、記憶にあることだけでもこんなにある。
しかし、バラバラ(いくつかのグループ)で存在していた。
たった一言のアドバイスで、これらの全て繋がった。
「『掌拳で突く』ようなイメージで突いてごらん。」
ただ、この一言で。。。
拳から肘までを「棒として突く」イメージがある。
見た目にも衝撃も、突きに重みを感じる。
この突き方は、鉤突の突き方として学んだ記憶がある。
昔の突き方は、極端に例えると「掌拳で突く」ようなイメージがあった。
見た目はすごく軽い。しかし、深さは充分にある。
それが、胴やミットを突くことを多くやっていると、思いっきり突きたくなる衝動に駆られ、現在のような突き方に変わってきたのではないか。
だから、着胴の意味が変わってきたのではないかと思う。
簡単に例えると、昔の突きは「すぐ突き」で、今の突き方は「ちょく突き」だ。
基本稽古の号令で、昔は「上段直ぐ突き」と言っていた。
現在は「上段直突き」と言っている。
これも、突き方を変えた原因なのだろう。
今までに、突き方を注意された時の言葉・・・
・小指側からの3本の拳頭を使う。
・カナヅチで釘を打つように突く。
・スナップで突く。
・突き上げるように突く。
・肘から送る。(腕のみの話)
・突きの間合は、肘が届く距離。
・(直ぐ)突きは、拳の質量で突く。
・振子をする。
・膝を絞る。
・腰を落とし過ぎるな。
・腕が伸びきる前に引く。
・どの間合からでも引けるように。
・当てる瞬間に、拳を握りこむ。
・引きは素早く。
・音がした時には、胸元に戻っているように。
・引きで、相手の道衣を脱がせる。
・相手を後ろに飛ばさず、手前に落とす。
・ポンと軽く突く。
・開祖の突きは、見ていて軽かった。
・猫のように柔らかく。
まだまだあったと思うが、記憶にあることだけでもこんなにある。
しかし、バラバラ(いくつかのグループ)で存在していた。
たった一言のアドバイスで、これらの全て繋がった。
「『掌拳で突く』ようなイメージで突いてごらん。」
ただ、この一言で。。。
2007/12/07のBlog
[ 10:00 ]
[ 剛法 ]
突き方の種が、昔と現在では違う。
まったく違うと言って良いほどに違う。
胴を着用した時の突の練習の意味が、変わってきているかららしい。
少林寺拳法の正拳は、主に中指から小指側の拳頭を言う。
素手で胴突きを行なうと、小指の拳頭の皮が剥ける。
それで、中指と薬指の拳頭を使うことが多くなってきている。
中には、大拳頭(示指と中指の拳頭)を使う人もいる。
しかし、小指側の拳頭が少林寺拳法本来の突き方だ。
だから、小指の拳頭の皮がズル剥けするのは、実は正しい「当て方」なのだ。
ただ、「突き方」が良くないだけである。
それは、着胴での突き稽古の意味が伝わっていないからのようだ。
胴は「痛くないように、怪我しないように」着けているのではなかったのだ。
攻者の「手首への負担(反発の衝撃)」を覚えるためであり、自分の手首の強度を知るためであり、「手首の強化」の必要性を知るためであったのだ。
「着胴の意味」と「突き方」が変化したのは、乱捕全盛期時代の判定の弊害なのかもしれない。
まったく違うと言って良いほどに違う。
胴を着用した時の突の練習の意味が、変わってきているかららしい。
少林寺拳法の正拳は、主に中指から小指側の拳頭を言う。
素手で胴突きを行なうと、小指の拳頭の皮が剥ける。
それで、中指と薬指の拳頭を使うことが多くなってきている。
中には、大拳頭(示指と中指の拳頭)を使う人もいる。
しかし、小指側の拳頭が少林寺拳法本来の突き方だ。
だから、小指の拳頭の皮がズル剥けするのは、実は正しい「当て方」なのだ。
ただ、「突き方」が良くないだけである。
それは、着胴での突き稽古の意味が伝わっていないからのようだ。
胴は「痛くないように、怪我しないように」着けているのではなかったのだ。
攻者の「手首への負担(反発の衝撃)」を覚えるためであり、自分の手首の強度を知るためであり、「手首の強化」の必要性を知るためであったのだ。
「着胴の意味」と「突き方」が変化したのは、乱捕全盛期時代の判定の弊害なのかもしれない。
2007/12/05のBlog
[ 16:58 ]
[ 心得 ]
『拳のつぶやき』というブログで、先日「拳の三要」について触れていました。
良い機会だから、ワシも頭の中身を整理してみよう。
【拳の三要「技 術 略」について】
「技」とは、基本や法形のことであり、主に身体の動かし方を学ぶ。
「術」とは、基本の動きや法形を実践の中に運用させる技術のことであり、乱捕によって育てていく。
「略」とは、智略・戦略などのことであり、演武によって戦術組成を考えていく。
だから、修行の順序は「基本→法形→乱捕→演武→基本・・・」と行なうことが望ましいと思う。
法形で「技」を学び、反復練習することで間合や角度などいろいろな変化が「技」を「術」に近づける。そして、運用法にて「術」へと育て、さらに高みへ持っていくのだ。
それから、乱捕りの中で「略」を考え始める。
演武を構成することを通して、さらに「略」を深めていく。
だから、規定演武である小学生では「略」への到達は難しいが、自由演武である中学生以上は自然と「略」の段階へ進んでいるはずである。
「無理のない構成」という表現は、「理に適っている」という意味である。
逆に「構成に無理がある」と感じる時は、「実践では在りえない動き」ということなのだ。
「略」とは学ぶよりも、考えることの方が大部分を占めるだろう。
先生や先輩達から演武構成を訂正されるのは、経験や知識が豊富なので、より良い戦術組成や理法に直してくれているのだ。
しかし、自分で考えて変更していくことが知識と経験を重ねることになるので、あまり大幅な変更や口出しをすることがない。
だから、「略」について学んだという実感がないだろう。
でも、「略」の段階へ進むことは、何も特別なことではないのだ。
気付いていないだけで、自然と学び考えていることなのだ。
もちろん、意識の有無で程度の差は大きく出るだろう。
しっかりと「技 術 略」について意識を持つことが大切である。
良い機会だから、ワシも頭の中身を整理してみよう。
【拳の三要「技 術 略」について】
「技」とは、基本や法形のことであり、主に身体の動かし方を学ぶ。
「術」とは、基本の動きや法形を実践の中に運用させる技術のことであり、乱捕によって育てていく。
「略」とは、智略・戦略などのことであり、演武によって戦術組成を考えていく。
だから、修行の順序は「基本→法形→乱捕→演武→基本・・・」と行なうことが望ましいと思う。
法形で「技」を学び、反復練習することで間合や角度などいろいろな変化が「技」を「術」に近づける。そして、運用法にて「術」へと育て、さらに高みへ持っていくのだ。
それから、乱捕りの中で「略」を考え始める。
演武を構成することを通して、さらに「略」を深めていく。
だから、規定演武である小学生では「略」への到達は難しいが、自由演武である中学生以上は自然と「略」の段階へ進んでいるはずである。
「無理のない構成」という表現は、「理に適っている」という意味である。
逆に「構成に無理がある」と感じる時は、「実践では在りえない動き」ということなのだ。
「略」とは学ぶよりも、考えることの方が大部分を占めるだろう。
先生や先輩達から演武構成を訂正されるのは、経験や知識が豊富なので、より良い戦術組成や理法に直してくれているのだ。
しかし、自分で考えて変更していくことが知識と経験を重ねることになるので、あまり大幅な変更や口出しをすることがない。
だから、「略」について学んだという実感がないだろう。
でも、「略」の段階へ進むことは、何も特別なことではないのだ。
気付いていないだけで、自然と学び考えていることなのだ。
もちろん、意識の有無で程度の差は大きく出るだろう。
しっかりと「技 術 略」について意識を持つことが大切である。
2007/11/29のBlog
[ 16:10 ]
[ 雑記 ]
60周年大会後1ヶ月間休みを頂いていましたが、いよいよ来週から道場に行けます。
出稽古にくる知人が錫杖をしたいとご所望なので、1年半振りに錫杖と如意棒を思う存分やろうと思います。
そういや、錫杖は2ヶ月前の祭りで即興単演をやったなぁ。
如意は家でも振り回してますが、最近は家で錫杖を振ってないからなぁ。
振り回せるか心配だ。。。
ゲキレンジャーが放送されてる内に、ヌンチャクとトンファーと流星錘も子供たちに観せてあげなきゃいけないし・・・
はてさて、ちゃんと動けるのか?
出稽古にくる知人が錫杖をしたいとご所望なので、1年半振りに錫杖と如意棒を思う存分やろうと思います。
そういや、錫杖は2ヶ月前の祭りで即興単演をやったなぁ。
如意は家でも振り回してますが、最近は家で錫杖を振ってないからなぁ。
振り回せるか心配だ。。。
ゲキレンジャーが放送されてる内に、ヌンチャクとトンファーと流星錘も子供たちに観せてあげなきゃいけないし・・・
はてさて、ちゃんと動けるのか?
2007/11/26のBlog
[ 10:00 ]
[ 法話 ]
人には、これが揃えば申し分ないといえることがある。
それは、『健康(心身)』『人間関係』『仕事(奉仕)』『経済力』の4つだ。
まずは、心身ともに「健康」なことである。
健康体でなければ、やりたいことも制限されてしまう。
五体満足であることは、何よりも幸せなことである。
ハンディキャップを抱えていても、健全な精神を持っている方は輝いている。
心身ともに「健康」であることは、至極幸せなことである。
次は、「人間関係」である。
家族や親戚だけでなく、友人など「仲間」がたくさんいることは、とても力強いものである。
喜びや悲しみを一緒に分かち合うことができる仲間がいることは、大変幸せなことである。
「信用」とは信じることを用いること。極端に例えるならば銭の貸し借りみたいなものだ!
「信頼」とは信じて頼れること。人から「信用」ではなく「信頼」される人間になりたい。
親しみあい援けあえる仲間を増やし,善縁を運び育てる努力をしよう。
それから、「仕事」である。
仕事とは本来、奉仕のことである。
人には、得手・不得手がある。
「自分の得意なことを用いて、相手の望むことをしてあげること。」
自分が不得手なことを得意とする人にしてもらい、それに対してお礼をする。
これが、仕事の始まりなのだ。
与えることに喜びを感じることができるよう、余裕を持てたら素晴らしい。
最後に、「経済力」である。
どんなキレイごとを言っても経済苦がある現代においては、やはり生活する上では何かと必要になるものだ。あるに越したことはない。
この4つが合わされば『四合わせ』、つまり『幸せ』なのだ!
10年以上も前のお酒の席での法話でしたが、少林寺拳法の教えである「自己確立」と「自他共楽」の二法門は、『幸せ』への究極の道しるべなのだと改めて実感したことを、今でも強く覚えています。
それは、『健康(心身)』『人間関係』『仕事(奉仕)』『経済力』の4つだ。
まずは、心身ともに「健康」なことである。
健康体でなければ、やりたいことも制限されてしまう。
五体満足であることは、何よりも幸せなことである。
ハンディキャップを抱えていても、健全な精神を持っている方は輝いている。
心身ともに「健康」であることは、至極幸せなことである。
次は、「人間関係」である。
家族や親戚だけでなく、友人など「仲間」がたくさんいることは、とても力強いものである。
喜びや悲しみを一緒に分かち合うことができる仲間がいることは、大変幸せなことである。
「信用」とは信じることを用いること。極端に例えるならば銭の貸し借りみたいなものだ!
「信頼」とは信じて頼れること。人から「信用」ではなく「信頼」される人間になりたい。
親しみあい援けあえる仲間を増やし,善縁を運び育てる努力をしよう。
それから、「仕事」である。
仕事とは本来、奉仕のことである。
人には、得手・不得手がある。
「自分の得意なことを用いて、相手の望むことをしてあげること。」
自分が不得手なことを得意とする人にしてもらい、それに対してお礼をする。
これが、仕事の始まりなのだ。
与えることに喜びを感じることができるよう、余裕を持てたら素晴らしい。
最後に、「経済力」である。
どんなキレイごとを言っても経済苦がある現代においては、やはり生活する上では何かと必要になるものだ。あるに越したことはない。
この4つが合わされば『四合わせ』、つまり『幸せ』なのだ!
10年以上も前のお酒の席での法話でしたが、少林寺拳法の教えである「自己確立」と「自他共楽」の二法門は、『幸せ』への究極の道しるべなのだと改めて実感したことを、今でも強く覚えています。
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