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2008/05/15のBlog
[ 23:31 ] [ 言葉のノート ]

口に入れた瞬間に広がる世界は甘美でいて崇高。

広がっていく瞬間は、頭を活性化させ心に安らぎを与える。




普段からは、余り口に入れる事は無いけど
考え事をしていると無性に欲しくなるモノ。

嫌いじゃないけど、過ぎるモノは好きじゃない。
でも、何故か口にしてしまうモノ。

京都に行くとついつい求めてしまうモノもある。
それは、口に入れた瞬間に繰り広げられるひとつの物語で
ほんのり甘くて、くどくなく、すっと染み入るような心安らぐ物語。

考え事をしている時に、口にすればすーっと頭がクリアになる錯覚すら有る。
アマイモノは自分にとって不思議な存在だ。
[ 22:55 ] [ 思いつき98%な日記 ]
やってよかったと満足する事。

胸に手を当てて最近、そーゆー事って有ったかな?
って考えてみる。

最近の自分は概ね、それが出来ていると思うが
少し前の自分は少なくとも満足できているとは思えなかった。


毎日が忙しいのと、充実していると言うのは違うし
充実しているつもりでも、それが虚構だったのではと疑心暗鬼になったり

結局、大事にしていたモノが崩れ去った時
自分に残った物が何も無い事に気づかされる事も多々有った。

自分は今まで何をやっていたのかと思うのと同時に
失ったもののに依存していた自分が
その支えを失った時、どれだけ脆弱であるかを思い知る。


でも、それが出発点だ。
失って初めてわかる事。
それが自分と言うモノの中ではなかなか知る事が出来ない。

だから、それがわかったのなら、自分は自分と言う存在の中で一歩進めたのだ。

やってよかったと満足する事は難しい。
でも、それを実感する事があるとしたら
それは自分の力を、労力を顧みずに注ぎ続ける事なのだろう。

やりたかった事を、ただやるだけでは、まだダメで
そこから続けて、そこにある何かを見つける事。
それを見つけて、自分はどうしたいのか、どうするべきかを考え
そして、動いてみる。
戸惑うこと、躊躇う事はあるけど、とにかく進んでみる。

そうやって信じれる友人と自分なりに手探りに進んでみて
やって良かったと言う満足を実感できた。

まだまだ、これからで今の現状に満足していてはダメだけど
それでも、少しでも良かったと思えたのなら
今の自分は充実しているんだと言い張れる。
2008/05/14のBlog
[ 23:38 ] [ 言葉のノート ]

ふと思いついた事から始まって終わりの無いモノ。

考えて失敗して進すむ事で生まれたカタチ。




こうなればいいのに。
こうだったらやりやすいのに。

そこで止まらずに先を考える事で浮かび上がる発想。
その発想を元に生み出される物。

一工夫。

それは想いや情熱の結晶で
時には失敗と言う涙や苦労と言う汗を吸い。
閃きと努力によって編み出された作品。

でも工夫に終わりは無くて、さらに上を目指して進んでゆくもの。

今日もどこかで新しい産声を上げているんだろう。
[ 22:36 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
何かをする過程で人は常に考える物で
例え何も考えていなかったとしても
段階の途中でどうするべきかを選択しているモノだ。


特に買い物等で選ぶ時は
まず欲しい物に条件を決め、それに当てはまる物を選ぶ。
その条件を前提にしながら、あとは自分の直感やイメージで絞っていくのだ。


また、何かをしようと行動した際でも人は考える。
例えば単純に石を投げるにしても
より飛ばすにはどうすればいいのか。
綺麗に飛ばすにはどうすればいいのか。
投げ方ひとつにしてもイロイロと試したりするだろう。


人は考える生き物で、興味の無い事に関してはそれ程考えないかも知れないが
興味の有る事や自分にとって必要のある事に関しては常に試行錯誤したりする。

特にひとつに集中している事があると、それしか見えない人は多いだろう。
集中することで脳内が活性化され、ヒラメキで満ち溢れる事は良くある事で
頭が冴え渡ったり、いつもよりも冷静に考えられたりするものだ。


その考える事には効率化を求める傾向がある。
いかに物事を効率よく行えるかの一点に考えが絞られ
行動の無駄を無くし、より円滑さを求めるのだ。
これによって行動における時間の短縮や、労力の節約等の効果が得られる。

また、改善と言うカタチで
自分の行動に対して無理や弊害が生じた場合にそれをいかに改善するか
もしくはより良くするにはどうすればいいか?と言う考え方で
ひとつの考えに固執しないで、さらに上を考えたりする。
特に時代の流れは早く、昔のやり方では追いつかない事があるからだ。

しかし、効率を求めるばかりでも、上手くいかないのが人間で
特に人間関係に関しては、いくら考えても頭を悩ませる事が多いだろう。

むしろ効率を求めすぎるばかりに、失うモノがあったり
逆に他人に気を使いすぎるばかりに、自分自身が疲弊したり
考えても納得の行く方法が思いつかなかったり


人とは考える事によって生き、発展し、栄えた。
考える事で様々な可能性を生み出し、生き方を現した。
しかし、生きると言う事は人と言う感情があるからこそ意味がある物で

考える事は必要だけど、偏りすぎてもダメで
バランスが重要なのである。

効率をある程度求めつつも、自分自身や周囲に対しても負担が無い方法。
考えれば考えるほどイロイロな物が見えてくる。

それが人間の素晴らしい可能性だ。
2008/05/13のBlog
[ 23:41 ] [ 言葉のノート ]

失った時の事を考えると、前を進めなくなる。

だったら先の事を考えずに今を出来る限り楽しむ事だ。




それしか見えなくて
考えられなくて
無くてはならない存在で

だからこそ、これから先に進む事で
失ってしまうのでは
無くなってしまうのでは
自分から離れていくのでは
と考えるたび、胸が締め付けられ思考が負の闇に包まれる。

でも、それは今どれだけ考えても結論が出なくて
むしろ、前に進めなくなる弊害になるのなら
今と言う一瞬一瞬を楽しむ事に集中するべきだ。

失う事になるなら、最初から無かったら良かった。と思うのではなく
失う事になるかも知れないからこそ、今と言う時間を精一杯楽しむと考えるべきで
必ず楽しかった思い出は自分にとってプラスになる。

今を精一杯楽しめるモノは未来を楽しむ術を知る事が出来る。
そして未来の事なんて誰もわかんないのだから楽しんだ者勝ちでもあるんだ。
2008/05/12のBlog
[ 23:54 ] [ 言葉のノート ]

その必要があると感じたなら躊躇せずに突き進む。

その瞬間、問題と考えていた事が吹っ飛ぶから。




必要だと感じたならば
なにも躊躇う必要は無くて

それが自分から動く時でも
向こうから動くタイミングを持ってきた時でも
なんら変わる事は無い。

ただ、必要を感じているのに
立ち止まってしまう事は可能性そのものを無くしてしまう。


必要だと感じたら迷わず動け、なりふり構うな。
例えどんな労力を費やしたとしても
今しか得られない物は、今しかない!
[ 22:19 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
何かの為に備えたり
いざと言う時の為に構えたり


対処するために
対応するために


人は何らかの処置を講ずる。


それは自分自身に起こりうるものへだったり
これから訪れる事象に対してだったり、様々だろう。

しかし、これらに等しく言える事があるとするならば

構えるだけではまだ足りない。と言う事である。


備えをしっかりして、いざと言う時に構える。
それは大事な事であるが
構えているだけでは、いざと言う時に動けない。

構えながら、現在の状況を把握し、頭の中でイメージして
可能性を模索する。

常にリアルな現状を把握する事で、何に対して備え
何に向けて構えるべきかを考え、知る事が大事なのである。


後ろでどっしり構えていても、いざと言う時に動けないのは
現状をしっかり把握できていないからだ。

心と言うのは、普段から切り替えを行っていないと
いざ切り替えろと言われても出来ないように

構えも同じで、言われてから構えるのでは役に立たないし
構えてるだけで実際、反応出来ないのであれば構えの意味を成さない。


その為にも頭の中でしっかりイメージする事を
常日頃、自身で習慣付けるしかないのだろう。

いざと言う時に動けるかどうかは
常に構えている事も大切だけど、構えた上でどう動くかが見えなければ意味が無い。

動くためには、周囲の状況を把握できるアンテナを常に張り巡らす癖をつける事だろう。
2008/05/11のBlog
[ 23:33 ] [ 言葉のノート ]

何かを持て余していたり、しょうもない事を考える。

それこそが安らぎで身体を休めれている証拠だ。



ついつい暇だと感じたり
飽きてやる事を探したりするけど

それこそ、忙しさから解放された証拠で
悲鳴を上げていた身体が物足りないと呻いているのかも知れない。

そのヒトトキの安らぎに今は身を委ね
また戦場の様な忙しさに赴く準備をしよう。

心の準備を。
[ 21:38 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
2つの内、1つを選ぶ場面で
予め決めていたとしても

その1つを選ぶ事で、もう1つを完全に
諦めなければならない場合
必ず人は迷うモノである。


仲の良い二人の友達がいたとして
その二人が対立する事になった場合
選択肢は3つ。

どちらか片方に付くか
どちらにも関わらないか
両者を治める側に回るか

どの道もメリットとデメリットが有り
人間関係を乱さずに元鞘に戻すには、それなりの技量と経験を必要とするだろう。


だからと言って、どちらかを選べと言われて選べる物でもないし
仮に、そのどちらかを決めていたとしても
実際に、対立した場合に選べるか?と聞かれたら迷うモノである。


二つのうちから一つを選ぶとは、まさに究極の選択で

それがオヤツのプリンで有っても
掛け替えの無い親友で有っても

人は大小はあれど迷うものである。


決断力と言うモノは、瞬間的に正解を導き出す力でない。
例え間違っていたとしても、その二つのうちの一つを選べる力だ。
例え迷ったとしても人は必ず選ばなければならない時がある。

小さい事でも大きい事でも
リスクの無い事でもリスクのある時でも

人は自分で考えて悩んで決めていかなければならない。

選択の自由は誰しもに与えられていて、それは時に苦痛で残酷なモノでもある。

他者を切り捨てなければいけない時。
自分を殺さなければならない時。
何かを得るために何か捨てなければ進めない時。
生きる為に進む度、自分の夢が薄れていく時。

常に人は選んで生きている。
時には知らず知らず
時には知りながら知らない振りをして

逃げる事を選ぶ事で現実を捨てたり
悩む事で悔やむ事で未来から目を背けているのかも知れない。


だけど、今まで間違ってばかりだったとしても
自分は生きて来たワケで、周りからヒントやアドバイスを貰っていたとしても
ちゃんと自分で選んで生きてきたのだ。

迷う事は誰でもあるし、悔やむのなんて当たり前で
転んで逃げて穴に落ちて、初めてわかる事だってあるんだ。


苦痛は痛いだけじゃない苦しいだけじゃない。
痛いからこそわかる物もあるし
苦しいからこそ得る物もある。

選ぶ事を拒否してしまう、選ぶ事から逃げてしまう。
それが原因で招いてしまった現実に後悔する。

自分はそれが一番悔しいのかも知れない。

だから、散々迷って躊躇しながらでも、最後は必ず自分で決めればいい。

別に迷ってもいい。悔やんでもいい。
ただその時に自分の考えで最終的に選べるかどうかが
決断力の有無なんだと考える。
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