Blog
2008/07/21のBlog
[ 20:40 ]
[ 00:13 ]
集合:9時
集合場所:阪急関大前 南口
参加は
9時~11時まででした
-解散は、12時30分頃と案内されていましたが、トンネルアートパート3 及び
「すいはく、に先約があったため-
歩いたところ・・関西大学の構内
案内:塚崎 昌之氏(現代史研究者)
頂いた資l料:高級住宅地開発と朝鮮人
吹田「理想的田園都市・千里山」・・・地図含む B-4 13枚 両面 写真多数
コース:阪急関大前→関大一高→関大構内<ここまで>→他の皆様は、千里山→?
集合場所:阪急関大前 南口
参加は
9時~11時まででした
-解散は、12時30分頃と案内されていましたが、トンネルアートパート3 及び
「すいはく、に先約があったため-
歩いたところ・・関西大学の構内
案内:塚崎 昌之氏(現代史研究者)
頂いた資l料:高級住宅地開発と朝鮮人
吹田「理想的田園都市・千里山」・・・地図含む B-4 13枚 両面 写真多数
コース:阪急関大前→関大一高→関大構内<ここまで>→他の皆様は、千里山→?
9時15分頃
関大一高 正門前にて
説明1
ほとばしる知識に驚嘆・・
-1920年前後~現在迄<約100年>-
1.北大阪電鉄(現阪急電鉄千里山線)の歴史
2.千里山花壇(千里山遊園地)跡のこと・・現在 関大一高
・・・阪急花壇町駅の歴史を知る・現在は「関大前駅」しかない・・前記2.千里山遊園地や関大との関係・・
写真は千里山遊園の変遷
関大一高 正門前にて
説明1
ほとばしる知識に驚嘆・・
-1920年前後~現在迄<約100年>-
1.北大阪電鉄(現阪急電鉄千里山線)の歴史
2.千里山花壇(千里山遊園地)跡のこと・・現在 関大一高
・・・阪急花壇町駅の歴史を知る・現在は「関大前駅」しかない・・前記2.千里山遊園地や関大との関係・・
写真は千里山遊園の変遷
説明3
千里遊園 時 のプールや池の説明を受ける
説明4
第3学舎前
千里遊園 時 飛行塔 生駒の山並みが一望
戦争時 飛行塔は監視塔に・・
今はない
説明5
写真は 図書館の説明を・・
1.400mグランドから図書館へ
2.蔵書数・・350万冊・・特徴は、書籍が一ヶ所に集中されている
3.図書館利用のお奨め・・
千里遊園 時 のプールや池の説明を受ける
説明4
第3学舎前
千里遊園 時 飛行塔 生駒の山並みが一望
戦争時 飛行塔は監視塔に・・
今はない
説明5
写真は 図書館の説明を・・
1.400mグランドから図書館へ
2.蔵書数・・350万冊・・特徴は、書籍が一ヶ所に集中されている
3.図書館利用のお奨め・・
2008/07/20のBlog
[ 23:43 ]
[ 22:56 ]
[ 22:02 ]
[ 21:38 ]
[ 21:27 ]
[ 20:52 ]
[ 20:05 ]
2008/07/19のBlog
[ 22:24 ]
正面
毎日新聞の記事が読みたい・・7/19日版・・何か変わったことの記事があるやに・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追加 7/20 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20080719-OYT8T00086.htm
1)重文指定を解除へ 全焼の吹田・吉志部神社
5月の火災で全焼した吉志部(きしべ)神社本殿(吹田市岸部北4)について、
国の文化審議会は18日、重要文化財の指定を解除するよう文部科学相に答
申した。同神社は、仮殿を建てた後、焼失前と同様の本殿を建てる計画を進め
ており、奥田富夫宮司(82)は「正式には聞いていないが残念。今後、氏子総
代を中心とした委員会をつくり、再建へ進んでいきたい」と話している。
本殿は5月23日未明、放火とみられる火災で全焼。同審議会は「材料やデ
ザインが失われ、文化的な価値が損なわれた」と判断した。
吹田市などによると、本殿は1610年に建立。七つある柱の間にそれぞれ神
をまつる七間社(しちけんしゃ)という珍しい造りで、1993年に重文に指定された。
重文建造物の指定解除は94年に愛知県豊川市の大恩寺念仏堂が焼失で解
除されて以来14年ぶり12件目。近く官報に告示され、正式に解除される。
(2008年7月19日 読売新聞)
毎日新聞の記事が読みたい・・7/19日版・・何か変わったことの記事があるやに・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追加 7/20 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20080719-OYT8T00086.htm
1)重文指定を解除へ 全焼の吹田・吉志部神社
5月の火災で全焼した吉志部(きしべ)神社本殿(吹田市岸部北4)について、
国の文化審議会は18日、重要文化財の指定を解除するよう文部科学相に答
申した。同神社は、仮殿を建てた後、焼失前と同様の本殿を建てる計画を進め
ており、奥田富夫宮司(82)は「正式には聞いていないが残念。今後、氏子総
代を中心とした委員会をつくり、再建へ進んでいきたい」と話している。
本殿は5月23日未明、放火とみられる火災で全焼。同審議会は「材料やデ
ザインが失われ、文化的な価値が損なわれた」と判断した。
吹田市などによると、本殿は1610年に建立。七つある柱の間にそれぞれ神
をまつる七間社(しちけんしゃ)という珍しい造りで、1993年に重文に指定された。
重文建造物の指定解除は94年に愛知県豊川市の大恩寺念仏堂が焼失で解
除されて以来14年ぶり12件目。近く官報に告示され、正式に解除される。
(2008年7月19日 読売新聞)
[ 21:51 ]
南<トンネル/「すいはくに」近い方・・から
作品 1
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
トンネル 高さ 3.5m 幅40m 吹田市立博物館(岸部北)の入り口<北>
名神高速道路下
・・・・・
言い訳
「すいは」と二股・・身は一つ・・朝、少し・・昼は全くの身・・堪忍な・・
作品 1
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
トンネル 高さ 3.5m 幅40m 吹田市立博物館(岸部北)の入り口<北>
名神高速道路下
・・・・・
言い訳
「すいは」と二股・・身は一つ・・朝、少し・・昼は全くの身・・堪忍な・・
今日<7/19>、 「すいはく」は「知の祭り」でした。
佐藤先生の司会で・・締め・・小山館長
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シンポ・・知の祭り・・総合地球環境学研
↓→黒田和孝氏:佐藤洋一郎先生・・会場から神の声・・堪忍どすえ?!!
【19日】 座談会:千里をかける竹 ↓ ↑
「竹細工と暮らす、竹細工と生きる」 きょうちんの独善え・・
黒田和孝 (奇竹堂・黒田宗傳 茶ノ湯竹器師)
「竹の焼畑―森の再生と持続可能な農耕のかたち」
川野和昭 (鹿児島県立歴史資料センター黎明館 学芸課長)
コーディネーター:佐藤洋一郎 (総合地球環境学研究所 教授)
*各講師のテーマは変更になることもあります。
↑
http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028
http://www.suita.ed.jp/hak/
7月19日 座談会:千里をかける竹
「竹細工と暮らす、竹細工と生きる」
茶の湯竹器師・奇竹堂 黒田和孝氏
「竹の焼畑-森の再生と持続可能な農耕のかたち-」
鹿児島県歴史資料センター黎明館学芸課長 川野和昭氏
コーディネーター
総合地球環境学研究所教授 佐藤洋一郎氏
佐藤先生の司会で・・締め・・小山館長
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シンポ・・知の祭り・・総合地球環境学研
↓→黒田和孝氏:佐藤洋一郎先生・・会場から神の声・・堪忍どすえ?!!
【19日】 座談会:千里をかける竹 ↓ ↑
「竹細工と暮らす、竹細工と生きる」 きょうちんの独善え・・
黒田和孝 (奇竹堂・黒田宗傳 茶ノ湯竹器師)
「竹の焼畑―森の再生と持続可能な農耕のかたち」
川野和昭 (鹿児島県立歴史資料センター黎明館 学芸課長)
コーディネーター:佐藤洋一郎 (総合地球環境学研究所 教授)
*各講師のテーマは変更になることもあります。
↑
http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028
http://www.suita.ed.jp/hak/
7月19日 座談会:千里をかける竹
「竹細工と暮らす、竹細工と生きる」
茶の湯竹器師・奇竹堂 黒田和孝氏
「竹の焼畑-森の再生と持続可能な農耕のかたち-」
鹿児島県歴史資料センター黎明館学芸課長 川野和昭氏
コーディネーター
総合地球環境学研究所教授 佐藤洋一郎氏
写真の真中<携帯電話ぶらり>が
「竹の焼畑-森の再生と持続可能な農耕のかたち-」
鹿児島県歴史資料センター黎明館学芸課長 川野和昭氏
予定終了の時刻も、30分は延長・・講演終了後にパチリ・・エンドレスの知祭り
館長の乱入・・知は剣より強し・・知の祭り・・エドレス・・宿題
●館長の乱入とは・・気に応じ・・意気<イキ>の研究者の談・・場を躍動させ・広い視野に導いたり・・・四国は観音寺で学ばれ・・今・・「親鸞」?さんの心境とか・・・
---「すいは」は、明るく、楽しい・・知の遊園になりつつあります---
「竹の焼畑-森の再生と持続可能な農耕のかたち-」
鹿児島県歴史資料センター黎明館学芸課長 川野和昭氏
予定終了の時刻も、30分は延長・・講演終了後にパチリ・・エンドレスの知祭り
館長の乱入・・知は剣より強し・・知の祭り・・エドレス・・宿題
●館長の乱入とは・・気に応じ・・意気<イキ>の研究者の談・・場を躍動させ・広い視野に導いたり・・・四国は観音寺で学ばれ・・今・・「親鸞」?さんの心境とか・・・
---「すいは」は、明るく、楽しい・・知の遊園になりつつあります---
鹿児島県歴史資料センター黎明館学芸課長
川野和昭氏よりお見せ頂いた「竹籠」の一例
レジメ A4 5頁
「内なる鹿児島人に出会う
東南アジア山岳少数民族の旅
-比較民族学の可能性-
1.アジアとはどこなのか?
2.日本とはどこなのか?
3.鹿児島とはどこなのか?
↓
9.比較の文化指標としての民族
・・・今日も・・ドロに縄・・・きょうちゃんのお勉強・・夏休み/社会暇・・・・
■鹿児島県歴史資料センター黎明館
http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/
鹿児島県歴史資料センター黎明館は,明治百年(昭和43年)を記念して,昭和58(1983)年に開館した人文系の総合博物館で,鹿児島の歴史,考古,民俗,美術・工芸を紹介しています。
黎明館の敷地は,江戸時代の鹿児島(鶴丸)城本丸跡で,現在でも濠,石垣,石橋など由緒あるものが残っており,これらは鹿児島県指定史跡になっています。
● 黎明館企画特別展 「天璋院篤姫展」
平成20年9月6日(土)~10月17日(金)
開催にあたって
激動の幕末、薩摩藩主島津家の一門に生まれ、第13代将軍徳川家定の御台所(正室)となった篤姫。夫の急死により天璋院と改称した後も江戸城大奥を束ねました。
篤姫が育った薩摩の風土・文化、大奥での華麗な生活、皇女和宮との関係、そして江戸開城に際しての徳川家存続を願う熱い想い・・・。
江戸城大奥や将軍にまつわる華麗な調度や衣装、彼女の人生に大きく影響する幕末の激動を伝える歴史資料等を通して、篤姫の波乱に満ちた生涯をたどります。
展示の構成
プロローグ 篤姫のふるさと薩摩
篤姫は天保6年,今和泉島津家に生まれた。本章では,今和泉島津家の由緒や当時の城下の様子を紹介する。また篤姫が十九歳まで過ごした薩摩の文化・風土を併せて紹介する。
第1章 御台所までの道のり
篤姫が将軍御台所となるまでの道程は平坦ではない。本章では篤姫の先例となった竹姫・茂姫入輿に始まり,輿入れに至るまでの島津斉彬の動向・思惑・政治的背景等を中心に紹介する。
第2章 婚礼~将軍家定と敬子~
安政3年,近衛忠熙の養女となり敬子と名を改めた篤姫は将軍家に嫁いだ。本章では、婚礼調度品を中心に、夫家定の手回り品、江戸城等を紹介する。また、篤姫が将軍継嗣問題にどのように関わったのかを残された書状等により紹介する。
第3章 江戸城大奥
婚礼からわずか1年半,家定が死去し,敬子は落飾して天璋院と号した。天璋院は若き将軍家茂の養母として,また大奥の総取締まりとして,引き続き重責を担うこととなる。本章では,天璋院の装束・手回り品を中心に和宮所用の品も展示し,大奥での暮らしを紹介する。
第4章 幕府瓦解 ~徳川家存続への思い~
慶応4年,戊辰戦争が始まる。自らの実家である薩摩藩が主力となった軍勢が江戸へ進撃するという悲劇的状況の中,天璋院は徳川家存続のため一貫して毅然とした態度をとる。本章ではそこへ至るまでの最幕末の政情を紹介し,天璋院の動向を明らかにする。
エピローグ 明治の天璋院
江戸城を出た天璋院であったが,家名存続の願いは通じ,田安亀之助(徳川家達)が徳川宗家を相続した。天璋院は幼い家達の養育に力を注ぎ,徳川家の行く末に確かな道筋を築いた。本章では,江戸開城から明治16年の逝去までの天璋院の姿をたどり,彼女が一命を賭して願った徳川家の存続・発展の過程を概観する。
川野和昭氏よりお見せ頂いた「竹籠」の一例
レジメ A4 5頁
「内なる鹿児島人に出会う
東南アジア山岳少数民族の旅
-比較民族学の可能性-
1.アジアとはどこなのか?
2.日本とはどこなのか?
3.鹿児島とはどこなのか?
↓
9.比較の文化指標としての民族
・・・今日も・・ドロに縄・・・きょうちゃんのお勉強・・夏休み/社会暇・・・・
■鹿児島県歴史資料センター黎明館
http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/
鹿児島県歴史資料センター黎明館は,明治百年(昭和43年)を記念して,昭和58(1983)年に開館した人文系の総合博物館で,鹿児島の歴史,考古,民俗,美術・工芸を紹介しています。
黎明館の敷地は,江戸時代の鹿児島(鶴丸)城本丸跡で,現在でも濠,石垣,石橋など由緒あるものが残っており,これらは鹿児島県指定史跡になっています。
● 黎明館企画特別展 「天璋院篤姫展」
平成20年9月6日(土)~10月17日(金)
開催にあたって
激動の幕末、薩摩藩主島津家の一門に生まれ、第13代将軍徳川家定の御台所(正室)となった篤姫。夫の急死により天璋院と改称した後も江戸城大奥を束ねました。
篤姫が育った薩摩の風土・文化、大奥での華麗な生活、皇女和宮との関係、そして江戸開城に際しての徳川家存続を願う熱い想い・・・。
江戸城大奥や将軍にまつわる華麗な調度や衣装、彼女の人生に大きく影響する幕末の激動を伝える歴史資料等を通して、篤姫の波乱に満ちた生涯をたどります。
展示の構成
プロローグ 篤姫のふるさと薩摩
篤姫は天保6年,今和泉島津家に生まれた。本章では,今和泉島津家の由緒や当時の城下の様子を紹介する。また篤姫が十九歳まで過ごした薩摩の文化・風土を併せて紹介する。
第1章 御台所までの道のり
篤姫が将軍御台所となるまでの道程は平坦ではない。本章では篤姫の先例となった竹姫・茂姫入輿に始まり,輿入れに至るまでの島津斉彬の動向・思惑・政治的背景等を中心に紹介する。
第2章 婚礼~将軍家定と敬子~
安政3年,近衛忠熙の養女となり敬子と名を改めた篤姫は将軍家に嫁いだ。本章では、婚礼調度品を中心に、夫家定の手回り品、江戸城等を紹介する。また、篤姫が将軍継嗣問題にどのように関わったのかを残された書状等により紹介する。
第3章 江戸城大奥
婚礼からわずか1年半,家定が死去し,敬子は落飾して天璋院と号した。天璋院は若き将軍家茂の養母として,また大奥の総取締まりとして,引き続き重責を担うこととなる。本章では,天璋院の装束・手回り品を中心に和宮所用の品も展示し,大奥での暮らしを紹介する。
第4章 幕府瓦解 ~徳川家存続への思い~
慶応4年,戊辰戦争が始まる。自らの実家である薩摩藩が主力となった軍勢が江戸へ進撃するという悲劇的状況の中,天璋院は徳川家存続のため一貫して毅然とした態度をとる。本章ではそこへ至るまでの最幕末の政情を紹介し,天璋院の動向を明らかにする。
エピローグ 明治の天璋院
江戸城を出た天璋院であったが,家名存続の願いは通じ,田安亀之助(徳川家達)が徳川宗家を相続した。天璋院は幼い家達の養育に力を注ぎ,徳川家の行く末に確かな道筋を築いた。本章では,江戸開城から明治16年の逝去までの天璋院の姿をたどり,彼女が一命を賭して願った徳川家の存続・発展の過程を概観する。
鹿児島県歴史資料センター黎明館
電話番号 : 099-222-5100 FAX : 099-222-5143
メールアドレス : reimei@pref.kagoshima.lg.jp
・・・・・・・・・・・・まとめ・・・・・・・・・・
竹は勿論・・
今日も・・ドロに縄・・・きょうちゃんのお勉強・・夏休み/社会暇は続けたい
今回7/18~7/19
五名の先生・・ありがとうございました
柏木先生(富士竹類植物園)・佐々木先生(福島県立博物館)・黒田 (京都 茶ノ湯竹器師)先生・川野先生(鹿児島県歴史資料センター黎明館)・佐藤先生(総合地球環境学研究所 教授)
カンチョー・・明日<7/20>は、そうめん流し100食 無料 11:30分・・しっかり、
頂きに・・トンネルアート パート3の「お子達」も参加する予定とか・・ご寄付ありがとう。
電話番号 : 099-222-5100 FAX : 099-222-5143
メールアドレス : reimei@pref.kagoshima.lg.jp
・・・・・・・・・・・・まとめ・・・・・・・・・・
竹は勿論・・
今日も・・ドロに縄・・・きょうちゃんのお勉強・・夏休み/社会暇は続けたい
今回7/18~7/19
五名の先生・・ありがとうございました
柏木先生(富士竹類植物園)・佐々木先生(福島県立博物館)・黒田 (京都 茶ノ湯竹器師)先生・川野先生(鹿児島県歴史資料センター黎明館)・佐藤先生(総合地球環境学研究所 教授)
カンチョー・・明日<7/20>は、そうめん流し100食 無料 11:30分・・しっかり、
頂きに・・トンネルアート パート3の「お子達」も参加する予定とか・・ご寄付ありがとう。
やはり、「こぼら」さん・・爪の垢下さい。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028
千里ニュータウン展&万博展をした吹田市立博物館を小山修三館長と盛り上げるブログ
千里をかける竹 -シンポ報告(その2)
[ 20:03 ] [ 竹をたずねて ] [ スライドショウ ]
7月19日(土)午後2時~、地球研佐藤プロジェクト主催のシンポジウム「千里をかける竹」2日目がありました。
最初に登場されたのは、茶ノ湯竹器師の黒田和孝さんです。黒田さんがあつかう竹の9割以上は、マダケ(利休さんの頃には、まだモウソウチクはなかった)。その竹を材として準備する工程のことなど、竹をあつかう人ならではの興味深い話をしていただきました。 次に登場されたのは、鹿児島県立歴史資料センター黎明館(ここも先日のブルータスに登場)の川野和昭さん、昨日の佐々木長生さんとともに民具の企画展示をしています。お互いの地方の民具を比較すると「北は木の民具、南は竹の民具」という特徴がわかるそうです。
川野さんは、民博で鹿児島とそっくりのラオスのカゴをみてから、ラオスに通いはじめました。今日は、休閑期も半栽培地として利用サイクルにふくまれているという「竹の焼畑」についてお話しいただました。
フロア中央には、東・南アジア農耕文化史がご専門で、第14回南方熊楠賞をうけられた元民博館長のS先生が陣取っておられ、鋭い質問がバシバシ飛んでいました。カンチョーも今日はガクシャの顔・・・昨日の雰囲気とはうってかわって、ぴりっとした研究会となりました。(こぼら)
[ 更新日時:2008/07/19 21:04 ]
この記事のURL: http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028/2623821#2623821
[ コメントを見る・書く(0) ]
写真も「こぼら」さん・・「竹」と「こぼら」さんの爪を混ぜて・・名文につとめます
http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028
千里ニュータウン展&万博展をした吹田市立博物館を小山修三館長と盛り上げるブログ
千里をかける竹 -シンポ報告(その2)
[ 20:03 ] [ 竹をたずねて ] [ スライドショウ ]
7月19日(土)午後2時~、地球研佐藤プロジェクト主催のシンポジウム「千里をかける竹」2日目がありました。
最初に登場されたのは、茶ノ湯竹器師の黒田和孝さんです。黒田さんがあつかう竹の9割以上は、マダケ(利休さんの頃には、まだモウソウチクはなかった)。その竹を材として準備する工程のことなど、竹をあつかう人ならではの興味深い話をしていただきました。 次に登場されたのは、鹿児島県立歴史資料センター黎明館(ここも先日のブルータスに登場)の川野和昭さん、昨日の佐々木長生さんとともに民具の企画展示をしています。お互いの地方の民具を比較すると「北は木の民具、南は竹の民具」という特徴がわかるそうです。
川野さんは、民博で鹿児島とそっくりのラオスのカゴをみてから、ラオスに通いはじめました。今日は、休閑期も半栽培地として利用サイクルにふくまれているという「竹の焼畑」についてお話しいただました。
フロア中央には、東・南アジア農耕文化史がご専門で、第14回南方熊楠賞をうけられた元民博館長のS先生が陣取っておられ、鋭い質問がバシバシ飛んでいました。カンチョーも今日はガクシャの顔・・・昨日の雰囲気とはうってかわって、ぴりっとした研究会となりました。(こぼら)
[ 更新日時:2008/07/19 21:04 ]
この記事のURL: http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028/2623821#2623821
[ コメントを見る・書く(0) ]
写真も「こぼら」さん・・「竹」と「こぼら」さんの爪を混ぜて・・名文につとめます
http://tanpopoblogsuita.blog96.fc2.com/
たんぽぽブログ 吹田
街のお茶の間「カフェたんぽぽ」
吹田のお味はいかがでしたか?
博物館講座の流れで、たんぽぽにお越しになったメンバーと
たんぽぽ関係が数名で30名弱の祝宴になりました。
お客をまつ御馳走たち。
たんぽぽブログ 吹田
街のお茶の間「カフェたんぽぽ」
吹田のお味はいかがでしたか?
博物館講座の流れで、たんぽぽにお越しになったメンバーと
たんぽぽ関係が数名で30名弱の祝宴になりました。
お客をまつ御馳走たち。
佐々木先生のよく通るいい喉を聞かせていただきました。
大阪吹田の夜は更けていきました。
(飲み放題の祝宴@たんぽぽ
【2008/07/18 22:05】 居酒屋たんぽぽ | TRACKBACK(1) | COMMENT(0)
大阪吹田の夜は更けていきました。
(飲み放題の祝宴@たんぽぽ
【2008/07/18 22:05】 居酒屋たんぽぽ | TRACKBACK(1) | COMMENT(0)