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2008/03/23のBlog
[ 17:24 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
以前、友人のyasu-box(以下、ヤスボ)

「【.2s】のタイトル画像の作成とかレイアウトの紹介とか自分がしたから
最近、自分のブログと勘違いする(笑)」

とか、突然言い出した。

まぁ、ヤスボが作ったタイトル画像だし
その他もろもろ、立ち上げ当初からイロイロ格別のお世話をして貰っているから
ブログに愛着が湧くのはわからなくもない。


でヤスボ曰く、勝手に寝てる間に記事が出来上がってる心境だそうだ。


「じゃあ、k-stord小人頑張って記事書いといて(笑)」


最早、グリム童話「小人とクツ屋」の小人扱いなk-stord。


そして、そのk-stord小人は
最近、Doblog限定ブログ紹介の「Doblogの風~ブログ紹介所~」
ブログ紹介記事のリサーチ&作成も手伝わされている。


なんと言うか、ヤスボは小人使いが荒い事この上ない存在である(笑)



と、冗談はこの辺にしておいて
その会話をしてから、コンマ2秒で思いついた事があった。

それは上記の話で出てきた「小人」の存在についてだ。


先の「小人のクツ屋」の話はグリム童話にある童話のひとつで

貧乏なクツ屋が皮をクツの形だけにして寝てしまうと
何故か朝起きたらクツが出来上がっていると言う話である。
そして、それを作っていたのが二人の小人なのだ。


しかし、小人と呼ばれる存在は
有名どころで「小人とクツ屋」、「白雪姫」、「ガリバーの冒険」
他にもイロイロと小人と総称されるものがあり
あまり統一されていない様に感じる。
しっかりとした小人の定義が無いのだろうか。

童話や昔話で出てくる小人は
髭の長いずんぐりむっくりのお爺さんだが
それを小人の全てのイメージとするのは釈然といかないものがあった。



では、小人とはどう言った存在を示すのか調べてみた。


童話や伝承で登場する小人と呼ばれる存在は、伝説の生物として分別されている。

その中で、世界各地の伝承や伝説に登場する小型の人間。
人間に近い容姿を持つ妖精が小人と呼ばれるそうだ。



伝説上の小人と言われると、ふと思い浮かぶのはコロボックルだろう。
コロボックルはアイヌ神話に登場する小人で、「露の葉の下の小人」と言う意味らしい。

コロボックルはアイヌと呼ばれる民族に伝承されていて
主に北海道や南千島、樺太に広く流布されている。

その中でコロボックルは、アイヌ民族が住み始める前の先住民で背丈が低く、動きがすばやい漁の上手い存在だったらしい。


自分の認識ではコロボックルの存在は精霊に近い物と解釈していたのだが、それはどうやら後世の物語等の影響が大きいようだ。



他に小人と呼ばれる存在は日本では有名な一寸法師が出てくる。

一寸法師は日本のお伽噺の一つで御伽草子に掲載された物が元になっている。

その中では、一寸法師は身の丈3cmとされている。
縫い針を腰に刺して刀にするぐらいであるから、それぐらい小さいのだろうと考えるも
3cmでは、普通に人から相手にして貰うどころか、見世物になっておしまいな気もする。

だが、一寸法師の話は昔話で話されている一般の一寸法師よりも
御伽草子に掲載されているのは少し現実的な話らしい。


まず、一寸法師は一向に成長しない身体をコンプレックスに思って家出する。
(どうもネガティブ王子だったらしい。)

家出して京に渡り、宰相の娘に一目惚れする。
そこで一寸法師は自分の小さな身体では姫を妻に出来ないと思い込み一計を案じる。
(さすがネガティブ王子は腹黒である。)

まんまと罠にかかった宰相と姫は一寸法師に騙されて疎遠になり
一寸法師と姫は共に宰相の家から家出する。
(一寸法師的には、しめしめである。)

その旅先で不気味な島につき、鬼に出くわした。
鬼は一寸法師を食べるも一寸法師は鬼の目から逃げ出してくる。
(食べられては目から脱出と言う不気味なループがしばらく続く。)
根負けした鬼は「今日はこの辺にしといてやるぜ!」と
打ち出の小槌をほり投げて逃げる。
(鬼の威厳がまるで無い。ちんぴらA状態である。)

一寸法師の武勇伝は世間に広まり
(と言うか自分で広げたんだろう。まさに策士である。)

そんでもってに取り入って中納言まで出世するのである。


自分的解釈が有る程度入っているが、それでもクリーンな話では無い。
どちらかと言えば一寸法師は今風のサクセスストーリーだったみたいだ。



そして世間一般では有名な妖精としての小人。
ドワーフトロールエルフフェアリーホビットスクナビコナあたりだろう。

ドワーフは北欧やドイツ語圏に住む小人で、物語や伝承によって異なるも
統一されているイメージは背が低くて屈強で長い髭がある事だろうか。

北欧神話では、神々と対立する存在でありながら対価に応じて魔力のある武器や宝具を作る職人に位置する。
童話の白雪姫に登場する7人の小人は英語ではドワーフと訳されている。
民間伝承のドワーフでは立った姿勢のまま腕が地面につくほど長いらしい。

あの有名な指輪物語でも有名なドワーフは鍛冶屋であり、屈強なヒゲのおじさんのイメージがつよいみたいだ。


続いてトロールはスカンジナビア半島に住む小人の妖精で丘や土手、塚などに住む。親切だが盗癖がある困ったちゃんだそうだ。
ノルウェーの伝承で登場する要請の一種で、様々な説が存在する。
その中でも鼻や耳が大き醜い存在らしい。

しかし、一般的なイメージでは小人のイメージよりも巨漢で怪力な知能の低いイメージが定着しているトロール。
今でもトロールの存在はノルウェーでは信じられている事が多く、日常でふと物が無くなると「トロールのいたずら」と言うそうだ。


エルフフェアリーは個人的に小人と言うよりも妖精としての認識が大きく、世間でもその認識が強い。
しかし、森の小人として存在する事も多い存在だ。

そう言った認識では、小人とエルフ・フェアリーの定義は曖昧なのかも知れない。


ホビットは架空の種族である。
J・R・R・トールキンの作品「ホビットの冒険」「指輪物語」に登場し
身長は60~121cmで平和と食事をこよなく愛する種族だ。
ホビットたちは、トールキンのインスピレーションである英国の田舎の人々と同様に酒場でエールを飲む事を好むそうだ。


そしてスクナビコナである。
スクナビコナは日本神話に登場する神である。
古事記日本書紀では若干違いが生じるが、身体が小さくて敏捷、忍耐力が有り、大国主と協力して国を造ったとされる。
一説には知恵の神とされ、医療、医薬の知識に優れていたそうだ。



小人と呼ばれる存在は多種多様で、一般に認識しているイメージは
人間よりも小さい存在である。


しかし、その小人と呼ばれた存在は様々な伝承や説話や物語に登場し
それらの世界で重要な役割を果たしている。
世間的なイメージとは違う一面を持つ小人達の存在に興味が増すばかりだ。



とりあえず、ヤスボにとってk-stord小人と言う存在は
せっせとヤスボの代わりに仕事をこなす様な可愛い存在では無く。
一寸法師のような腹黒い存在である事は間違いないだろう(笑)
[ 14:38 ] [ 思いつき98%な日記 ]
とある日、ふと耳にした曲に

不意打ち的に心を揺さぶるかのよう

感情と言う波が自分に押し寄せた。



思い出の曲が流れる度に

なぜ人は懐かしさを覚えるのだろうか


その時の感動を鮮明に思い出す時もあれば

ただ懐かしいと感じるだけの時もあるが


その曲を感じるだけで

なぜかココロの底から熱くなり
鳥肌が立つ。


人には思い出がある。
それは自分と言う人生の記憶で
そこにあるひとつひとつの想いが今の自分を作り上げた。


そして自分という存在が生きてきた中で思い出深い曲は必ず存在する。


曲に記憶が刻み込まれ、その曲を聞く度に過去への扉が開く。


その想い出は、楽しい事だけで無く、辛い事も悲しい事もある。

それでも、その曲が流れる度に懐かしいと感じてしまうのは
過ぎ去ってしまった時間だと自らが実感しているからだろうか。


人は曲を、歌を奏でる生き物で
そこには作り手、歌い手、聞き手、それぞれに想いがあり
それぞれが記憶を刻み込んでゆく。


懐かしい曲を不意にした時、ふと無意識に流れ出す涙。

素直にその想いを受け止めて、懐かしんだ。


あの時には、もう戻れないけれど
それでも後悔はしていないと、自分に言い聞かせて

今の自分に満足はしていないけど
過去の自分に向かって自分は微笑みかけた。

今の自分も決して悪くはないと。
[ 12:15 ] [ 思いつき98%な日記 ]
先日、友人のyasu-box(以下、ヤスボ)
突然、西武ライオンズの野球観戦に行くと行って姿を消した。


そうヤスボという男は、西武ライオンズの筋金入りのファンなのだ。

開幕戦の時なんぞ、話しかけても
返事が無いただの屍状態な程の熱中振りである。


その日、ヤスボは寝坊してしまったらしいのだが、
それにも構わず、目覚ましのブラックコーヒーを嗜みつつ
余裕のオーラと覚悟にも似たテンションで西武ドームに旅立った。

これから俺は戦いに挑むと言わんが如く
まさしく死地に旅立つ戦士だぜ。とノリノリのヤスボ。

彼の何がそう熱くさせるのか・・・・。


自分は高校野球こそ好きだがプロ野球にはあんまり興味が無い人間だ。

なぜなら高校野球は負ければ、その時点で終了である。
さらに勝つ度に試合間隔が短くなり
しかも相手も同じくして勝ち上がって来た強者だ。
この勝負の世界を感じさせる臨場感がなんともたまらない。

確かにプロにはプロの良さがある。
プロとして磨き上げた個々の力量とチームとしての戦略。
ペナントレースと言う長期間を通しての壮絶な順位争い。

だけども正直言って自分はあまりプロに興味が湧かない人間だ。
簡単な話、ペナントレースは自分にとって長すぎるのである。



そんなヤスボの旅立ちから数時間後ヤスボからメールが来た。


「勝った!やっぱり俺が行くと勝つ!」


正直どーでも良い(笑)



少し昼寝を満喫してた自分にとって、これほど迷惑な事は無い。

それでも、しょうがないのでメールを返しておく。


「お土産よろしく~。」


しばらくして、メールが返って来た。


「球場の写真いっぱい撮ったよ!」


・・・・・。
ヤスボとのメールは宇宙人と会話している気分になる。
理解に苦しむ事が多いのだ。

まぁ、とりあえず後で土産をせがんでやるかと、ほくそ笑みつつ
いろいろ算段を立て始める自分。


しかし、このメールの内容が以後カオスを呼び起こす予兆である事に
自分は微塵も気づかなかったのだ。



数時間後、自分は晩飯を食べ終わり記事を仕上げていた。

すると、西武球場から帰還した男からskypeで呼び出しがかかる。


お!土産が帰ってきた!

と内心どんなネタが飛び出すかに期待が高まるのを抑えながら、
平静を装い応答する。


ヤスボはテンションが高かった。

土産の事などすっかり忘れた様子で
今日の記事書くからと消えていく。


悪い予感がした。

そしてその予感はこの後、現実のモノとなる。


数十分後、ヤスボのブログが変貌を遂げていた。

まずタイトルネームが「CHANNEL50%」→「CHANNEL50%(ライナの旅。)」に変わり
それに呼応するように、西武ライオンズファンブログに迷い込んだか?と
困惑を招くような、西武!西武!西武!と写真がずらり。

そして記事の内容が「ぬぴこの旅。」を彷彿させると言うか
まんまパクリで始まる。

「やぁ、ライナだよ☆」

それがやりたいだけの為に買った、西武ライオンズのマスコット人形「ライナ」。

もはやこれは「ライナ地獄」と呼ばずしてなんと呼ぶ(笑)

と言うか、タイトルがライナの旅。になっているが
ライナ自身は球場から出て無いじゃん。
と突っ込まずにいられない。


やりたい放題のヤスボ。
彼こそDoblog界のドアラだと言わざるを得ないだろう。



ちなみに、数時間後「お土産は?」と聞いたら
添付した写真が送られてきた。


ヤスボのセンスは常人とは違う。


どっと疲れが噴出したのは言うまでも無い。

きっと彼を受け止められる人物は、ものすごい器の大きい人間なのだろう。


(添付写真:yasu-boxより提供)
2008/03/22のBlog
[ 22:09 ] [ 言葉のノート ]

誰もが口にするけど、口にした数だけ意味が薄れる。

だからココロでひたすらリフレインするのだ。




「頑張ります。」

口にするのは簡単だけど、簡単すぎて
本当に頑張れているのかわからなくなる。


自分では頑張っているつもりでも
周りから見れば、頑張れてないんじゃないか?

頑張りました。でも出来ませんでした。
って言い訳はもうしたくない。

疑心暗鬼が自分のココロを染め始める。


だから、必死にリフレインさせよう。

頑張れ頑張れ頑張れ。と


いつしか自分に頑張ったねと言える日まで
自分のココロでリフレインするんだ。
[ 20:18 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
貪るが如く

心の奥から純粋にかきたてられる衝動

誰もが決して抗う事の出来ない感情。


貪欲に強欲にただただ屠る。


知ると言う事はそう言う事だ。



人は興味を感じずに得られない生き物で
それを感じてしまうと、ココロがざわめき始める。


好奇心は人を滅ぼすと言うが
自分の理性すら蹴飛ばして、知識を真実を求めてしまうのが本能だ。


興味を覚えてしまえば、知らずにはいられない。

それが人のサダメで、そしてその貪るように知ろうとした欲望が
今の人類の繁栄に繋がったのだ。


だが、今の世にはそれと対成す感情が存在する。

それがメンドクサイだ。

特に昨今、メンドクサイが満ち溢れている。


興味を覚えてたとしても、メンドクサイが全てを拒絶し
知りたいと言う感情を全てシャットアウトする。


誰もが抑えられない知る欲望をメンドクサイと言う怠惰が抑えてしまうのだ。

それほど人間は退廃的になりつつあるのかも知れない。


だが、それでも本当に興味が湧いたモノは
心にリフレインが鳴り響く。

ずっとずっと知りたい知りたいと。


メンドクサイと言う感情を金繰り捨てて、その衝動のままにただ突っ走る。

その先に何があるのか、ただ知りたいのだ。


その欲望が新たな動力となり、モチベーションに繋がる。
知る事を突き詰めても、終わりの無いのが真理。

それでも、人は欲望のままに真理を追い続ける。

そして、人はそれをこう呼ぶのだ。


ロマンと。
[ 12:09 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
人にやさしくできる人とは、どんな人なのだろう。とふと考えて

人にやさしくできる人にはいろんなタイプがあると行き着いた。


例えば、誰からも好かれたい、もしくは嫌われる事を恐れているタイプ

そう言った人は、立場や状況を常に計りにかけている人だ。
自分が不利な状況が訪れた場合、一時しのぎの言い訳をして切り抜けたりする。

そして、その言い訳は相手に言っていた内容と真逆だったりするのだ。


その時は、つい口にした言葉でも
相手にとっては裏切られたと思い、完全に信用を失ってしまう。


次に、誰にでも自分はやさしいと、自分は誰でも受け止められると思い込むタイプ

根はいい人なのだ。
誰かの力になってあげたいと思っているやさしい人には違いない。
だけど、その気持ちが空回りしすぎて、相手にとってはいい迷惑になっている。
でも、自分の気持ちの中では、自分は良い事をしていると疑いもしないので
全くもって空気を読めなくなってしまっているのだ。

人にやさしく接するのは良い事だ。
だけど、相手の事を思いやれないやさしさは押し売りに過ぎない。

前面にやさしさを出すだけではなく
一度引いて見て相手の気持ちを考える事も大切だ。


そして自分の過去と重ねているタイプ

自分が苦労した、思い悩んで来た。
そんな記憶が困っている人、悩んでいる人をほっておけない。
最早、自分の事ように相手の事を気にしてしまう人だ。

行き過ぎてしまうと迷惑にしかならないぐらいお節介だったりするが
それでも、心から心配してくれている。
なぜなら、自分も同じ苦しみを知っているから。

傷の舐めあいかも知れない。だけども、自分と同じ思いをしてほしくない。
そんなやさしさ、思いやりもある。


世界には、いろんなやさしさが溢れている。
歪んだやさしさ、純粋なやさしさ、一方的なやさしさ
打算的なやさしさを振りまく人も多い。

それでも、人間は本質的にやさしくなれるはずだ。

例え、いままで生きてきた記憶が、そのやさしさを消し去っていたとしても
誰にでも純粋なヒトノココロは残っている。


いまは人のやさしさを受け止められない人でも
きっと受け止められる事が出来るのと同じで

今は人にやさしく出来なくても
きっと誰かにやさしくなれる時はある。


やさしさには、いろんなカタチがあるけれど
ヒトノココロを癒せるやさしさは
自分のココロの奥から、相手を本当に思いやれる気持ち。

上辺だけで無いホントのやさしさは
誰もが持っていて、そして気づいてないだけだ。
CHANNEL50%のyasu-boxさんがおすすめと教えてくれた動画第6弾!


「紙だけで作られた仰天の立体模型たち 」


これもまたまた前回とおなじく「あっと驚く為五郎!」さんのブログで紹介されている
動画です!ホントお世話になってます。


そして、今回は 「紙だけで作られた仰天の立体模型たち 」 

最早、何も言えなくなるほどの芸術がここにありました。


元は一枚の紙なのに、そこから創造されるものは想像を超えるものがあります。
駄洒落じゃないですよ(汗)


人の想像力の極致、最高の芸術がここに!
2008/03/21のBlog
[ 22:04 ] [ 言葉のノート ]

なんでもいい。何かをやって見て楽しいと思えたなら

自分にはそれを楽しめる素質がある。




自分にとって楽しいと思える事は続ける事が容易で
逆に楽しめない人には苦痛でしかない。


物事を面白いと思う事は重要な要因で
とっても大切な事。


楽しいからこそ上達するし、努力も苦とすら思いもしない。


これって面白い!スゴイ楽しい!と思える事が
なによりもそれを楽しめる才能を持っている証拠だ。
[ 20:33 ] [ 思いつき98%な日記 ]
会社帰りの帰り道。

最近、考え込む事と思い悩む事が多いせいか
気づけば下を向いている事が多い。


人気の少ない夜道を一人で歩いていると
考える事は、何故かいつも暗い事な気がする。

きっと、疲れてるのかも知れない。


悩みの無い人間なんて嘘だ。

どんな人間でも悩みはある。

ただそれを上手い具合に消化出来るか出来ないかの違いだろう。


自分はコレでも悩みを消化出来るタイプと思っていたが
それでも思い悩む事は多いらしい。


悩めば悩むほど溜め息が出る。
溜め息が出ると、どんどん重い空気が流れる。
重い空気は悩み事をどんどん思い出させる。

負のエンドレス。


考えれば考えるほど圧し掛かってくる重い空気。
それに気づいた自分は、その重さを振りほどくべく
夜空を見上げた。


満月だった。


美しいその微笑みに、全てを忘れてしまう。
時が止まったか如く、見入ってしまう、


夜であって夜出ない輝き
その降り注ぐ光を浴びていると
なぜか、ココロが満たされるのがわかる。


気づけば人気が無いはずの道に時間が流れていた。


にぎやかな笑い声が響き渡り
とても食欲のそそる香ばしい焼き魚の匂いが漂ってくる。


それを感じると共に、体の奥底から
自嘲気味の笑いが込み上げてきた。


迷い悩んでぐるぐると頭の中を駆け巡っている間に
自分は周囲の空間すら拒絶していたようだ。

周りを見渡せば、こんなにも見えてないものが有るのに。


ふと見上げると、満月が微笑んでいた。


なんて友人に言ったら
「お前仕事で疲れてるんだ。早く寝たほうがいいぞ。」
と本気で心配されるだろうな。と苦笑しつつ

気分が晴れやかになった帰り道だった。