Blog
2008/04/02のBlog
[ 11:36 ]
展覧会によく出かけるようになったのには訳がある。仕事の
関係で京都の先生と知り合いになった。その先生の専門は、
教育だったが、その専門の傍ら、芸術、とりわけ絵画や彫刻
の芸術家の研究をしていた。その研究は水準が高くて、ドイツ
の人間学の研究方法を、日本の画家の生涯、たとえばよく
知られた画家のKに当てはめたものだった。
日ごろから、その画家に関する資料を可能な限り集める。本
や、日記、手紙類まで収集の範囲は広い。PCがまだ普及して
いない時代だから、借り出した資料を片っ端から手で写す。
ほんとに根気の要る作業だった。そして手に入れた可能なす
べての資料のコピィーを丹念に読み込む。それが研究の第一
次段階だった。後ほど、先生の研究は、専門家の間でも高い
評価を得ていることを知った。
自然に頼まれて、仕事の手伝いをするようになってた。博物館
や美術館の館長や研究員との交流も始まった。だから、暇を
見つけては都心にある美術館を、週末、見学するようになった。
そして、実はこの京都の先生に、今のかみさんを紹介してもら
ったのだ。手伝ってくれる男のために、先生も一肌脱いだとい
うことになる。
父親を子供のころになくした青年は、もう30をとっくに過ぎてい
る。でも、可哀相に来てくれる嫁さん候補の当すらない。売れ
残りになりかけていたのだ。その窮状を救う手立てのよさ。そ
れは、ひとえに先生の人徳によるものだった。先生は兵庫県
の女子大の学長も勤めた大物だったのだ。
若い女性とデートするなんてことは、それまで一度もなかった。
だが、先生の紹介だから断れない。それで、仕方なく東京の
竹橋にある近代美術館で、落ち合うことにした。そのとき常設
展示のかたわら、特別に展示されていたのが、日本画の福田
平八郎の作品であった。近代日本画なら、大観もあれば、青邨
もあるし、御舟もあるだろう。それなのになぜ平八郎の作品なの
かと聞かれれば、答えに窮する。たまたまその日かかっていた
からと答えるしか術(すべ)がない。
平八郎の絵を見て、詩の作品を書いたのだが、その理由は、
作品を見ていただければ、すぐにお分かりいただけるにと思う。
この展覧会に同行したことが、今のかみさんと一緒になるきっか
けになったからなのだ。当時、かの女は近代日本絵画について
の知識はゼロ。だからどうしても、分かりやすい説明が必要に
なる。素人相手の学芸員のような役回りだ。
人生には、物事がはずんでいくきっかけがある。私の説明はごく
シンプルなはずだったはずだ。女に難しい話はだめ。当時の乏し
い女性についての知識の一つだった。もちろん先生の受け売り
だが。だから、できるだけ、かみさんには分かりやすく説明した。
その結果、この人は、なんてすごい知識の持ち主と誤解された。
そして、こともあろうに、気の進まない縁結びが、突然、彼女の方
から、急速に推進される羽目になった。不思議といいえば不思議
なのだが、もしかすると運命のいたずらといったほうが良いかも
しれない。
長いので、作品は別のスレッドに収めて掲載する。
関係で京都の先生と知り合いになった。その先生の専門は、
教育だったが、その専門の傍ら、芸術、とりわけ絵画や彫刻
の芸術家の研究をしていた。その研究は水準が高くて、ドイツ
の人間学の研究方法を、日本の画家の生涯、たとえばよく
知られた画家のKに当てはめたものだった。
日ごろから、その画家に関する資料を可能な限り集める。本
や、日記、手紙類まで収集の範囲は広い。PCがまだ普及して
いない時代だから、借り出した資料を片っ端から手で写す。
ほんとに根気の要る作業だった。そして手に入れた可能なす
べての資料のコピィーを丹念に読み込む。それが研究の第一
次段階だった。後ほど、先生の研究は、専門家の間でも高い
評価を得ていることを知った。
自然に頼まれて、仕事の手伝いをするようになってた。博物館
や美術館の館長や研究員との交流も始まった。だから、暇を
見つけては都心にある美術館を、週末、見学するようになった。
そして、実はこの京都の先生に、今のかみさんを紹介してもら
ったのだ。手伝ってくれる男のために、先生も一肌脱いだとい
うことになる。
父親を子供のころになくした青年は、もう30をとっくに過ぎてい
る。でも、可哀相に来てくれる嫁さん候補の当すらない。売れ
残りになりかけていたのだ。その窮状を救う手立てのよさ。そ
れは、ひとえに先生の人徳によるものだった。先生は兵庫県
の女子大の学長も勤めた大物だったのだ。
若い女性とデートするなんてことは、それまで一度もなかった。
だが、先生の紹介だから断れない。それで、仕方なく東京の
竹橋にある近代美術館で、落ち合うことにした。そのとき常設
展示のかたわら、特別に展示されていたのが、日本画の福田
平八郎の作品であった。近代日本画なら、大観もあれば、青邨
もあるし、御舟もあるだろう。それなのになぜ平八郎の作品なの
かと聞かれれば、答えに窮する。たまたまその日かかっていた
からと答えるしか術(すべ)がない。
平八郎の絵を見て、詩の作品を書いたのだが、その理由は、
作品を見ていただければ、すぐにお分かりいただけるにと思う。
この展覧会に同行したことが、今のかみさんと一緒になるきっか
けになったからなのだ。当時、かの女は近代日本絵画について
の知識はゼロ。だからどうしても、分かりやすい説明が必要に
なる。素人相手の学芸員のような役回りだ。
人生には、物事がはずんでいくきっかけがある。私の説明はごく
シンプルなはずだったはずだ。女に難しい話はだめ。当時の乏し
い女性についての知識の一つだった。もちろん先生の受け売り
だが。だから、できるだけ、かみさんには分かりやすく説明した。
その結果、この人は、なんてすごい知識の持ち主と誤解された。
そして、こともあろうに、気の進まない縁結びが、突然、彼女の方
から、急速に推進される羽目になった。不思議といいえば不思議
なのだが、もしかすると運命のいたずらといったほうが良いかも
しれない。
長いので、作品は別のスレッドに収めて掲載する。
2008/03/31のBlog
[ 08:58 ]
まだ学生だった頃、北鎌倉にある西洋近代美術館に、ドーミエの
展覧会があった。石版画やブロンズの彫像がフランスから運ばれ、
展示された。めったにない機会だから東京から電車で、ドーミエを
見に行った。そして、展覧会の印象を稚拙なしにまとめてみた。若
気の至りかも知れないと今では思う。そこでまず、作品理解のため
の背景的な知識をまとめてみよう。
18世紀のヨーロッパは、近代社会の黎明期であるといわれている。
オノレ・ドーミエは、フランスマルセイユに、ガラス職人の子として生
を受ける。(1808)画家を志した父は、独り気ままにパリに出かけて、
一家は悲惨な貧困生活を強いられる。家族は父親の後を追い、後
にパリに上る。そして、幼いドーミエは西欧の伝統的絵画を学び、
15歳の時最新式の石版画の技術を職人から学び、身につける。
この新しい技術が彼の人生を大きく変えた。
彼が23歳のとき、風刺画を売り物にする新聞、「ラ・カリカチュール」
や「ル・シャリヴァリ」を創刊したシャルル・フィリポンが、版画家としての
ドーミエの才 能を見抜き、採用したのである。当時のフランスは1830
年7月の革命で即位したルイ・フイリッポの治世下にあった。ドーミエは
国王や政治家を風刺した版画で一世を風靡した。
彼は、単なる政治の風刺漫画を書く石版画家だけでなく、画家、ならび
に彫刻家としての側面を持つ。彼が粘土を使った人物の彫像を手がけ
ることになったのは、晩年、彼が目の病を患い、視力を殆ど失ったから
である。恐らく彼の脳裏に焼きついた、欲に目のくらんだ政治家や実業
家の顔が、ブロンズ像として残されている。彼は脳裏に焼き付けた高
慢や吝嗇で、しかも権謀好きの人物の醜悪な容貌を、塑像に刻んだの
である。
以上のような、解説を念頭において、展覧会の雰囲気を、文字で表現
しようとしたのが次の作品だ。力の足りない未熟な作品だが、作者の
意図が伝わればいいと思う。
「ドーミエの世界」
白いゆたかな髪をふるわせ
美しい目を怒らせて
ドーミエは対象にぶつかった。
生きた対象そのものに。
喜びや悲しみに凹凸する
さまざまな面のぶつかりあい。
急激に捕捉し保持する新しい精神。
むだをそぐ手の早業。
鋭くとがり、ざらざら、厚紙に
刷り込まれる黒の世界。
おお偉大なドーミエ。
ぼくらはたちまち好きになり
彼の世界にすいこまれる。
ぼくらは見ていた
塑像に生きて動く
微妙な心理の変化
カルカチュアの、たとえば
醜悪さに気づかないでいる太ったおなか、
顔ばかり大きくて風のように向きを変える政客の身体などを。
ぼくは見る、また、
僕らの顔の上で点滅する驚き痛み忘我の瞬間
自分自身のくせの数々に気づかない僕らの悲哀を
じっと見つめ
じっとかみしめている
彼の目を。
願いを込めて
一つ一つ峻別し愛撫する
彼の手を。
彼の手は目だ。
彼の目は手だ。
滑らかにめぐる石灰質の舞台の上
素早く、生き生きと
柔らかな黒が描く
真実の思想、高慢と敗残。
展覧会があった。石版画やブロンズの彫像がフランスから運ばれ、
展示された。めったにない機会だから東京から電車で、ドーミエを
見に行った。そして、展覧会の印象を稚拙なしにまとめてみた。若
気の至りかも知れないと今では思う。そこでまず、作品理解のため
の背景的な知識をまとめてみよう。
18世紀のヨーロッパは、近代社会の黎明期であるといわれている。
オノレ・ドーミエは、フランスマルセイユに、ガラス職人の子として生
を受ける。(1808)画家を志した父は、独り気ままにパリに出かけて、
一家は悲惨な貧困生活を強いられる。家族は父親の後を追い、後
にパリに上る。そして、幼いドーミエは西欧の伝統的絵画を学び、
15歳の時最新式の石版画の技術を職人から学び、身につける。
この新しい技術が彼の人生を大きく変えた。
彼が23歳のとき、風刺画を売り物にする新聞、「ラ・カリカチュール」
や「ル・シャリヴァリ」を創刊したシャルル・フィリポンが、版画家としての
ドーミエの才 能を見抜き、採用したのである。当時のフランスは1830
年7月の革命で即位したルイ・フイリッポの治世下にあった。ドーミエは
国王や政治家を風刺した版画で一世を風靡した。
彼は、単なる政治の風刺漫画を書く石版画家だけでなく、画家、ならび
に彫刻家としての側面を持つ。彼が粘土を使った人物の彫像を手がけ
ることになったのは、晩年、彼が目の病を患い、視力を殆ど失ったから
である。恐らく彼の脳裏に焼きついた、欲に目のくらんだ政治家や実業
家の顔が、ブロンズ像として残されている。彼は脳裏に焼き付けた高
慢や吝嗇で、しかも権謀好きの人物の醜悪な容貌を、塑像に刻んだの
である。
以上のような、解説を念頭において、展覧会の雰囲気を、文字で表現
しようとしたのが次の作品だ。力の足りない未熟な作品だが、作者の
意図が伝わればいいと思う。
「ドーミエの世界」
白いゆたかな髪をふるわせ
美しい目を怒らせて
ドーミエは対象にぶつかった。
生きた対象そのものに。
喜びや悲しみに凹凸する
さまざまな面のぶつかりあい。
急激に捕捉し保持する新しい精神。
むだをそぐ手の早業。
鋭くとがり、ざらざら、厚紙に
刷り込まれる黒の世界。
おお偉大なドーミエ。
ぼくらはたちまち好きになり
彼の世界にすいこまれる。
ぼくらは見ていた
塑像に生きて動く
微妙な心理の変化
カルカチュアの、たとえば
醜悪さに気づかないでいる太ったおなか、
顔ばかり大きくて風のように向きを変える政客の身体などを。
ぼくは見る、また、
僕らの顔の上で点滅する驚き痛み忘我の瞬間
自分自身のくせの数々に気づかない僕らの悲哀を
じっと見つめ
じっとかみしめている
彼の目を。
願いを込めて
一つ一つ峻別し愛撫する
彼の手を。
彼の手は目だ。
彼の目は手だ。
滑らかにめぐる石灰質の舞台の上
素早く、生き生きと
柔らかな黒が描く
真実の思想、高慢と敗残。
2008/03/29のBlog
[ 15:46 ]
知り合いの医師が診療所をたたんだ。理由はご本人の年齢が80を
大きくこえたこと。そして奥さんが軽い認知症にかかってしまったこと
による。もちろん、直接、引退を決意した理由は、別にある。愛車の
BMWで、人身事故を起こしてしまったからだ。生命に別状はなかった
ものの、人を撥ねてしまったことによる本人のショックは予想以上の
ものだった。診療用の車も、BMWも突然、車庫から姿を消した。もち
ろん医師がきっぱりと免許状を返上したからだ。
木造モルタルスレート葺の二階建ての病院は、国道から近いという
こともあって、ひところは、救急車がひっきりなしにやってくる地域の
拠点病院の一つであった。敷地は比較的広くて、長野県出身の医師
がもともと草花が好きだったこともあって、四季折々の花が患者の目
を楽しませてきた。正面玄関の車寄は、いつでも救急車が横付けで
きるようになっていた。その向かって右側に、一本の枝ぶりのいい
山桜が植えられていた。
四月になると、決まって枝一杯に花をつけ、新旧の患者さんは降りし
きる桜吹雪の中を、診療に出かけたものだった。ところが、昨年の5
月、病院の閉鎖が決まった時期に前後して、その背の高い大木が根
元から切り倒されてしまった。桜には、施肥や消毒などの手間がか
かる。もちろんその費用も馬鹿にならない。その手間や経費をまかな
うだけの収入を、老医師がもはや調達出来なくなったのだ。
代わりに植えられたのは、木蓮だった。植木屋が小さなクレーンを使
って根の周りを筵(むしろ)で囲った株を、植え込んでいるのを目にし
た。うまく根つけばいいな。懇意にしている多くの患者たちはそんな
気持ちを抱いたに違いない。でも、今年の三月末、株は新たな蕾を
一杯つけて、見事な花を咲かせ始めた。
肌寒い陽気の中で、木蓮は、いっぱいの花をつけて元病院の建物
前を通過する人の心に、今もすがすがしい色と香りを運んでいる。
大きくこえたこと。そして奥さんが軽い認知症にかかってしまったこと
による。もちろん、直接、引退を決意した理由は、別にある。愛車の
BMWで、人身事故を起こしてしまったからだ。生命に別状はなかった
ものの、人を撥ねてしまったことによる本人のショックは予想以上の
ものだった。診療用の車も、BMWも突然、車庫から姿を消した。もち
ろん医師がきっぱりと免許状を返上したからだ。
木造モルタルスレート葺の二階建ての病院は、国道から近いという
こともあって、ひところは、救急車がひっきりなしにやってくる地域の
拠点病院の一つであった。敷地は比較的広くて、長野県出身の医師
がもともと草花が好きだったこともあって、四季折々の花が患者の目
を楽しませてきた。正面玄関の車寄は、いつでも救急車が横付けで
きるようになっていた。その向かって右側に、一本の枝ぶりのいい
山桜が植えられていた。
四月になると、決まって枝一杯に花をつけ、新旧の患者さんは降りし
きる桜吹雪の中を、診療に出かけたものだった。ところが、昨年の5
月、病院の閉鎖が決まった時期に前後して、その背の高い大木が根
元から切り倒されてしまった。桜には、施肥や消毒などの手間がか
かる。もちろんその費用も馬鹿にならない。その手間や経費をまかな
うだけの収入を、老医師がもはや調達出来なくなったのだ。
代わりに植えられたのは、木蓮だった。植木屋が小さなクレーンを使
って根の周りを筵(むしろ)で囲った株を、植え込んでいるのを目にし
た。うまく根つけばいいな。懇意にしている多くの患者たちはそんな
気持ちを抱いたに違いない。でも、今年の三月末、株は新たな蕾を
一杯つけて、見事な花を咲かせ始めた。
肌寒い陽気の中で、木蓮は、いっぱいの花をつけて元病院の建物
前を通過する人の心に、今もすがすがしい色と香りを運んでいる。
2008/03/28のBlog
[ 14:14 ]
古希を過ぎ、喜寿も祝い、あっという間に米寿を迎える。加齢は、年ととも
に、容赦なく加速する。とりわけ、身近な家族の時間の中では。
「血管が細くなり、コレステロールもたまって、流れが悪くなります。脳にく
れば、脳梗塞、心臓ならば心臓梗塞です。いつ倒れてもおかしくない状態
です。在宅では、万一ご家族が留守のとき、発作が起こったらどうしよう。
ご母堂はそれを心配されているのです。24時間見てもらえる施設がいいに
決まっている。でも、あの子たちには、もうこれ以上迷惑を掛けたくないと
思っているようです。」
若い医師は、翌日やってきた息子夫婦に母親の苦悩を伝えた。昨夜、当直を
勤めていたその若い医師に、思いつめていた胸のうちを、ポツリと話したのだ。
まだら模様の認知症(ボケ)とみていた医師は、眠られない夜、窓の外をじっと
見ている老婆に、なに気なく声をかけた。意識は、見立てとは違って、はっきり
と冴え渡っている。
老婆は小さな身体で精一杯現状を見据え、やり場のない苦悩をひとり抱え込
んでいたのだ。何しろ嫁は癌で、息子も心筋梗塞で頼りにはならない。
夜の帳(とばり)の中で、老いた梅はひっそり花をつけている。黒々とした枯れ
枝に、たくさんの花が、白く香っていた。夜の静けさと広がりのある温かさ。遠
くから目を凝らすと、霞がかかったように見えるはずだ。近寄れば、ごつごつし
た黒い木肌のざらっとした感触が伝わってくるだろう。小さな花が、無数の目
でこちらを見ているような、彼岸過ぎの妙に明るい夜のことだった。
に、容赦なく加速する。とりわけ、身近な家族の時間の中では。
「血管が細くなり、コレステロールもたまって、流れが悪くなります。脳にく
れば、脳梗塞、心臓ならば心臓梗塞です。いつ倒れてもおかしくない状態
です。在宅では、万一ご家族が留守のとき、発作が起こったらどうしよう。
ご母堂はそれを心配されているのです。24時間見てもらえる施設がいいに
決まっている。でも、あの子たちには、もうこれ以上迷惑を掛けたくないと
思っているようです。」
若い医師は、翌日やってきた息子夫婦に母親の苦悩を伝えた。昨夜、当直を
勤めていたその若い医師に、思いつめていた胸のうちを、ポツリと話したのだ。
まだら模様の認知症(ボケ)とみていた医師は、眠られない夜、窓の外をじっと
見ている老婆に、なに気なく声をかけた。意識は、見立てとは違って、はっきり
と冴え渡っている。
老婆は小さな身体で精一杯現状を見据え、やり場のない苦悩をひとり抱え込
んでいたのだ。何しろ嫁は癌で、息子も心筋梗塞で頼りにはならない。
夜の帳(とばり)の中で、老いた梅はひっそり花をつけている。黒々とした枯れ
枝に、たくさんの花が、白く香っていた。夜の静けさと広がりのある温かさ。遠
くから目を凝らすと、霞がかかったように見えるはずだ。近寄れば、ごつごつし
た黒い木肌のざらっとした感触が伝わってくるだろう。小さな花が、無数の目
でこちらを見ているような、彼岸過ぎの妙に明るい夜のことだった。
2008/03/24のBlog
[ 09:10 ]
詩人には、全体を俯瞰する目が必要だと思います。一つ一つの
個別事象にとらわれず、自由に全体を見渡すことの出来る目の
ことです。武芸の達人にも、天才的なサッカープレーヤーにも、
見られる全体視力です。あたかも自分の位置を、高いところから
見ている、もう一つの目があって、そのおかげで、四方八方から
襲ってくる敵の攻撃をかわしたり、あるいはわずかなバグをめが
けてゴールすることが可能になるといいます。
山あいの大地を吹き抜ける風は、春を運ぶようです。その様子を
文字で表現しようとした作品です。もちろん詩人になったような気分
で、自由な創造の翼を羽ばたかせ、季節の移ろいを視覚的、感覚
的に捉えようと試みました。
春風
風はわたる
雪残る高原を
矢のように降る日差しの中を
早瀬の光の上を
わたる
風はわたる
土の香(か)を運び
白樺を芽(め)ぐませて
ぬるみはじめた氷を動かし
山上の湖をわたる
涼しげに
風はわたる
川面に踊る春の陽をわたる
まぶしげに
草を食む牛の耳に触れ
やがて
町の雑踏をきき
雪の白さを想い
風はわたる
個別事象にとらわれず、自由に全体を見渡すことの出来る目の
ことです。武芸の達人にも、天才的なサッカープレーヤーにも、
見られる全体視力です。あたかも自分の位置を、高いところから
見ている、もう一つの目があって、そのおかげで、四方八方から
襲ってくる敵の攻撃をかわしたり、あるいはわずかなバグをめが
けてゴールすることが可能になるといいます。
山あいの大地を吹き抜ける風は、春を運ぶようです。その様子を
文字で表現しようとした作品です。もちろん詩人になったような気分
で、自由な創造の翼を羽ばたかせ、季節の移ろいを視覚的、感覚
的に捉えようと試みました。
春風
風はわたる
雪残る高原を
矢のように降る日差しの中を
早瀬の光の上を
わたる
風はわたる
土の香(か)を運び
白樺を芽(め)ぐませて
ぬるみはじめた氷を動かし
山上の湖をわたる
涼しげに
風はわたる
川面に踊る春の陽をわたる
まぶしげに
草を食む牛の耳に触れ
やがて
町の雑踏をきき
雪の白さを想い
風はわたる
