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2008/04/10のBlog
[ 14:47 ]
降魔の利剣
当時の私の問題意識はどんなものだったのか。美術作品に直接ふれ
ることで、その印象を未熟な詩的な言葉で表現しようとする。だから分
かりづらいのである。それを承知で当時のやや生硬な言葉遣いで書い
て見ることにしよう。
ぼくが展覧会で出会ったのはなにか。それは、速水御舟の代表作の
一つ「京の舞妓像」だった。その絵と出会うことで、ぼくは、どんな印象
を持ったのか。最初に感じたことは、作品は、結局、圧倒的な細密描
写という、研ぎ澄まされた神経と、とてつもない集中力を必要とする作
業の結果にすぎないということだった。しかも未完の作業である。
劉生も、同じように細密描写にのめりこみ、そして麗子像を描いた。彼
がとらわれたのも、宋元時代のデモーニッシュな、生の持つ暗黒面で、
それは、おそらく、顔輝らによって描かれた、鉄拐や寒山拾得、竹林七
賢人などの、道釈人物画のモチーフだった。
目の前に描かれた作品の筆づかい息づかいから、作者のただなら
ぬ、暗く、黒い世界に誘なわれていくような気がする。作品のモデル
となった舞妓の内面を何としても写し取ろうとする、画家の気迫が伝
わってくる。しかし、あくまでも細密描写さにこだわる画家の心には、
いったい何があるのか。事故のために左足を失った若い画家。右に
倒れれば頭をやられれる。それなら左に倒れて左足を捨てる。画家
の毅然たる、この意思の強靭さ。毎晩襲ってくる失なわれた足の痛
み。そして悔やんでも悔やみきれない自己の不運。
この気持ちが、目の前の舞妓の暗い運命と重なって見える。モデルの
舞妓の命は残り少ないのだろう。御舟にとって、白塗りの舞妓の不自
然な肩の裂け目は何を意味するのだろう。そして小顔の舞妓の目の周
りの黒い隈は、彼の心象風景なのか。では、彼女を死に追いやろうとし
ているものは何か。画家は自ら、物事の本質をつかみとり、細密描写
という技法でそれを四角いキャンバスに定着させようとした。暗いもの、
そして醜悪な虚無を。
この作品から得られた芸術的感興は、刀と刀匠の関係へと私の意識
の中で展開をはじめる。御舟が挑んだ、生臭い生命の表出。それは、
彼のニ、三の作品に描かれた、太い木の幹の表面に写実的に現れて
いる。昔、私は4月の少し前、桜のつぼみが膨らみ始めたころ、内側
から湧き上がり、太い幹にあふれる生命の力を実感したことがある。
作者が描こうとしたのは、生臭い生命の舞だったのではないのか。燃
え盛る炎の中で乱舞する原色の蛾たち。その生臭い生命が昇華され
た次元に立ち現れてくるものが、永遠なる生命の源ではないのか。
降魔の利剣は、血なまぐさい人間的正義を両断する不動明王の剣
に違いない。
当時の私の問題意識はどんなものだったのか。美術作品に直接ふれ
ることで、その印象を未熟な詩的な言葉で表現しようとする。だから分
かりづらいのである。それを承知で当時のやや生硬な言葉遣いで書い
て見ることにしよう。
ぼくが展覧会で出会ったのはなにか。それは、速水御舟の代表作の
一つ「京の舞妓像」だった。その絵と出会うことで、ぼくは、どんな印象
を持ったのか。最初に感じたことは、作品は、結局、圧倒的な細密描
写という、研ぎ澄まされた神経と、とてつもない集中力を必要とする作
業の結果にすぎないということだった。しかも未完の作業である。
劉生も、同じように細密描写にのめりこみ、そして麗子像を描いた。彼
がとらわれたのも、宋元時代のデモーニッシュな、生の持つ暗黒面で、
それは、おそらく、顔輝らによって描かれた、鉄拐や寒山拾得、竹林七
賢人などの、道釈人物画のモチーフだった。
目の前に描かれた作品の筆づかい息づかいから、作者のただなら
ぬ、暗く、黒い世界に誘なわれていくような気がする。作品のモデル
となった舞妓の内面を何としても写し取ろうとする、画家の気迫が伝
わってくる。しかし、あくまでも細密描写さにこだわる画家の心には、
いったい何があるのか。事故のために左足を失った若い画家。右に
倒れれば頭をやられれる。それなら左に倒れて左足を捨てる。画家
の毅然たる、この意思の強靭さ。毎晩襲ってくる失なわれた足の痛
み。そして悔やんでも悔やみきれない自己の不運。
この気持ちが、目の前の舞妓の暗い運命と重なって見える。モデルの
舞妓の命は残り少ないのだろう。御舟にとって、白塗りの舞妓の不自
然な肩の裂け目は何を意味するのだろう。そして小顔の舞妓の目の周
りの黒い隈は、彼の心象風景なのか。では、彼女を死に追いやろうとし
ているものは何か。画家は自ら、物事の本質をつかみとり、細密描写
という技法でそれを四角いキャンバスに定着させようとした。暗いもの、
そして醜悪な虚無を。
この作品から得られた芸術的感興は、刀と刀匠の関係へと私の意識
の中で展開をはじめる。御舟が挑んだ、生臭い生命の表出。それは、
彼のニ、三の作品に描かれた、太い木の幹の表面に写実的に現れて
いる。昔、私は4月の少し前、桜のつぼみが膨らみ始めたころ、内側
から湧き上がり、太い幹にあふれる生命の力を実感したことがある。
作者が描こうとしたのは、生臭い生命の舞だったのではないのか。燃
え盛る炎の中で乱舞する原色の蛾たち。その生臭い生命が昇華され
た次元に立ち現れてくるものが、永遠なる生命の源ではないのか。
降魔の利剣は、血なまぐさい人間的正義を両断する不動明王の剣
に違いない。
2008/04/09のBlog
[ 11:26 ]
まだ、独身だった20代の最後の数年間、ほんとによく美術館に通
っていた。京都の先生の影響もあるが、近代詩を書く何かのきっか
けが欲しかったからだと今にして思う。伝統的な日本の絵画に西欧
の絵画の伝統を導入することが、明治以後の日本の絵画界が行っ
てきたことだろう。ここではふれないが、日本における明治以後の
近代詩の発展も、西欧に負うところが大きい。
ところで、よく訪れた美術館の一つが山種美術館である。もと茅場町
の山種証券のビルの最上階にあったが、最近は移転して九段下に
ある。移転後は、まだ一度も訪問してはいない。収蔵されている日本
の明治以降の日本画のコレクションがすばらしいと思っているのだが、
その収蔵作品の中に、速水御舟(1894-1935)の作品がある。たぶん、
御舟の収蔵作品を中心に、ほかの美術館から作品を借り出してきて、
特別展示をやっていたのだと思う。衝撃を受けたのは、「京の舞妓
像」。すさまじい細密描写に強く打たれた。家に戻りその印象を詩の
作品にまとめてみた。
未熟だが、絵画作品と向かい合うことから、何かを学ぼうという意図だ
けは、かなり分かっていただけると思う。解説はあとに書くつもりだ。
「出会い」
そこでぼくは立ち止まる
階上の縁に斜めに座す「今日の舞妓像」
顔の上には黒い隈
背中に太帯だらりと垂れて
裾から右足わずかに覗かせ
色あせた畳の縁(ふち)は赤い
ぼくは見る
気の遠くなる細かさを宿した
畳みの目 絞りの目 一つ一つ
そしてぼくは気づく
舞妓の右肩 細密描写の無理
一気に皺となって押し寄せ
確かさはもろくも崩れ
黒く 暗く そこに口開けている
官能の淵
ぼくは思う
作者の失われた左足の痛み
うら若き娘の顔の陰り
渦巻く運命の暗さの中で
一つに解け合い色にじませて
じっとこちらを見つめている
ぼくは出会う
燃え上がる情念の黒さ暗さ
のたうつ怒り悲しみ
じっと聞き じっと見つめる
確かな手と 凍る刃の神経
四角い画面にそれを定着させた
作者の意思の確かさ靭やかさ
ぼくは気づく
作者の意思と情念が
激しく音たてて
ぼくの中でぶつかり燃えさかり
いつか刀打つ刀匠と打たれる剣に変化する
刀匠はふいごを強く踏み
吹子の風は激しく速く
堅炭を燃え上がらせ
輝きは明るさを増して
鋼はまさに溶けんとする
そのときたくし上げた白の衣装
振り上げ振り下ろす鎚
金鏝をあやつる金床の上
打たれる鋼
光る汗
造るものと造られるものが一体になる
ぼくの中で表象が燃える
かっと目見開き降魔の利剣ふりかざす不動明王
出会いの火焔
っていた。京都の先生の影響もあるが、近代詩を書く何かのきっか
けが欲しかったからだと今にして思う。伝統的な日本の絵画に西欧
の絵画の伝統を導入することが、明治以後の日本の絵画界が行っ
てきたことだろう。ここではふれないが、日本における明治以後の
近代詩の発展も、西欧に負うところが大きい。
ところで、よく訪れた美術館の一つが山種美術館である。もと茅場町
の山種証券のビルの最上階にあったが、最近は移転して九段下に
ある。移転後は、まだ一度も訪問してはいない。収蔵されている日本
の明治以降の日本画のコレクションがすばらしいと思っているのだが、
その収蔵作品の中に、速水御舟(1894-1935)の作品がある。たぶん、
御舟の収蔵作品を中心に、ほかの美術館から作品を借り出してきて、
特別展示をやっていたのだと思う。衝撃を受けたのは、「京の舞妓
像」。すさまじい細密描写に強く打たれた。家に戻りその印象を詩の
作品にまとめてみた。
未熟だが、絵画作品と向かい合うことから、何かを学ぼうという意図だ
けは、かなり分かっていただけると思う。解説はあとに書くつもりだ。
「出会い」
そこでぼくは立ち止まる
階上の縁に斜めに座す「今日の舞妓像」
顔の上には黒い隈
背中に太帯だらりと垂れて
裾から右足わずかに覗かせ
色あせた畳の縁(ふち)は赤い
ぼくは見る
気の遠くなる細かさを宿した
畳みの目 絞りの目 一つ一つ
そしてぼくは気づく
舞妓の右肩 細密描写の無理
一気に皺となって押し寄せ
確かさはもろくも崩れ
黒く 暗く そこに口開けている
官能の淵
ぼくは思う
作者の失われた左足の痛み
うら若き娘の顔の陰り
渦巻く運命の暗さの中で
一つに解け合い色にじませて
じっとこちらを見つめている
ぼくは出会う
燃え上がる情念の黒さ暗さ
のたうつ怒り悲しみ
じっと聞き じっと見つめる
確かな手と 凍る刃の神経
四角い画面にそれを定着させた
作者の意思の確かさ靭やかさ
ぼくは気づく
作者の意思と情念が
激しく音たてて
ぼくの中でぶつかり燃えさかり
いつか刀打つ刀匠と打たれる剣に変化する
刀匠はふいごを強く踏み
吹子の風は激しく速く
堅炭を燃え上がらせ
輝きは明るさを増して
鋼はまさに溶けんとする
そのときたくし上げた白の衣装
振り上げ振り下ろす鎚
金鏝をあやつる金床の上
打たれる鋼
光る汗
造るものと造られるものが一体になる
ぼくの中で表象が燃える
かっと目見開き降魔の利剣ふりかざす不動明王
出会いの火焔
2008/04/07のBlog
[ 16:12 ]
贋作作り
明治の日本洋画界を代表する人物の一人が、岸田某という「人物であ
る。かれは、正式の美術教育を受けていない人物で、すべて独学で油
彩画を自分のものにした。白樺派のMという人物とも交流があり、晩年
は湘南の藤沢に住んでいた。
彼の作品を独自なものにしたのが、西洋の油彩の伝統に、東洋の道
釈人物画の伝統を融合したからだろう。宋・元時代の蝦蟇鉄拐(がま
てっかい、隋の時代の仙人)や竹林の七賢人など、顔輝(がんき)によ
ると伝えられている作品に刺激を受け、有名な少女の像をつくりあげ
た。ただ、少女の中に潜む醜悪なものを描き出すのには成功したが、
着物からはみ出ている少女の手足が、しなびていて、おかしいとして
当時の絵画仲間からひどくけなされた。
だからというのではないのだろうが、奥さんとも上手くいかずに、酒に
おぼれ、遊郭にも出入りするようになった。京都の遊郭で遊び、カネ
で客の相手をする不見転(みずてん)芸者と遊ぶようになったのは、
有名な話だが、その手引きをしたというのが、贋作作りの兄弟である。
詳しいことは省くが、その一人りがまだ生きているというので、京都
の先生と中野近辺に彼の家を訪ねた。
贋金作りの弟には、子供がいて、その子供が共同通信の記者をして
いた。その記者のところに嫁いでいるのが、贋作作りの娘である。約
束の時間に自宅に着くと、娘さんもその夫も、きちんとしたなりで、私
たちに応対した。奥さんは、狐のような鋭い目をした勘の鋭いタイプ
の人間であるのが、ひとめで分かった。旦那さんは、世慣れた感じ
の男で、京都の先生に訪問の目的などを聞き、うなずいたりしていた
が、何か用事でもあったのだろう。まもなくわれわれを残して、部屋か
ら出て行ってしまった。
目当ての人物が家に戻ったのは、娘さんが入れてくれた紅茶をわれ
われが飲み終わった頃だった。ポロシャツにチェックの派手なパンツ
といういでたちで、悪びれもせず、部屋に入ってきた。約束の時間か
ら、とっくに30分は過ぎている。床屋で髪を刈ってきた帰りだといった。
大工のような、短い職人風も髪型で、京都の先生にぴょこんと挨拶し
たことを覚えている。背は高いほうで、痩せ型。煙草をたしなむのだろ
う、ピースの強い香りがした。
それから小半時、話をしたの訳だが、その男の話の内容は全く記憶
にないから、大事なことは何も話さなかったのだろう。画家のKとの交
流も、何かの仕事のことで、始まったのだろう。彼の当時の日記には、
三人で御茶屋遊びをすると記載されているから、そうしたよからぬ遊
びの手引きをした仲間だったと推測する。
それにしても、若くして病の為に亡くなった画家のKは、絵を描く才能
に恵まれていたのだから、惜しいことをした。「海の幸」を描いた青木繁
も、確か30そこそこで夭逝(ようせい)している。天才型と努力型、著名
な画家は、二つに分類されると、京都の師匠は述べている。精神的な
弟子のために、わざわざ贋作作りの男に会いに行くというのも、実際に
本物と偽者を、見てしっかり目に焼き付けさせるのが目的だったよう
だ。それにしても優れた教師は、実物教育に力を入れる。当時を振り
返って、懐かしく回想する。
明治の日本洋画界を代表する人物の一人が、岸田某という「人物であ
る。かれは、正式の美術教育を受けていない人物で、すべて独学で油
彩画を自分のものにした。白樺派のMという人物とも交流があり、晩年
は湘南の藤沢に住んでいた。
彼の作品を独自なものにしたのが、西洋の油彩の伝統に、東洋の道
釈人物画の伝統を融合したからだろう。宋・元時代の蝦蟇鉄拐(がま
てっかい、隋の時代の仙人)や竹林の七賢人など、顔輝(がんき)によ
ると伝えられている作品に刺激を受け、有名な少女の像をつくりあげ
た。ただ、少女の中に潜む醜悪なものを描き出すのには成功したが、
着物からはみ出ている少女の手足が、しなびていて、おかしいとして
当時の絵画仲間からひどくけなされた。
だからというのではないのだろうが、奥さんとも上手くいかずに、酒に
おぼれ、遊郭にも出入りするようになった。京都の遊郭で遊び、カネ
で客の相手をする不見転(みずてん)芸者と遊ぶようになったのは、
有名な話だが、その手引きをしたというのが、贋作作りの兄弟である。
詳しいことは省くが、その一人りがまだ生きているというので、京都
の先生と中野近辺に彼の家を訪ねた。
贋金作りの弟には、子供がいて、その子供が共同通信の記者をして
いた。その記者のところに嫁いでいるのが、贋作作りの娘である。約
束の時間に自宅に着くと、娘さんもその夫も、きちんとしたなりで、私
たちに応対した。奥さんは、狐のような鋭い目をした勘の鋭いタイプ
の人間であるのが、ひとめで分かった。旦那さんは、世慣れた感じ
の男で、京都の先生に訪問の目的などを聞き、うなずいたりしていた
が、何か用事でもあったのだろう。まもなくわれわれを残して、部屋か
ら出て行ってしまった。
目当ての人物が家に戻ったのは、娘さんが入れてくれた紅茶をわれ
われが飲み終わった頃だった。ポロシャツにチェックの派手なパンツ
といういでたちで、悪びれもせず、部屋に入ってきた。約束の時間か
ら、とっくに30分は過ぎている。床屋で髪を刈ってきた帰りだといった。
大工のような、短い職人風も髪型で、京都の先生にぴょこんと挨拶し
たことを覚えている。背は高いほうで、痩せ型。煙草をたしなむのだろ
う、ピースの強い香りがした。
それから小半時、話をしたの訳だが、その男の話の内容は全く記憶
にないから、大事なことは何も話さなかったのだろう。画家のKとの交
流も、何かの仕事のことで、始まったのだろう。彼の当時の日記には、
三人で御茶屋遊びをすると記載されているから、そうしたよからぬ遊
びの手引きをした仲間だったと推測する。
それにしても、若くして病の為に亡くなった画家のKは、絵を描く才能
に恵まれていたのだから、惜しいことをした。「海の幸」を描いた青木繁
も、確か30そこそこで夭逝(ようせい)している。天才型と努力型、著名
な画家は、二つに分類されると、京都の師匠は述べている。精神的な
弟子のために、わざわざ贋作作りの男に会いに行くというのも、実際に
本物と偽者を、見てしっかり目に焼き付けさせるのが目的だったよう
だ。それにしても優れた教師は、実物教育に力を入れる。当時を振り
返って、懐かしく回想する。
2008/04/04のBlog
[ 06:17 ]
若い男女が出あったのは、展覧会の雑踏の中だった。絵画に関心
を抱く一般市民が行列を作り、本物の作品に触れようと、目を凝ら
している。ああ、これが文化というものなのだろう。一部貴族の閉じ
られた特権的サロンという閉鎖的空間から、近代市民社会が大き
く変えたもの。啓発された市民の意識の流れが作り出したものだと
感じた。
初対面の若い二人を結び助けたものは、世間体を気にする世話好き
のおばさんではなかった。音楽とか、絵画とか、書、あるいは彫刻とい
った世俗のカテゴリーを超えた、美しいものを、まるですべての欲を断
ち切るかのように、修行に打ち込んで追求する僧侶の生きる姿勢に似
ていた。そのピュアな生き方に共鳴する若者が、作品を通じて共鳴し、
シンクロ(同期化)したのかもしれない。
青年は、博物館を出て、込み合っ人の流れの中で、絵画の製作過程
やそこで表現しようとした作者の意図について、少しの説明を試みた
のだろう。日ごろピアノの譜面に向かって、作曲家の意図を読み込む
努力をつづけて来た若い女性。だからこそジャンルを超えた画家の
作品を生み出す努力の過程が、分かるような気がしたのかもしれな
い。芸術とは孤独な作業だが、大衆の中にに眠る、美を求める生来
の無意識の世界に訴えかける地味な仕事だといってよい。
漣(さざなみ)はゆれていたのだろう。周りの人のリアルな世界が自然
に生みだすノイズを遮断して、純粋でありたいと望む若い二人の志向
性に響いてきたのだろう。だから、美術館を出て、お濠端(ほりばた)
を歩きながら、時間を越えて、雑踏の人波を歩く自分達を俯瞰する
目を、ともに共有できたのかもしれない。
文化とは、本物に出会う機会を作り出す、例えば展覧会のような、
モダンが生み出した新たな文明の装置だったのかもしれないと考
えていた。
を抱く一般市民が行列を作り、本物の作品に触れようと、目を凝ら
している。ああ、これが文化というものなのだろう。一部貴族の閉じ
られた特権的サロンという閉鎖的空間から、近代市民社会が大き
く変えたもの。啓発された市民の意識の流れが作り出したものだと
感じた。
初対面の若い二人を結び助けたものは、世間体を気にする世話好き
のおばさんではなかった。音楽とか、絵画とか、書、あるいは彫刻とい
った世俗のカテゴリーを超えた、美しいものを、まるですべての欲を断
ち切るかのように、修行に打ち込んで追求する僧侶の生きる姿勢に似
ていた。そのピュアな生き方に共鳴する若者が、作品を通じて共鳴し、
シンクロ(同期化)したのかもしれない。
青年は、博物館を出て、込み合っ人の流れの中で、絵画の製作過程
やそこで表現しようとした作者の意図について、少しの説明を試みた
のだろう。日ごろピアノの譜面に向かって、作曲家の意図を読み込む
努力をつづけて来た若い女性。だからこそジャンルを超えた画家の
作品を生み出す努力の過程が、分かるような気がしたのかもしれな
い。芸術とは孤独な作業だが、大衆の中にに眠る、美を求める生来
の無意識の世界に訴えかける地味な仕事だといってよい。
漣(さざなみ)はゆれていたのだろう。周りの人のリアルな世界が自然
に生みだすノイズを遮断して、純粋でありたいと望む若い二人の志向
性に響いてきたのだろう。だから、美術館を出て、お濠端(ほりばた)
を歩きながら、時間を越えて、雑踏の人波を歩く自分達を俯瞰する
目を、ともに共有できたのかもしれない。
文化とは、本物に出会う機会を作り出す、例えば展覧会のような、
モダンが生み出した新たな文明の装置だったのかもしれないと考
えていた。
2008/04/02のBlog
[ 11:57 ]
「さざなみ」
石垣はしみこんでくる冷たさに耐えている。
雲の空は落ちてきそうな灰色。
柳は千切れそうに揺れる。
人は足早に来て、足早にさる。
「漣」(さざなみ)はここにあった。
光るように ひびくように。
画面の上から画面の下へ
画面の中から僕らの方へ
とらえきれない確かさで
湧き上がり 湧き上がる。
にぶく光る水面、さざ波は揺れる。
さざ波のとがり、
その位置の確かさ。
さざ波はゆれた。
はじめは画家の瞳の中で
次には画家の心の中で
白い衝立の上で、広がりゆれた。
さざ波はいま ここで
僕らの前で揺れる。
ぼくらの心をゆする。
空の冷たさを映しながら。
ゆれている、ゆれている。
薄暗い会場で、かってゆれていたように
これからもまたゆれるように
今の今も、さざ波はひとり揺れる。
人はうずくまる。
白鳥は薄汚れてさざ波の上に。
風がふく。
さざ波を従えて風は走る。
さざ波はひびいてくる しみてくる
お濠の水面から
暮れていく街に
橋の上の目に。
石垣はしみこんでくる冷たさに耐えている。
雲の空は落ちてきそうな灰色。
柳は千切れそうに揺れる。
人は足早に来て、足早にさる。
「漣」(さざなみ)はここにあった。
光るように ひびくように。
画面の上から画面の下へ
画面の中から僕らの方へ
とらえきれない確かさで
湧き上がり 湧き上がる。
にぶく光る水面、さざ波は揺れる。
さざ波のとがり、
その位置の確かさ。
さざ波はゆれた。
はじめは画家の瞳の中で
次には画家の心の中で
白い衝立の上で、広がりゆれた。
さざ波はいま ここで
僕らの前で揺れる。
ぼくらの心をゆする。
空の冷たさを映しながら。
ゆれている、ゆれている。
薄暗い会場で、かってゆれていたように
これからもまたゆれるように
今の今も、さざ波はひとり揺れる。
人はうずくまる。
白鳥は薄汚れてさざ波の上に。
風がふく。
さざ波を従えて風は走る。
さざ波はひびいてくる しみてくる
お濠の水面から
暮れていく街に
橋の上の目に。
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