Blog
2008/02/16のBlog
[ 14:59 ]
今日の話題は、毒入り餃子事件の続きです。昨晩、かみさんが新聞を
みながら、話しかけてきました。
「おとうさん、例の餃子事件、中国の工場の人たちの側に、何もないと
いうのは嘘よね。」
かみさんがいおうとしているのは、JT(日本たばこ、旧専売公社)が手を
貸して作った中国の工場、近代的な設備で、衛生面にも配慮している
この工場には問題がないと、中国の工場幹部が、「調査結果」につい
てコメントし、その映像がTV画面に映し出されました。かみさんは、
そのコメントがおかしいと批判しているのです。
「日本国内の流通過程で問題がなければ、製造段階混入説が有力に
なるね。中国当局は、きちんと調べているようだし、もう少し結果が出
揃ってから結論を出したほうが賢明なのではないかな。」
どんな犯罪には必ず動機があります。中国人従業員の待遇面は経済
的にも劣悪で、日本人の労働者の十分の一から二十分の一。多くの
人が不満を抱えています。社会主義体制の国、例えばベトナムでも同
じことがいえますが、現地の日本企業で働く従業員の賃金は、あまりに
も低く、人々のくらしは、とても苦しい。その点については、あまり情報
が流れてきません。どちらの国も、政府が知られて欲しくないことは規
制しているからです。こうした規制は集権的的独裁政権のマイナス面
で、社会の透明性が低いことが問題です。透明度が低ければ、一般に
は何が問題になっているかは分からないし、批判的に議論することな
ど論外なのです。
権限行使や意思決定過程の透明性の欠如は、中国でも同じです。体
制維持にとって都合の悪い情報の流出は、当局が抑えてしまいます。
取材規制はもちろん、報道規制にあります。従業員の不満分子につい
ての調査は、現地の警察当局が政府の監視下で、容疑者を連行して
厳しくとり調べています。中国の国家主席がまもなく日本にやって来る
ことになっている。北京オリンピックも秒読み段階に入っています。こう
した政治日程を考えると、中国政府も、日本政府も、この事件を一刻も
早く収束させたいと考えているのです。
「日本国内の流通過程で、毒物が混入する可能性はないんでしょ。
だって毒物の農薬、日本でとっくの昔に禁止されて、今では使っていな
いものだっていうじゃない。」
「たしかにそうだ。昔使っていた農薬で、人の身体に悪いことが判明し
たから、日本では禁止されて、今では使われていない。でも中国で
は大いに使われている種類だそうです。」
「国内での混入がシロということになれば、残りは製造段階。でも、もし
日本で混入されたということになると、どんなことになるの。」
「それは大変なことになるね。食材の自給率は現在4割。先進工業国
では最低の数字だよ。そして中国からの輸入が圧倒的に多くを占めて
いる。その輸入食材が安全でないとなると、食料をめぐる大量生産=
大量消費のシステムが成り立たなくなるから、これは間違いなく、社会
にとって死活問題だね。」
かみさんは、製造段階と、日本に向けた出荷段階に、毒物混入が行わ
れた可能性があるのではないかと疑っているのです。もちろん、日本
国内の流通過程で、毒物が混入したということになると、中国の食材に
多くを依存している日本の食糧供給システムは、ひどい打撃を受け、
混乱に拍車がかかることは目に見えています。だから福田さんが横浜
税関で、パフォーマンスをやってのけた。輸入食材の残留農薬検査を
視察して、政府もこの問題に真剣に取り組んでいるぞと、マスコミを
使って国民にアピールしたのです。
すでにテレビで報道されたことですが、北京五輪の外国人選手村の食
事は、アメリカの大手外食産業が、一手に取りしきることになっていま
す。国によっては食材を持ち込むところも出てくるはずです。アメリカの
外食産業は、たぶん安全な食材を海外から運ぶことになるのではない
かと思います。もちろん、こんなやり方は、中国の食材産業やレストラ
ン、ホテル側にとっては、面白いはずがない。政府当局にも不愉快な
事態なのです。
中国政府は、供給側に問題があるにしても、一部の不満分子のせい
にして、早く、幕引きをはかりたいのです。かみさんの好奇心は、そこ
に向かっている。それでは問題の解決にはならない。中国の労働者
は、日本の労働者のようにおとなしくない。資本家の横暴は認めないと
いうイデオロギーが、まだ根強く大衆の中に残っている。特に競争が激
しくなると、人件費抑制のためにリストラが行われる。解雇されることに
なった労働者は、資本主義を憎み、会社を激しく恨む。そしてその腹い
せに、毒物を加工食品に混入する可能性は十分否定できないくらい高
いのです。
これは浅見光彦流の推理で、かみさんがやって見せた推理過程なの
です。中国餃子毒物混入問題は、かって日本のグリコ・森永事件に比
較して、今日の食料の安全な生産=供給体制に深刻な影響を及ぼす
点と、影響の及ぶ範囲も桁違いに大きいことが明らかになりました。
文明化された都市空間に住む大勢の国民の、大量生産=大量消費
システムが、脆弱なアキレス腱をかかえていることが、白日の下に明
らかになったことはいうまでもありません。
ただ、食材の安全性の問題がこの時期に発生した理由、そしてアメリ
カ外食産業との関係は、依然不透明のままなのです。かみさんにこの
ことは話さないことにしておきます。めったなことを言われてはたまらな
いからです。
みながら、話しかけてきました。
「おとうさん、例の餃子事件、中国の工場の人たちの側に、何もないと
いうのは嘘よね。」
かみさんがいおうとしているのは、JT(日本たばこ、旧専売公社)が手を
貸して作った中国の工場、近代的な設備で、衛生面にも配慮している
この工場には問題がないと、中国の工場幹部が、「調査結果」につい
てコメントし、その映像がTV画面に映し出されました。かみさんは、
そのコメントがおかしいと批判しているのです。
「日本国内の流通過程で問題がなければ、製造段階混入説が有力に
なるね。中国当局は、きちんと調べているようだし、もう少し結果が出
揃ってから結論を出したほうが賢明なのではないかな。」
どんな犯罪には必ず動機があります。中国人従業員の待遇面は経済
的にも劣悪で、日本人の労働者の十分の一から二十分の一。多くの
人が不満を抱えています。社会主義体制の国、例えばベトナムでも同
じことがいえますが、現地の日本企業で働く従業員の賃金は、あまりに
も低く、人々のくらしは、とても苦しい。その点については、あまり情報
が流れてきません。どちらの国も、政府が知られて欲しくないことは規
制しているからです。こうした規制は集権的的独裁政権のマイナス面
で、社会の透明性が低いことが問題です。透明度が低ければ、一般に
は何が問題になっているかは分からないし、批判的に議論することな
ど論外なのです。
権限行使や意思決定過程の透明性の欠如は、中国でも同じです。体
制維持にとって都合の悪い情報の流出は、当局が抑えてしまいます。
取材規制はもちろん、報道規制にあります。従業員の不満分子につい
ての調査は、現地の警察当局が政府の監視下で、容疑者を連行して
厳しくとり調べています。中国の国家主席がまもなく日本にやって来る
ことになっている。北京オリンピックも秒読み段階に入っています。こう
した政治日程を考えると、中国政府も、日本政府も、この事件を一刻も
早く収束させたいと考えているのです。
「日本国内の流通過程で、毒物が混入する可能性はないんでしょ。
だって毒物の農薬、日本でとっくの昔に禁止されて、今では使っていな
いものだっていうじゃない。」
「たしかにそうだ。昔使っていた農薬で、人の身体に悪いことが判明し
たから、日本では禁止されて、今では使われていない。でも中国で
は大いに使われている種類だそうです。」
「国内での混入がシロということになれば、残りは製造段階。でも、もし
日本で混入されたということになると、どんなことになるの。」
「それは大変なことになるね。食材の自給率は現在4割。先進工業国
では最低の数字だよ。そして中国からの輸入が圧倒的に多くを占めて
いる。その輸入食材が安全でないとなると、食料をめぐる大量生産=
大量消費のシステムが成り立たなくなるから、これは間違いなく、社会
にとって死活問題だね。」
かみさんは、製造段階と、日本に向けた出荷段階に、毒物混入が行わ
れた可能性があるのではないかと疑っているのです。もちろん、日本
国内の流通過程で、毒物が混入したということになると、中国の食材に
多くを依存している日本の食糧供給システムは、ひどい打撃を受け、
混乱に拍車がかかることは目に見えています。だから福田さんが横浜
税関で、パフォーマンスをやってのけた。輸入食材の残留農薬検査を
視察して、政府もこの問題に真剣に取り組んでいるぞと、マスコミを
使って国民にアピールしたのです。
すでにテレビで報道されたことですが、北京五輪の外国人選手村の食
事は、アメリカの大手外食産業が、一手に取りしきることになっていま
す。国によっては食材を持ち込むところも出てくるはずです。アメリカの
外食産業は、たぶん安全な食材を海外から運ぶことになるのではない
かと思います。もちろん、こんなやり方は、中国の食材産業やレストラ
ン、ホテル側にとっては、面白いはずがない。政府当局にも不愉快な
事態なのです。
中国政府は、供給側に問題があるにしても、一部の不満分子のせい
にして、早く、幕引きをはかりたいのです。かみさんの好奇心は、そこ
に向かっている。それでは問題の解決にはならない。中国の労働者
は、日本の労働者のようにおとなしくない。資本家の横暴は認めないと
いうイデオロギーが、まだ根強く大衆の中に残っている。特に競争が激
しくなると、人件費抑制のためにリストラが行われる。解雇されることに
なった労働者は、資本主義を憎み、会社を激しく恨む。そしてその腹い
せに、毒物を加工食品に混入する可能性は十分否定できないくらい高
いのです。
これは浅見光彦流の推理で、かみさんがやって見せた推理過程なの
です。中国餃子毒物混入問題は、かって日本のグリコ・森永事件に比
較して、今日の食料の安全な生産=供給体制に深刻な影響を及ぼす
点と、影響の及ぶ範囲も桁違いに大きいことが明らかになりました。
文明化された都市空間に住む大勢の国民の、大量生産=大量消費
システムが、脆弱なアキレス腱をかかえていることが、白日の下に明
らかになったことはいうまでもありません。
ただ、食材の安全性の問題がこの時期に発生した理由、そしてアメリ
カ外食産業との関係は、依然不透明のままなのです。かみさんにこの
ことは話さないことにしておきます。めったなことを言われてはたまらな
いからです。
2008/02/15のBlog
[ 23:56 ]
素朴な倫理観
家内がどうして気持ちを変えたのか。ここからは私の推理ですが、不
遇な人生を送った叔父のために、Fさんたちと協力して葬儀を行った
ことが案外大きい決め手になったのではないかと想像しています。Fさ
んたちの無償の善意に接して、女性特有の狭い考えの殻を取り払うこ
とが出来たのかもしれません。
どちらかといえば、仕事人間だった私は、男は仕事、女は家事と、「夫
婦分業論」が合理的で、いいのだと単純に考えていました。でも夫婦が
一つになるのは、出産、育児、教育と、子供を生み育てて一人前にす
るために協力せざるを得ない状況があるからだと思います。親になる
という自覚を持って、力を助け合わなければ、今日のような厳しい世の
中では、まともな子育てはできないからだと思います。
私の母は、私が7歳のとき父を脳溢血で亡くし、それから、女手一つで
三人の子供を育ててきました。そばで実際に見ていましたから、一人で
三人の子供を育てるのがどれだけ大変かが分かります。そして、もう
一つ、子育てと並んで、冠婚葬祭など、家の大事な行事を力をあわせ
てやり遂げたとき、二人の人間的な結びつきが強くなるのではないで
しょうか。見方を変えれば、人生は夫婦が力をあわせて生きていくよう
に、プログラムされているのかも知れません。
かみさんは、生活の足しにするために、子供達にピアノを教えてきた。
私は外で仕事です。普通の夫婦の場合、奥さんは家事専門ですが、わ
が家の場合は、かみさんは二役をこなさなければならなかった。二重
の負荷が長い間かみさんにかかった。もちろん理由は、甲斐性のない
夫、私に責任がある。そして、かわいそうなことに病に冒されることに
なったのです。
話が回りくどくなってしまいましたが、知恵遅れのような叔父を引取ろう
といい出したのはなぜか。そのわけです。叔父の不遇に同情する気持
ちが、母の境遇にも同情する気持ちを生んだのかも知れません。そし
て、家族が不遇なら、身内が面倒を見るのは当然という、素朴な倫理
観が、かみさんの無意識の中に強く根ざしていたからかも知れませ
ん。結婚する前、彼女の家庭に出入りするうちに、一つだけ強く感じた
ことがあります。
両親はどちらも田舎の出身です。父親は栃木の山奥、周囲には何も
ない寒村で育ち、母親は新潟の豪雪地帯、山古志村あたりで生まれた
ようです。二人とも散々苦労して成人した。特に母親は、家が貧しくて
子供の頃に養女に出され、戦前、東京の下町の小さな菓子製造工場
で、他人の中で成人しました。
父親は、7人兄弟の2番目で、早くから東京に出て、トラックの運転手に
なった。戦争中は横浜の海軍基地で物資運搬の任務に従事した経験
の持ち主です。終戦直前に、横須賀では、人間魚雷に搭乗する特攻隊
員の募集がありました。ある日、兵隊を一列に並ばせて、上官が怒鳴
ります。「お国のために、志願するものは前に出ろ」と。その瞬間、義父
には家族の顔が目の前に浮かんだ。家族を残しては死ねない。足が
すくんで前に出られない。
夜、上官に呼び出され、「非国民!」とののしられ、バットで尻がはれ上
がるほど殴られた。立ち上がれないほどです。そして8月15日に終戦を
迎える。食料を山ほどトラックに積んで、栃木の疎開先に行っていいと
上官にいわれた。そして行ってみて驚いた。奥さんと子供達は狭い鳥
小屋の中で暮らしていたのです。あまりにもひどい仕打ちです。それま
でどれだけ実家に尽くし、送金したか分からなかった。でもこの仕打ち
です。家族が人間以下の扱いを受けている。悔しくて、涙が止まらな
い。かみさんの親爺は声を上げて泣きました。翌日家族全員をトラック
に載せ、焼け野原の東京に急いで戻りました。かみさんとの結婚式の
数日前に、義父は一番苦しかった経験を話してくれました。その義父
は今年95歳になります。
田舎出の無教養の人間だから、常識に欠けているように思われること
もありました。でも散々苦労したから、人の苦労がわかるのでしょう。そ
して、何よりも子供に対する気持ちは半端ではない。私の母の場合も、
似たようなところがありました。私は下町で育ったので、都立の高校に
進みたいと思ったのですが、もうその頃には、母の手許には、わずか
な入学金を払う金も残っていない。
だから、造船所の工員を養成する研修所のような学校に進むことにな
りました。週の半分は教室で勉強し、半分は現場で実習です。夏休み
も、冬休みも現場で、大人たちに混じって見習いの仕事をします。そこ
で、社会の底辺を支える生身の人々の暮らしに接する機会を得たので
す。組合の活動もわかりました。醜い政治的な主導権争いも、直接、
見聞することになりました。20歳まで造船所で働くことになりましたが、
かみさんとの出会いはそれから10年後のことです。
話は前後しますが、かみさんが母親を引き取ろうと本気で考え、そして
実行に移しました。とりあえず、近くに中古の一軒家を探そうと意見が
一致したのです。
家内がどうして気持ちを変えたのか。ここからは私の推理ですが、不
遇な人生を送った叔父のために、Fさんたちと協力して葬儀を行った
ことが案外大きい決め手になったのではないかと想像しています。Fさ
んたちの無償の善意に接して、女性特有の狭い考えの殻を取り払うこ
とが出来たのかもしれません。
どちらかといえば、仕事人間だった私は、男は仕事、女は家事と、「夫
婦分業論」が合理的で、いいのだと単純に考えていました。でも夫婦が
一つになるのは、出産、育児、教育と、子供を生み育てて一人前にす
るために協力せざるを得ない状況があるからだと思います。親になる
という自覚を持って、力を助け合わなければ、今日のような厳しい世の
中では、まともな子育てはできないからだと思います。
私の母は、私が7歳のとき父を脳溢血で亡くし、それから、女手一つで
三人の子供を育ててきました。そばで実際に見ていましたから、一人で
三人の子供を育てるのがどれだけ大変かが分かります。そして、もう
一つ、子育てと並んで、冠婚葬祭など、家の大事な行事を力をあわせ
てやり遂げたとき、二人の人間的な結びつきが強くなるのではないで
しょうか。見方を変えれば、人生は夫婦が力をあわせて生きていくよう
に、プログラムされているのかも知れません。
かみさんは、生活の足しにするために、子供達にピアノを教えてきた。
私は外で仕事です。普通の夫婦の場合、奥さんは家事専門ですが、わ
が家の場合は、かみさんは二役をこなさなければならなかった。二重
の負荷が長い間かみさんにかかった。もちろん理由は、甲斐性のない
夫、私に責任がある。そして、かわいそうなことに病に冒されることに
なったのです。
話が回りくどくなってしまいましたが、知恵遅れのような叔父を引取ろう
といい出したのはなぜか。そのわけです。叔父の不遇に同情する気持
ちが、母の境遇にも同情する気持ちを生んだのかも知れません。そし
て、家族が不遇なら、身内が面倒を見るのは当然という、素朴な倫理
観が、かみさんの無意識の中に強く根ざしていたからかも知れませ
ん。結婚する前、彼女の家庭に出入りするうちに、一つだけ強く感じた
ことがあります。
両親はどちらも田舎の出身です。父親は栃木の山奥、周囲には何も
ない寒村で育ち、母親は新潟の豪雪地帯、山古志村あたりで生まれた
ようです。二人とも散々苦労して成人した。特に母親は、家が貧しくて
子供の頃に養女に出され、戦前、東京の下町の小さな菓子製造工場
で、他人の中で成人しました。
父親は、7人兄弟の2番目で、早くから東京に出て、トラックの運転手に
なった。戦争中は横浜の海軍基地で物資運搬の任務に従事した経験
の持ち主です。終戦直前に、横須賀では、人間魚雷に搭乗する特攻隊
員の募集がありました。ある日、兵隊を一列に並ばせて、上官が怒鳴
ります。「お国のために、志願するものは前に出ろ」と。その瞬間、義父
には家族の顔が目の前に浮かんだ。家族を残しては死ねない。足が
すくんで前に出られない。
夜、上官に呼び出され、「非国民!」とののしられ、バットで尻がはれ上
がるほど殴られた。立ち上がれないほどです。そして8月15日に終戦を
迎える。食料を山ほどトラックに積んで、栃木の疎開先に行っていいと
上官にいわれた。そして行ってみて驚いた。奥さんと子供達は狭い鳥
小屋の中で暮らしていたのです。あまりにもひどい仕打ちです。それま
でどれだけ実家に尽くし、送金したか分からなかった。でもこの仕打ち
です。家族が人間以下の扱いを受けている。悔しくて、涙が止まらな
い。かみさんの親爺は声を上げて泣きました。翌日家族全員をトラック
に載せ、焼け野原の東京に急いで戻りました。かみさんとの結婚式の
数日前に、義父は一番苦しかった経験を話してくれました。その義父
は今年95歳になります。
田舎出の無教養の人間だから、常識に欠けているように思われること
もありました。でも散々苦労したから、人の苦労がわかるのでしょう。そ
して、何よりも子供に対する気持ちは半端ではない。私の母の場合も、
似たようなところがありました。私は下町で育ったので、都立の高校に
進みたいと思ったのですが、もうその頃には、母の手許には、わずか
な入学金を払う金も残っていない。
だから、造船所の工員を養成する研修所のような学校に進むことにな
りました。週の半分は教室で勉強し、半分は現場で実習です。夏休み
も、冬休みも現場で、大人たちに混じって見習いの仕事をします。そこ
で、社会の底辺を支える生身の人々の暮らしに接する機会を得たので
す。組合の活動もわかりました。醜い政治的な主導権争いも、直接、
見聞することになりました。20歳まで造船所で働くことになりましたが、
かみさんとの出会いはそれから10年後のことです。
話は前後しますが、かみさんが母親を引き取ろうと本気で考え、そして
実行に移しました。とりあえず、近くに中古の一軒家を探そうと意見が
一致したのです。
2008/02/13のBlog
[ 17:09 ]
かみさんのオルガンの演奏で、ホームに住んでいるお年寄りが、次々
に菊の花を遺影の前にささげ、お辞儀する。ここは、老人ホームの集
会所。にぎやかなお別れの会になった。急遽、駆けつけた地区の神父
さんも満足そうな顔でみまもっている。神父さんが来なかったら、自分
でやるしかないな。そのときは無宗教のお別れの会になる。責任者のF
さんにも話しておいた。野辺の送りは、必ずしも宗教ではなくてもいい
のだ。
もっとも、出先から駆けつけた神父さんの服装も、普段の黒ズボンに
ワイシャツ姿で、その上に袈裟のようなものをつけた簡単なものだっ
た。善意の奉仕活動なのだから、教会でミサを行う際の正式のコス
チューム、煌(きら)びやかな服装を身に纏わなくてかまわない。でも
それがとても叔父には相応しいような気がした。何しろ職業的な僧侶
に対するお礼の心配もいらないし、すべての形式を省いた心のこもっ
たお別れ会なのだから。
叔父の預金は、Fさんが管理していてくれたから、葬式を出す金と埋葬
に要する費用、そして、遺族へのわずかな遺産、そうしたものがきちん
と用意されていた。預金通帳を見せられて改めて、Fさんの誠実な人柄
に接して、胸が熱くなり、涙が止まらなくて困った。人生の最後に、こう
した真人間に出会えた叔父は幸せだったに違いない。世の中を支え
ているのは、実はこうした善意の人たちなのだろうと強く思った。
ところで、この叔父にはもう一人兄がいて、その兄には息子が一人い
た。彼は外資系の金融機関に勤めていて、当日、なかなか休みが取
れないらしい。Fさんは、何度も連絡を取り、当日の式にやっと間に合っ
た。その従兄弟とは初対面だったが、叔父の預金の使い道を話すと、
全面的に賛成してくれた。だからFさんにお願して、用意した金のすべ
てを葬儀費用に回すことにしたのだ。そしてお別れ会の後、ホームの
入居者全員にお寿司をご馳走することにした。もちろん叔父の意志と
いうことにして。寿司は叔父の大好物だったことも、理由の一つでは
あったが。
近くの公営火葬場へは、同じホームの入居者数名が同行してくれた。
Fさんと私にかみさん、それに外資系の会社に勤める従兄弟。ほんと
に少人数の野辺の送りになった。叔父の部屋には、一度だけ夏休み
利用して泊めてもらったことがある。もちろんFさんの好意だが、その
とき隣部屋のMさんを知った。早朝、一緒に食事をしたのだ。そのM
さんが、火葬場に行ってくれた。
「あなたの叔父さんは、朝の早い人でした。6時半になると食堂の決
まった席で朝食を待っている人でしたよ。2番目が私で、いつも朝食
は一緒でした。」
「そうですか。いつもご一緒でしたか。」
「それに、すごいヘビースモーカーでした。部屋の畳が焦げるほど
の。・・・」
Mさんは、おかしそうに笑った。お尻から煙が出るほどのスモーカー
だともいった。今でもそのときの様子が目に浮かんで、ひとりでに心
が和む。穏やかな感じの人で、どうしてこんな辺鄙な場所に建つ老人
ホームにいるのか不思議に思った。もちろんそんな疑問は間違って
も口にはだせない。
火葬場から戻った数日後、かみさんは、一人暮らしの母を引き取るこ
とにしようと切りだした。埼玉県に住む母は、体調が悪く、施設を出た
り入ったりしていたのだ。どうしてそういう結論を出したのか。もちろん、
叔父の野辺の送りの経験が背景にあることはいうまでもない。それが
心境の変化に繋がったのだ。
に菊の花を遺影の前にささげ、お辞儀する。ここは、老人ホームの集
会所。にぎやかなお別れの会になった。急遽、駆けつけた地区の神父
さんも満足そうな顔でみまもっている。神父さんが来なかったら、自分
でやるしかないな。そのときは無宗教のお別れの会になる。責任者のF
さんにも話しておいた。野辺の送りは、必ずしも宗教ではなくてもいい
のだ。
もっとも、出先から駆けつけた神父さんの服装も、普段の黒ズボンに
ワイシャツ姿で、その上に袈裟のようなものをつけた簡単なものだっ
た。善意の奉仕活動なのだから、教会でミサを行う際の正式のコス
チューム、煌(きら)びやかな服装を身に纏わなくてかまわない。でも
それがとても叔父には相応しいような気がした。何しろ職業的な僧侶
に対するお礼の心配もいらないし、すべての形式を省いた心のこもっ
たお別れ会なのだから。
叔父の預金は、Fさんが管理していてくれたから、葬式を出す金と埋葬
に要する費用、そして、遺族へのわずかな遺産、そうしたものがきちん
と用意されていた。預金通帳を見せられて改めて、Fさんの誠実な人柄
に接して、胸が熱くなり、涙が止まらなくて困った。人生の最後に、こう
した真人間に出会えた叔父は幸せだったに違いない。世の中を支え
ているのは、実はこうした善意の人たちなのだろうと強く思った。
ところで、この叔父にはもう一人兄がいて、その兄には息子が一人い
た。彼は外資系の金融機関に勤めていて、当日、なかなか休みが取
れないらしい。Fさんは、何度も連絡を取り、当日の式にやっと間に合っ
た。その従兄弟とは初対面だったが、叔父の預金の使い道を話すと、
全面的に賛成してくれた。だからFさんにお願して、用意した金のすべ
てを葬儀費用に回すことにしたのだ。そしてお別れ会の後、ホームの
入居者全員にお寿司をご馳走することにした。もちろん叔父の意志と
いうことにして。寿司は叔父の大好物だったことも、理由の一つでは
あったが。
近くの公営火葬場へは、同じホームの入居者数名が同行してくれた。
Fさんと私にかみさん、それに外資系の会社に勤める従兄弟。ほんと
に少人数の野辺の送りになった。叔父の部屋には、一度だけ夏休み
利用して泊めてもらったことがある。もちろんFさんの好意だが、その
とき隣部屋のMさんを知った。早朝、一緒に食事をしたのだ。そのM
さんが、火葬場に行ってくれた。
「あなたの叔父さんは、朝の早い人でした。6時半になると食堂の決
まった席で朝食を待っている人でしたよ。2番目が私で、いつも朝食
は一緒でした。」
「そうですか。いつもご一緒でしたか。」
「それに、すごいヘビースモーカーでした。部屋の畳が焦げるほど
の。・・・」
Mさんは、おかしそうに笑った。お尻から煙が出るほどのスモーカー
だともいった。今でもそのときの様子が目に浮かんで、ひとりでに心
が和む。穏やかな感じの人で、どうしてこんな辺鄙な場所に建つ老人
ホームにいるのか不思議に思った。もちろんそんな疑問は間違って
も口にはだせない。
火葬場から戻った数日後、かみさんは、一人暮らしの母を引き取るこ
とにしようと切りだした。埼玉県に住む母は、体調が悪く、施設を出た
り入ったりしていたのだ。どうしてそういう結論を出したのか。もちろん、
叔父の野辺の送りの経験が背景にあることはいうまでもない。それが
心境の変化に繋がったのだ。
[ 09:41 ]
この年になれば、自宅で仕事をすることもある。なにしろシニアになっ
てもう3年、今年で4年目に入る。書斎は一階にあるが、冬は寒い。日
当たりのいい二階に較べて一階は、まるで冷蔵庫のようだ。5度、6度
といった日も珍しくはない。かみさんではないが、「安物買いのつけが
まわってきた」にちがいないのだ。
この家を買うことになったのには訳がある。今から15年程前、叔父が
亡くなった直後に、かみさんの気持ちが急に変わった。それまで、母を
引き取ろうとしたが、どうしても首を縦には振らなかった。それが急に、
「おとうさん、お母さんを引き取ることにしましょう。」といった。善は急
げ。そこで急遽中古物件を探した。家なんて住めればいい。それくらい
気楽に考えていた。本当になさけない。家を買うという意味が、分かっ
ていなかった当時の自分の未熟さが、今、悔やまれてならない。
鹿島神宮のそばの老人ホームに入居していた叔父を看取ってからす
でに15年。そのホームの責任者、Fさんから、突然電話があり、車で
駆けつけた病院で見たのは、白い布のかかった叔父の顔だった。子供
の頃、浅草橋の近く、大きなイチョウのある高校のそばに家族4人が
住んでいた。そこに叔父がたづねてきたことがある。正月過ぎの一月
半ばだったと記憶する。那須のほうにある教会が運営する修道院で、
当時叔父は、用務員のような仕事をしているといった。
父はごろりと横になると、うなずきながら叔父の話を長い間、聞いてい
た。それから暫くして、買い物に出かけ、外で家族と一緒に食事をし
た。夜になって帰る叔父。上野から汽車に乗るのだろう。身の回りの品
や食料を沢山渡している母の姿が目に浮かぶ。まだ、十分もののない
時代だった。カーキ色の軍服を仕立て直した粗末な服装の叔父は、帽
子を被り、真っ暗な闇の中に一人消えていった。その叔父が目の前の
ベットに横たわっている。黄色い裸電球の光。かみさんと二人、物いわ
ぬ叔父の遺骸に合掌した。
責任者のFさんは、本当にいい人だった。300人もいる老人ホームを
一人で切り盛りする人物なのだが、地元の名家の跡取り息子で、地域
社会では人望も厚い。それでいてよく気の付く人物で、マラリアの後遺
症で知恵遅れのようになった叔父を、家族のように親身に世話してくれ
た。私の父は長男で、叔父は次男。戦前、一緒に山谷近くでセツルメ
ントをやっていた。今となっては、正確な場所は残念ながら、わからな
い。その叔父が学徒動員で南方に送られ、マラリアに感染した。運良く
命は取り留めたが、ひどい後遺症がのこり、生涯、独身で過ごすこと
になった。T大法学部卒という肩書きが、かえって裏目に出たのだ。
その叔父が鹿島の老人ホームに入居するいきさつをFさんから聞い
た。叔父は、S電工という会社の倉庫係をしていた。もちろん祖父の書
生をしていた男が、叔母と所帯を持ち、銀座の法律事務所を引き継い
だ。その叔父の紹介で倉庫係にしてもらったのだ。だから年金の受給
資格があったが、わずかな金が支給されると、家賃を払った残りの金
で、見境もなくものを買い、そして際限なく食べた。そして急性胃腸炎に
なる。その繰り返しの結果が胃潰瘍で、何度も入院した。悲しいこと
に、自分の食欲を抑える意思も、お金を管理する知恵も、病気の後遺
症ですっかり失っていたからだ。
見かねた民生委員の世話で、老人ホームをさがし、入居できるように
なり、そしてFさんと出会ったのだ。そのFさんの紹介で、地元の教会の
仲間との関係が出来、月に数回、日曜日の集会にも出かけるように
なった。理由は良くわからないが、多分、自分が亡くなったときの事を
叔父なりに心配したのだろう。祖父が生前購入した多磨墓地を、Fさん
の運転する車で見に行って、その帰りに、当時柏の会社の住宅に住ん
でいた私たちを訪ねてくれた。かみさんとは縁があったのだろう。不思
議と気が合うのが分かった。「いいわよ。あのおじさんなら引き取って
も。」人見知りの強いかみさんの口から。思いもかけない言葉が飛び
出した。(続く)
てもう3年、今年で4年目に入る。書斎は一階にあるが、冬は寒い。日
当たりのいい二階に較べて一階は、まるで冷蔵庫のようだ。5度、6度
といった日も珍しくはない。かみさんではないが、「安物買いのつけが
まわってきた」にちがいないのだ。
この家を買うことになったのには訳がある。今から15年程前、叔父が
亡くなった直後に、かみさんの気持ちが急に変わった。それまで、母を
引き取ろうとしたが、どうしても首を縦には振らなかった。それが急に、
「おとうさん、お母さんを引き取ることにしましょう。」といった。善は急
げ。そこで急遽中古物件を探した。家なんて住めればいい。それくらい
気楽に考えていた。本当になさけない。家を買うという意味が、分かっ
ていなかった当時の自分の未熟さが、今、悔やまれてならない。
鹿島神宮のそばの老人ホームに入居していた叔父を看取ってからす
でに15年。そのホームの責任者、Fさんから、突然電話があり、車で
駆けつけた病院で見たのは、白い布のかかった叔父の顔だった。子供
の頃、浅草橋の近く、大きなイチョウのある高校のそばに家族4人が
住んでいた。そこに叔父がたづねてきたことがある。正月過ぎの一月
半ばだったと記憶する。那須のほうにある教会が運営する修道院で、
当時叔父は、用務員のような仕事をしているといった。
父はごろりと横になると、うなずきながら叔父の話を長い間、聞いてい
た。それから暫くして、買い物に出かけ、外で家族と一緒に食事をし
た。夜になって帰る叔父。上野から汽車に乗るのだろう。身の回りの品
や食料を沢山渡している母の姿が目に浮かぶ。まだ、十分もののない
時代だった。カーキ色の軍服を仕立て直した粗末な服装の叔父は、帽
子を被り、真っ暗な闇の中に一人消えていった。その叔父が目の前の
ベットに横たわっている。黄色い裸電球の光。かみさんと二人、物いわ
ぬ叔父の遺骸に合掌した。
責任者のFさんは、本当にいい人だった。300人もいる老人ホームを
一人で切り盛りする人物なのだが、地元の名家の跡取り息子で、地域
社会では人望も厚い。それでいてよく気の付く人物で、マラリアの後遺
症で知恵遅れのようになった叔父を、家族のように親身に世話してくれ
た。私の父は長男で、叔父は次男。戦前、一緒に山谷近くでセツルメ
ントをやっていた。今となっては、正確な場所は残念ながら、わからな
い。その叔父が学徒動員で南方に送られ、マラリアに感染した。運良く
命は取り留めたが、ひどい後遺症がのこり、生涯、独身で過ごすこと
になった。T大法学部卒という肩書きが、かえって裏目に出たのだ。
その叔父が鹿島の老人ホームに入居するいきさつをFさんから聞い
た。叔父は、S電工という会社の倉庫係をしていた。もちろん祖父の書
生をしていた男が、叔母と所帯を持ち、銀座の法律事務所を引き継い
だ。その叔父の紹介で倉庫係にしてもらったのだ。だから年金の受給
資格があったが、わずかな金が支給されると、家賃を払った残りの金
で、見境もなくものを買い、そして際限なく食べた。そして急性胃腸炎に
なる。その繰り返しの結果が胃潰瘍で、何度も入院した。悲しいこと
に、自分の食欲を抑える意思も、お金を管理する知恵も、病気の後遺
症ですっかり失っていたからだ。
見かねた民生委員の世話で、老人ホームをさがし、入居できるように
なり、そしてFさんと出会ったのだ。そのFさんの紹介で、地元の教会の
仲間との関係が出来、月に数回、日曜日の集会にも出かけるように
なった。理由は良くわからないが、多分、自分が亡くなったときの事を
叔父なりに心配したのだろう。祖父が生前購入した多磨墓地を、Fさん
の運転する車で見に行って、その帰りに、当時柏の会社の住宅に住ん
でいた私たちを訪ねてくれた。かみさんとは縁があったのだろう。不思
議と気が合うのが分かった。「いいわよ。あのおじさんなら引き取って
も。」人見知りの強いかみさんの口から。思いもかけない言葉が飛び
出した。(続く)
2008/02/12のBlog
[ 15:44 ]
赤ぶどう酒が高血圧や高脂血症、そして糖尿病の予防になるという
記事を読んだ。英文の科学雑誌、もちろん啓蒙を目的とした、素人に
も読んで分かる内容の記事だ。
フランスは葡萄(ぶどう)の産地で、ワインやブランデーの醸造元とし
てもよく知られている。美食家のフランス人に糖尿病が少ないのは、
毎日、赤ワインを飲んでいるからという理屈になるがほんとにそうだ
ろうか。雑誌には、赤ワインを飲むと、ポリフェノールを摂取すること
になり、この物質が血液をさらさらにする効果があり、血圧も下がる
と書いてあった。
かみさんにこの話をしてみた。
「あら、そんなこととっくに知っているわよ。ワインなら、そこら中にご
ろごろしてるじゃない。飲んだらいいわよ。体にいいのなら。」
何かいい返そうとしたが言葉が見つからない。黙っていることにした。
そういえば、教室に通ってくる子供の親が、ワインばかり届けてくる
年があったような気がする。家内の部屋のグランドピアノの下、隅っ
この方に、箱に入ってままのワインが放置されているのだ。
「ワインの微妙な味が分かるような人じゃない。」
家内がそう思っていたような気がした。女の男を鑑定する目の確か
さには個人差があるような気がするが、鍵盤をたたく指の繊細な神
経が、人間を見る鑑識眼に直結しているとしたら、何を隠しても無
駄ということになる。わかっていても、ちょっと絶望的な気分になる。
「でもね、最近は防腐剤の入っていないワイン、日本でも出来るよ
うになったのね。もちろん殺虫薬はほとんど使わないので、体にも
いいって高校時代の友人がいっていたわよ。値段も手ごろだし、ち
ょっと自分で調べるといいわね。」
ワインが分かる男になるか。そうすればかみさんの鼻を明かして見
せることが出来るかもしれない。だけどそれは無理な話。酒なんて好
きではないし、好きでもないものを毎日飲み通づけられる訳がない。
記事を読んだ。英文の科学雑誌、もちろん啓蒙を目的とした、素人に
も読んで分かる内容の記事だ。
フランスは葡萄(ぶどう)の産地で、ワインやブランデーの醸造元とし
てもよく知られている。美食家のフランス人に糖尿病が少ないのは、
毎日、赤ワインを飲んでいるからという理屈になるがほんとにそうだ
ろうか。雑誌には、赤ワインを飲むと、ポリフェノールを摂取すること
になり、この物質が血液をさらさらにする効果があり、血圧も下がる
と書いてあった。
かみさんにこの話をしてみた。
「あら、そんなこととっくに知っているわよ。ワインなら、そこら中にご
ろごろしてるじゃない。飲んだらいいわよ。体にいいのなら。」
何かいい返そうとしたが言葉が見つからない。黙っていることにした。
そういえば、教室に通ってくる子供の親が、ワインばかり届けてくる
年があったような気がする。家内の部屋のグランドピアノの下、隅っ
この方に、箱に入ってままのワインが放置されているのだ。
「ワインの微妙な味が分かるような人じゃない。」
家内がそう思っていたような気がした。女の男を鑑定する目の確か
さには個人差があるような気がするが、鍵盤をたたく指の繊細な神
経が、人間を見る鑑識眼に直結しているとしたら、何を隠しても無
駄ということになる。わかっていても、ちょっと絶望的な気分になる。
「でもね、最近は防腐剤の入っていないワイン、日本でも出来るよ
うになったのね。もちろん殺虫薬はほとんど使わないので、体にも
いいって高校時代の友人がいっていたわよ。値段も手ごろだし、ち
ょっと自分で調べるといいわね。」
ワインが分かる男になるか。そうすればかみさんの鼻を明かして見
せることが出来るかもしれない。だけどそれは無理な話。酒なんて好
きではないし、好きでもないものを毎日飲み通づけられる訳がない。
