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2005/09/11のBlog
[ 21:24 ]
3月30日にデンマークを離れる前に最後の記事を書いて以来、新しい記事も皆様へのコメントの返事も一切書いていませんでした。書くことによって、また続きを書くのではと期待を持たせるのではないか、皆様の時間を無駄にすることになるのではないかと思い、書きませんでした。すみませんでした。
そのようなわけで、ここを、放っておいたのですが、驚いたことに毎日50名ほどのお客様に訪問いただき、今日40000を越えました。それで、皆様へお礼を言わねばとこれを書いています。ご訪問ありがとうございました。
近況ですが、日本へ戻ってからは、デンマークへ行く前の世界に引き戻され忙しく日々を送ってきました。時間的にも、気分的にも、また、変わり映えのしない日常を書く気にもなれませんでした。
4月以来気持ちの余裕のない日が続いていたのですが、この夏に鳥海山と阿蘇の高岳に登りました。二つの山のまわりの緑の濃さに触れて、少し元気が出てきました。すると、またブログを書いてみたくなりました。こことは別のタイトルにすることにしました。それで、ニックネームは本名のtakaoを使えませんので、それに似た名前にして、今日から始めることにしました。コメントをいただいた皆様のところに、ニックネームが、takao似の人が訪問していたらぼくかもしれません。お暇なときに、訪問していただければ嬉しく思います。
そのようなわけで、ここを、放っておいたのですが、驚いたことに毎日50名ほどのお客様に訪問いただき、今日40000を越えました。それで、皆様へお礼を言わねばとこれを書いています。ご訪問ありがとうございました。
近況ですが、日本へ戻ってからは、デンマークへ行く前の世界に引き戻され忙しく日々を送ってきました。時間的にも、気分的にも、また、変わり映えのしない日常を書く気にもなれませんでした。
4月以来気持ちの余裕のない日が続いていたのですが、この夏に鳥海山と阿蘇の高岳に登りました。二つの山のまわりの緑の濃さに触れて、少し元気が出てきました。すると、またブログを書いてみたくなりました。こことは別のタイトルにすることにしました。それで、ニックネームは本名のtakaoを使えませんので、それに似た名前にして、今日から始めることにしました。コメントをいただいた皆様のところに、ニックネームが、takao似の人が訪問していたらぼくかもしれません。お暇なときに、訪問していただければ嬉しく思います。
2005/03/30のBlog
[ 03:41 ]
[ アンデルセン ]
アンデルセンの童話の「幸福の長靴」の中に
コペンハーゲンの人ならだれでも、コペンハーゲンにあるフレデリック病院の入り口がどうなっているか知っていますね。(途中略)
この病院はかなり高い柵で往来から隔てられていますが、その柵は、太い鉄の棒がならんでいて、そのすき間は、ずいぶんからだのやせている助手でも、やっとのことですり抜けることができるくらいなのです。
とあります。200年に生まれたアンデルセンが書いた話ですから、ずいぶん前の話です。これを読んで、日本人ならば、フレデリック病院が現在もあるなどと思う人はあまりいないかと思います。ところが、フレデリック病院そのものはもうやっていませんが、建物は現存し、工芸美術館として使われています。古いものを使い続けることは、デンマークでは当り前のようです。200年前どころか、地方では、15世紀だか、16世紀に作られた養老院が今も養老院で存続しているようです。
ノーベル平和賞のマータイさんが、日本語の「もったいない」に感銘を受けたとのことですが、今も日本人に「もったいない」という感覚があるかどうかは疑わしいことです。嫁と畳以外も新しければ良いと思っている人が大半という気がします。アメリカ万歳主義の日本は、アメリカの大量生産大量消費の使い捨て文化にどっぷりとつかり、そのことを当然としている気がします。デンマークでは数百年前の建物を「もったいない」と使い続けています。
大量生産とは、大量のエネルギーを消費し、大量の廃棄物を生産すると言うことです。環境の負荷を無視する経済の考え方です。愚かなるアメリカ礼賛を止め、古い日本の「もったいない」の時代のもどること、アメリカ文化に侵される以前の常識であることが環境への負荷を減らすひとつの方法だと思います。別に不可能な話ではありません。デンマークでは大量生産大量消費文化であるアメリカの影響を受けながらも、自国の文化を持ち続けています。日本もできないわけではありません。
コペンハーゲンの人ならだれでも、コペンハーゲンにあるフレデリック病院の入り口がどうなっているか知っていますね。(途中略)
この病院はかなり高い柵で往来から隔てられていますが、その柵は、太い鉄の棒がならんでいて、そのすき間は、ずいぶんからだのやせている助手でも、やっとのことですり抜けることができるくらいなのです。
とあります。200年に生まれたアンデルセンが書いた話ですから、ずいぶん前の話です。これを読んで、日本人ならば、フレデリック病院が現在もあるなどと思う人はあまりいないかと思います。ところが、フレデリック病院そのものはもうやっていませんが、建物は現存し、工芸美術館として使われています。古いものを使い続けることは、デンマークでは当り前のようです。200年前どころか、地方では、15世紀だか、16世紀に作られた養老院が今も養老院で存続しているようです。
ノーベル平和賞のマータイさんが、日本語の「もったいない」に感銘を受けたとのことですが、今も日本人に「もったいない」という感覚があるかどうかは疑わしいことです。嫁と畳以外も新しければ良いと思っている人が大半という気がします。アメリカ万歳主義の日本は、アメリカの大量生産大量消費の使い捨て文化にどっぷりとつかり、そのことを当然としている気がします。デンマークでは数百年前の建物を「もったいない」と使い続けています。
大量生産とは、大量のエネルギーを消費し、大量の廃棄物を生産すると言うことです。環境の負荷を無視する経済の考え方です。愚かなるアメリカ礼賛を止め、古い日本の「もったいない」の時代のもどること、アメリカ文化に侵される以前の常識であることが環境への負荷を減らすひとつの方法だと思います。別に不可能な話ではありません。デンマークでは大量生産大量消費文化であるアメリカの影響を受けながらも、自国の文化を持ち続けています。日本もできないわけではありません。
2005/03/29のBlog
[ 02:41 ]
いよいよ明後日デンマークを発つことになりました。
ところが、先週の木曜日から郵便局は閉まったままで、日本に荷物を
送ることができません。荷物を詰める段ボール箱(郵便局で買える)がなく
出発の準備ができなません。
更に、掃除等で忙しいときに昨日は一日が23時間しかありませんでした(夏時間開始)。
明日中には全て掃除も、荷造りも、発送も行わなくてはいけないのですが
ひょっとして明日も郵便局は閉まっているかもしれません。明後日は開くはずです。
明後日の出発当日全部やるのも、何か決定的なミスをしそうで嫌なのですが
そうなるかもしれません。
日本へのお土産も店が閉まっていて何も買えません。
出発の日にデーニッシュペーストリーを買って行こうかと思うのですが、
日本に着くまでに美味しくなくなるかもしれません。
こちらのパン屋さんでは、パンは紙袋に入れてくれるのですが、パンを
サランラップに包んだ方が良いのか、それとも紙袋をビニール袋に包むくらいが良いのか、よくわかりません。
当日暇がなさそうなので、ビニール袋に入れるだけになるかと思います。
ところが、先週の木曜日から郵便局は閉まったままで、日本に荷物を
送ることができません。荷物を詰める段ボール箱(郵便局で買える)がなく
出発の準備ができなません。
更に、掃除等で忙しいときに昨日は一日が23時間しかありませんでした(夏時間開始)。
明日中には全て掃除も、荷造りも、発送も行わなくてはいけないのですが
ひょっとして明日も郵便局は閉まっているかもしれません。明後日は開くはずです。
明後日の出発当日全部やるのも、何か決定的なミスをしそうで嫌なのですが
そうなるかもしれません。
日本へのお土産も店が閉まっていて何も買えません。
出発の日にデーニッシュペーストリーを買って行こうかと思うのですが、
日本に着くまでに美味しくなくなるかもしれません。
こちらのパン屋さんでは、パンは紙袋に入れてくれるのですが、パンを
サランラップに包んだ方が良いのか、それとも紙袋をビニール袋に包むくらいが良いのか、よくわかりません。
当日暇がなさそうなので、ビニール袋に入れるだけになるかと思います。
[ 02:04 ]
[ アンデルセン ]
アンデルセンの幼少時代を過ごした家はオーデンセに残っていますが、生まれた家に関しては知られていません。デンマークも、ごく最近までは、日本と同じように産婆さんがいて、家で赤ん坊を生むのが普通でした。諸説ある中で、ここだろうと言う家が写真上の建物です(オーデンーセにあるアンデルセン博物館の一部となっています)。ギルドにも属さないフリーの靴職人だった父と洗濯婦の母親との間に、200年前に生まれました。貧困の生活を更に苦しくしたのは、父親の35歳の若さでの死でした。少年時代を過ごしたとされる別の家は更に小さな家(写真下)です。父親の靴修理の工房の隙間で生活するよういな幼年時代であったろうと想像されます。そのような小さな空間の中で、子供時代のアンデルセンの想像力は大空を駆け巡っていたのだと思います。
生前に、本好きの父親が子供時代のアンデルセンに話を読んできかせたのが、アンデルセンの将来を作るきっかけだったかと思われます。また子供時代から芝居見物に熱中したことも彼の想像力を育てたのだと思います。ゲーテの母親は子供時代のゲーテに話を読み聞かせ最後の結論は話して聞かせなかったそうです。それが子供のゲーテの想像力を駆り立てたものと思われます。こう言う話を聞くと、子供時代に良い本を与えることが、子供の想像力を成長させるのだなと思います。
生前に、本好きの父親が子供時代のアンデルセンに話を読んできかせたのが、アンデルセンの将来を作るきっかけだったかと思われます。また子供時代から芝居見物に熱中したことも彼の想像力を育てたのだと思います。ゲーテの母親は子供時代のゲーテに話を読み聞かせ最後の結論は話して聞かせなかったそうです。それが子供のゲーテの想像力を駆り立てたものと思われます。こう言う話を聞くと、子供時代に良い本を与えることが、子供の想像力を成長させるのだなと思います。
アンデルセンはよく絵を描きました。旅行に行くときはメモ帳大のノートを常に持参して行く先々でスケッチをしています。絵を描くことにより景色の細部を観察する目が養われたものと思われます。また子供のときは地元オーデンセの芝居を見て育ち、後にはコペンハーゲンで劇のための脚本も書いています。このような経歴から想像するのですが、アンデルセンが文章を書く際に、彼の頭の中にはまずは映像があったのかもしれません。
絵だけでなくて、切り絵も得意でした。色紙を折って鋏で切り拡げると、対称な形をした人やいろいろな図形が現れます。アンデルセンは子供たちに話を聞かせながら切り絵を作り、話終えたときに、折り畳んで鋏を入れた切り絵を拡げ、現われたさまざまな形を見た子供たちが驚く様子を見るのが好きだったようです。人を歓待することが好きであったことを窺い知ることができます。
絵だけでなくて、切り絵も得意でした。色紙を折って鋏で切り拡げると、対称な形をした人やいろいろな図形が現れます。アンデルセンは子供たちに話を聞かせながら切り絵を作り、話終えたときに、折り畳んで鋏を入れた切り絵を拡げ、現われたさまざまな形を見た子供たちが驚く様子を見るのが好きだったようです。人を歓待することが好きであったことを窺い知ることができます。
2005/03/28のBlog
[ 03:07 ]
[ アンデルセン ]
アンデルセンは身長が高かったことで知られています。それで、2メートルほどかと思っていたのですが、実は185cmとでした。その高さならばデンマーク成人男子の平均じゃないかと思うでしょうが、デンマークが昔から巨人国だったわけではありません。1805年生まれですから、彼が成人した当時は今から180年前で、日本で言うと江戸時代です。当時の日本人男子の平均身長は150cmぐらいではなかったのでしょうか。
デンマークの成人男子の平均身長も当時は160cmぐらいだったようです。その中での185cmですから、平均よりも25cm、ほぼ首ひとつ抜きん出ていたようです。
デンマークの成人男子の平均身長も当時は160cmぐらいだったようです。その中での185cmですから、平均よりも25cm、ほぼ首ひとつ抜きん出ていたようです。