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2008/03/27のBlog
[ 21:51 ]
[ 言葉のノート ]
忘れたつもりでも、忘れていても、心が刻み込んでいる。
忘れられないのなら、受け止めるしかない。
忘れたくても忘れられない。
忘れていても、その過去は消せない。
それが自分と言う存在に繋がっているから
だから今の自分があるのだと受け止めよう。
あの時の後悔があるから、今頑張れる。
あの時、辛かったからこそ今の自分がある。
落ち込んじゃう思考を180度くるっと回せば
今見えてる世界が新しくみえるはず。
きっと、記憶も同じもんだ。
辛い記憶も、あらためて見れば良い思い出になる時がきっと来る。
[ 19:19 ]
[ 思いつき98%な日記 ]
限り有る時間の中で
満足のゆく結果を出すには時間が足りないのは明白だとする。
そこで、ギリギリのギリギリまで粘り頑張って
必要外を切り捨て最低限まで切り詰めながら続けるか
それとも一度引いて態勢を立て直してから再びトライするか
心の葛藤が生まれる。
続行するメリットは、今満ち溢れているテンションをそのまま注ぐ事が出来る事だ。
集中力を維持し、途中まで出来上がっているイメージを途切れさせること無くカタチに出来るならば、多少の無理を通しても続けたい。
だがデメリットは、やはり限られた時間でやり遂げるには、自分の本当に納得の出来る結果を出す事が出来ない事だろう。
最低でも自分の描いた行程の何割かを削らざる得ないのだから
この時点で、満足の行く結果を出す為には無理が生じて来る。
逆に行程を削らないで行うなら、日常に支障を来たす結果に陥ってしまい本末転倒になるだろう。
無理してしまう事で苦痛を伴ってしまえば、今後のモチベーションにも影響が出かねない。
撤退する事のメリットは、一度引いて態勢を整える事は、差し迫ったタイムリミットを
引き伸ばし余裕を持てる事に繋がる。
限り有る時間の中でやり遂げる事に弊害が有るならば、一時的にもう少し余裕のある時期に遅らせればいいのである。
自分の満足できる結果を出すには、自分がどれだけ集中し情熱をそそぎ続けれるかにある。
そしてデメリットは一度引く事で、今までのプレッシャーから開放される事により
今まで維持して来た集中力やモチベーションが一気に散漫してしまう事だ。
一度、途切れた集中力はなかなか元に戻らない。
結局、再び取り掛かるのに前の苦労を思い出して、気乗りしないなんて事になる事も
容易に想像できる。
結局、適度のプレッシャーが生じないとテンションを維持し続けるのは難しいのだ。
限られた時間で最良の結果を出す。
それには、有る程度の妥協と自分の判断力が必要になる。
その極限状態で自分の納得の行く結果を出せれば最高だろうと思いながら
今は自分の出来る限りを精一杯行っている。
時間は残り少ない。
それでもなんとか間に合わせたいと苦笑する自分。
続行するか撤退するか決めるのは自分で
そしてどちらかに決めたならば迷わずに結果だけを追い求めることが重要だ。
満足のゆく結果を出すには時間が足りないのは明白だとする。
そこで、ギリギリのギリギリまで粘り頑張って
必要外を切り捨て最低限まで切り詰めながら続けるか
それとも一度引いて態勢を立て直してから再びトライするか
心の葛藤が生まれる。
続行するメリットは、今満ち溢れているテンションをそのまま注ぐ事が出来る事だ。
集中力を維持し、途中まで出来上がっているイメージを途切れさせること無くカタチに出来るならば、多少の無理を通しても続けたい。
だがデメリットは、やはり限られた時間でやり遂げるには、自分の本当に納得の出来る結果を出す事が出来ない事だろう。
最低でも自分の描いた行程の何割かを削らざる得ないのだから
この時点で、満足の行く結果を出す為には無理が生じて来る。
逆に行程を削らないで行うなら、日常に支障を来たす結果に陥ってしまい本末転倒になるだろう。
無理してしまう事で苦痛を伴ってしまえば、今後のモチベーションにも影響が出かねない。
撤退する事のメリットは、一度引いて態勢を整える事は、差し迫ったタイムリミットを
引き伸ばし余裕を持てる事に繋がる。
限り有る時間の中でやり遂げる事に弊害が有るならば、一時的にもう少し余裕のある時期に遅らせればいいのである。
自分の満足できる結果を出すには、自分がどれだけ集中し情熱をそそぎ続けれるかにある。
そしてデメリットは一度引く事で、今までのプレッシャーから開放される事により
今まで維持して来た集中力やモチベーションが一気に散漫してしまう事だ。
一度、途切れた集中力はなかなか元に戻らない。
結局、再び取り掛かるのに前の苦労を思い出して、気乗りしないなんて事になる事も
容易に想像できる。
結局、適度のプレッシャーが生じないとテンションを維持し続けるのは難しいのだ。
限られた時間で最良の結果を出す。
それには、有る程度の妥協と自分の判断力が必要になる。
その極限状態で自分の納得の行く結果を出せれば最高だろうと思いながら
今は自分の出来る限りを精一杯行っている。
時間は残り少ない。
それでもなんとか間に合わせたいと苦笑する自分。
続行するか撤退するか決めるのは自分で
そしてどちらかに決めたならば迷わずに結果だけを追い求めることが重要だ。
2008/03/26のBlog
[ 21:30 ]
[ 言葉のノート ]
最初はちくっとするだけで、さほど気にならない。
だが、積み重なってくると、小さな棘の痛みすら我慢できなくなる。
普段は小さい事で怒らない人でも
それが積み重なると、ちょっとした些細な事でも過敏になってしまう。
そんな時、「こんな小さな事で怒らなくても」と思ったりもするが
それは今までの自分の行いが積み重なった結果かも知れない。
仏の顔も三度までと言うように
塵も積もれば山となるわけで
どんな我慢強い心の広い人でも堪忍袋の尾が切れる事もあり
小さなミスも重なると取り返しの無い事態を起こしてしまうのだ。
とりあえず、小さな棘でも気をつける事から始めたい。
[ 19:43 ]
[ コンマ2秒のカタチ ]
前々から練習しようと思っていた事があるが
なかなか、いざやろうと思うと
これがなかなか出来ないモノだ。
そして後でやろう後でやろうと先延ばしにしてしまい
結局、やらないまま時が過ぎ去り
気づいた頃には、その気持ちすら無くなっている事が多い。
練習したいなと思った時こそ、自分の興味のピークなのだ。
このピークの時点から始めようとするまでの間
時間が刻む度に、どんどん興味が薄れていく。
なぜなら、自分の意識の中に
練習=辛い
のイメージが植えつけられているからだろう。
人間誰でも最初からうまく出来る人はいない。
例え最初からうまく出来ても必ずどこかで壁にぶち当たるモノだ。
結局モノを言うのは努力とそれを維持できる根気になる。
だが、練習を続ける事で自分が上達したと言う実感を味わえたなら
それが練習へのモチベーションに繋がる。
そして上達の実感こそが辛い事でも続ければ
自分はどんどん上達すると言うイメージを新たに植えつける。
そうなれば占めたものだ。
練習=上達
のイメージとなり、どんどん練習する意欲が増加する。
ただし、練習をただ持続して続けたとしても
ある一定のレベルまで到達すると一気に上達速度が落ちる。
ここでモチベーションを維持できるかが分かれ道になる。
これ以上は無理とあきらめて、現状に満足してしまうか
まだまだ自分は上を目指せると努力し続けるか
自分の限界がここでは無いのか?その思いがよぎった時
壁と呼ばれるモノが現れるのだ。
短距離走の選手は
自分のベスト記録の0.01秒でも縮める。
その為だけに毎日毎日練習を積み重ねる。
そして、それはどんどん練習のイメージをマイナスの方向に持っていくだろう。
それでも、記録と言うモノは練習をしたからと言って伸びるものでない。
次第にそれが知らずに自分へのプレッシャーとなる。
スランプと呼ばれるモノもそう言った精神的なイメージによる弊害なのかも知れない。
それでも、練習を、努力を続けられる人は
その辛さの先にある自分の限界を突破した時の達成感を
味わってしまった人なのだろう。
一度勝利の美酒を味わった人は、その魔力から逃げられない程、虜になってしまう。
楽しく練習を、努力を続ける事が出来れば何も問題ないのだろう。
だけど、なかなかそんなに美味しい話も無いワケで
とりあえず、自分の中で目標を決めて頑張り続けるしかない。
ただ、練習を積み重ね、その努力が報われた時の達成感は
ナニモノにも変えがたいほど格別で
何とも言えない程、心晴れやかになるものだ。
なかなか、いざやろうと思うと
これがなかなか出来ないモノだ。
そして後でやろう後でやろうと先延ばしにしてしまい
結局、やらないまま時が過ぎ去り
気づいた頃には、その気持ちすら無くなっている事が多い。
練習したいなと思った時こそ、自分の興味のピークなのだ。
このピークの時点から始めようとするまでの間
時間が刻む度に、どんどん興味が薄れていく。
なぜなら、自分の意識の中に
練習=辛い
のイメージが植えつけられているからだろう。
人間誰でも最初からうまく出来る人はいない。
例え最初からうまく出来ても必ずどこかで壁にぶち当たるモノだ。
結局モノを言うのは努力とそれを維持できる根気になる。
だが、練習を続ける事で自分が上達したと言う実感を味わえたなら
それが練習へのモチベーションに繋がる。
そして上達の実感こそが辛い事でも続ければ
自分はどんどん上達すると言うイメージを新たに植えつける。
そうなれば占めたものだ。
練習=上達
のイメージとなり、どんどん練習する意欲が増加する。
ただし、練習をただ持続して続けたとしても
ある一定のレベルまで到達すると一気に上達速度が落ちる。
ここでモチベーションを維持できるかが分かれ道になる。
これ以上は無理とあきらめて、現状に満足してしまうか
まだまだ自分は上を目指せると努力し続けるか
自分の限界がここでは無いのか?その思いがよぎった時
壁と呼ばれるモノが現れるのだ。
短距離走の選手は
自分のベスト記録の0.01秒でも縮める。
その為だけに毎日毎日練習を積み重ねる。
そして、それはどんどん練習のイメージをマイナスの方向に持っていくだろう。
それでも、記録と言うモノは練習をしたからと言って伸びるものでない。
次第にそれが知らずに自分へのプレッシャーとなる。
スランプと呼ばれるモノもそう言った精神的なイメージによる弊害なのかも知れない。
それでも、練習を、努力を続けられる人は
その辛さの先にある自分の限界を突破した時の達成感を
味わってしまった人なのだろう。
一度勝利の美酒を味わった人は、その魔力から逃げられない程、虜になってしまう。
楽しく練習を、努力を続ける事が出来れば何も問題ないのだろう。
だけど、なかなかそんなに美味しい話も無いワケで
とりあえず、自分の中で目標を決めて頑張り続けるしかない。
ただ、練習を積み重ね、その努力が報われた時の達成感は
ナニモノにも変えがたいほど格別で
何とも言えない程、心晴れやかになるものだ。
2008/03/25のBlog
[ 21:45 ]
[ 言葉のノート ]
耳が良くて、記憶力が良くて、それを上手く使う事が出来れば
だれでも軍師になれる。
耳が良いのは、情報収集能力にすぐれている事。
記憶力が良いのは、情報を常に整理でき常に引き出せる事。
そして、その情報で状況に合わせて臨機応変に策を講じる事。
これが軍師の戦略の基礎だそうだ。
まぁ、そこまでは出来なくても
常に情報を集めて、それを何かの拍子で思い出せるだけでも
いざと言う時に役に立つ。
知識だけや記憶力だけや判断力だけに偏っている人よりも
平凡でも3つ揃っている人のほうが汎用性の有る人なのだろう。
[ 19:51 ]
[ コンマ2秒のカタチ ]
自分は昔、ジェットコースターが怖かった人間だ。
もっと言うと、学校の予防注射も怖かったし
特撮ドラマで主人公が敵組織に改造されるシーンを見てから特撮を見なくなったりと
とても怖がりだった人間だ。
まぁ、今ではジェットコースターは大好きで連続で乗りまくるし
注射なんて針刺すんだから痛いのは当たり前と開き直ってるし
映画なんてホラー物をがんがん見に行くぐらいである。
自分でも驚くほどの変わりようだ。
まぁ、きっかけは
怖い怖いと思って乗ったジェットコースターが思っていたほど怖くなかった。
それどころか逆に面白いとさえ思った事だろうか。
まぁ、ジェットコースターにしても注射にしても怖い映画にしても
経験するまで怖いと言うイメージを増幅しすぎて
自分で恐怖心を煽ってしまっていたが原因だろう。
だから、一度経験してしまうと
あれ?こんなもんだっけ?と驚くほどあっけなかったりするものだ。
むしろ逆に楽しみを見出してしまうのかも知れない。
世の中には怖いモノ見たさと言う好奇心がある。
怖いけど、どれぐらい怖いのだろう?
と言う興味が実際に行動に移す。
そして恐怖を味わった後のドキドキ感が逆に面白く感じてしまうのだ。
しかし、それとは別に人間は恐怖を抱くのが当たり前の生き物だ。
未体験、初体験、責任とプレッシャーのかかる場面、自分が傷つく恐れのある時。
様々な場面があり、人それぞれではあるのだが
人は不安と恐怖を抱く時が必ずある。
それは自分に心があるのだから当然の事だ。
恐れを抱かない人間は馬鹿である。と言う言葉が有ったと思うが
人は自分の目の前にある恐怖を恐怖と認識出来ない事程、怖いモノは無い。
なぜなら、怖いモノ知らずである程、取り返しのつかない落とし穴にはまり易いのだ。
それは危険であると識別、もしくは判断する能力が無ければ
極端な話、自分の生死に関わる場面に出くわしても、生死に関わる事だと判断出来ないのである。
怖いと思う事は大切だ。例え怖いと感じて体がすくんでしまったとしても
それを回避するか、恐怖を覚悟で立ち向かうかを選ぶ事が出来る。
その時は、きっと体がすくんでしまって何も出来ないだろう。
しかし、その出来事が後悔に繋がり、経験になる。
次こそはと思う事が出来れば
次は恐怖こそしても以前より少しは前向きなはずである。
最初から怖いと思わない人間はいないし、経験を重ねるにつれて怖さが無くなり
初めて面白さ、楽しさがわかるものである。
怖いモノは怖いのはしょうがない。
でも、やる前のイメージから怖いと思うのはもったいない事だ。
まぁ、じゃあバンジージャンプとかスカイダイビングして見ろ!
と言われるとやっぱり怖い(笑)
なんでも、いきなりは心の準備が出来ないのである。
とりあえず、自分が何か怖いと思う事があり克服しようと思うなら
その恐怖に対して小さな事でもいいので、少しづつ耐性をつけて行く事。
それが恐怖を克服する鍵となるはずだ。
もっと言うと、学校の予防注射も怖かったし
特撮ドラマで主人公が敵組織に改造されるシーンを見てから特撮を見なくなったりと
とても怖がりだった人間だ。
まぁ、今ではジェットコースターは大好きで連続で乗りまくるし
注射なんて針刺すんだから痛いのは当たり前と開き直ってるし
映画なんてホラー物をがんがん見に行くぐらいである。
自分でも驚くほどの変わりようだ。
まぁ、きっかけは
怖い怖いと思って乗ったジェットコースターが思っていたほど怖くなかった。
それどころか逆に面白いとさえ思った事だろうか。
まぁ、ジェットコースターにしても注射にしても怖い映画にしても
経験するまで怖いと言うイメージを増幅しすぎて
自分で恐怖心を煽ってしまっていたが原因だろう。
だから、一度経験してしまうと
あれ?こんなもんだっけ?と驚くほどあっけなかったりするものだ。
むしろ逆に楽しみを見出してしまうのかも知れない。
世の中には怖いモノ見たさと言う好奇心がある。
怖いけど、どれぐらい怖いのだろう?
と言う興味が実際に行動に移す。
そして恐怖を味わった後のドキドキ感が逆に面白く感じてしまうのだ。
しかし、それとは別に人間は恐怖を抱くのが当たり前の生き物だ。
未体験、初体験、責任とプレッシャーのかかる場面、自分が傷つく恐れのある時。
様々な場面があり、人それぞれではあるのだが
人は不安と恐怖を抱く時が必ずある。
それは自分に心があるのだから当然の事だ。
恐れを抱かない人間は馬鹿である。と言う言葉が有ったと思うが
人は自分の目の前にある恐怖を恐怖と認識出来ない事程、怖いモノは無い。
なぜなら、怖いモノ知らずである程、取り返しのつかない落とし穴にはまり易いのだ。
それは危険であると識別、もしくは判断する能力が無ければ
極端な話、自分の生死に関わる場面に出くわしても、生死に関わる事だと判断出来ないのである。
怖いと思う事は大切だ。例え怖いと感じて体がすくんでしまったとしても
それを回避するか、恐怖を覚悟で立ち向かうかを選ぶ事が出来る。
その時は、きっと体がすくんでしまって何も出来ないだろう。
しかし、その出来事が後悔に繋がり、経験になる。
次こそはと思う事が出来れば
次は恐怖こそしても以前より少しは前向きなはずである。
最初から怖いと思わない人間はいないし、経験を重ねるにつれて怖さが無くなり
初めて面白さ、楽しさがわかるものである。
怖いモノは怖いのはしょうがない。
でも、やる前のイメージから怖いと思うのはもったいない事だ。
まぁ、じゃあバンジージャンプとかスカイダイビングして見ろ!
と言われるとやっぱり怖い(笑)
なんでも、いきなりは心の準備が出来ないのである。
とりあえず、自分が何か怖いと思う事があり克服しようと思うなら
その恐怖に対して小さな事でもいいので、少しづつ耐性をつけて行く事。
それが恐怖を克服する鍵となるはずだ。
2008/03/24のBlog
[ 22:10 ]
[ 言葉のノート ]
笑って、泣いて、怒ったり、感情を共にするほど想いは成長していく。
そして時間を重ねるほど想いは確かなカタチをつくってゆく。
想いは、感情と共に育っていく。
その時は何気なく笑った事も泣いた事も怒った事も
全部、大切で特別な物に変わっていく。
想いは積み重なる。
時間が経つほどどんどん積み重なり重くなるのだ。
ある程度の重さを持った時、それはひとつのカタチになる。
自分の本当の気持ちと言うカタチに。
[ 19:14 ]
[ コンマ2秒のカタチ ]
人の思考は面白いもので
様々な発想や想像、考え方から妄想にしても
すべて人それぞれであると言う事だ。
例えば、頭のいい人は些細なきっかけだけで解答に辿り着いたり
ひねくれモノな人は、まったく違う見方で物事を捉える等
人の思考回路はそれぞれによって違うのだ。
それは瞬間的なモノでも同じで
特にすれ違いや勘違い等も思考回路の違いから生まれる物だろう。
そして、それは頭に残留するイメージの影響も大きい。
例えば、先ほどまで虫に関する本を読んでいて
急に誰かにクモを見て、と言われたら
空の雲よりも虫の蜘蛛を探すだろう。
これは手品でも良く使われる手法で、思考パターンの刷り込みだ。
何度か同じパターンを繰り返す事で次もこうなるだろうと
脳内で勝手に想像してしまう。
しかし、手品等の場合は意表を突くのが商売だから
当然、期待を裏切る大技を披露する。
そうする事で、不意打ちを受けた脳内がよりいっそう凄いと感じてしまうのだ。
ただ、手品を見る事に慣れてしまった人にとっては
最初の技は前振りで、後に大技が来るぞと
予想してしまうので、逆にああやっぱりと来たかと思う事が多いかもしれない。
とまぁ、手品でも使われるぐらいの事だから
人と人とのコミュニケーションになってくると
この勘違いやすれ違いは多くなってくる。
それいいよな?と言われて指差された先にある物が
自分のお気に入りのストラップで
気分良くしていたら、実はそのお気に入りのストラップでは無く
携帯本体だったとか
実によくある勘違いだ。
そして、お互いが気を使いすぎて、すれ違ってしまうお互いの気持ちもあるだろう。
有名な話では「賢者の贈り物」だ。
懐中時計を大事にしている男性とロングヘアーが美しい女性が
お互い贈り物をしたいと考えるもお金が無い。
そこで、男性は大切な懐中時計を売って櫛を買い
女性は長い髪の毛を売って、懐中時計の鎖を買った。
結局、贈り物は意味を無くしてしまったがお互いの気持ちを
逆に確かめ合ったと言うお話である。
この話はうまくハッピーエンドであるが
実際、すれ違ってしまって取り返しのつかない事になった人もいるだろう。
人の思考は、自分の考え方とは違う。
よかれと思っての行動も、人にとっては迷惑になる。
なんで悪いのかわかっていなくても、世間一般では非難される事もある。
自分が要望したお願いと違う事をしてしまう人もいる。
だからこそ、人は人、自分は自分と思える気持ちと
それでいて、自分の行動を振り返って冷静に考える気持ちの両方を持ちたい。
きっと二つの気持ちはすれ違う様に、全然違う考え方になるのだろうが
それでこそ、迷って悩む事で、相手の立場と自分の立場を把握できる。
自分にも勘違いすれ違いはあり、それは他人も同じ。
だけども、それを恐れて思考するのをやめてしまってはダメだ。
決して100%の正解なんて無いのだから
その時、自分の一番良いと思う考え方を信じればいい。
様々な発想や想像、考え方から妄想にしても
すべて人それぞれであると言う事だ。
例えば、頭のいい人は些細なきっかけだけで解答に辿り着いたり
ひねくれモノな人は、まったく違う見方で物事を捉える等
人の思考回路はそれぞれによって違うのだ。
それは瞬間的なモノでも同じで
特にすれ違いや勘違い等も思考回路の違いから生まれる物だろう。
そして、それは頭に残留するイメージの影響も大きい。
例えば、先ほどまで虫に関する本を読んでいて
急に誰かにクモを見て、と言われたら
空の雲よりも虫の蜘蛛を探すだろう。
これは手品でも良く使われる手法で、思考パターンの刷り込みだ。
何度か同じパターンを繰り返す事で次もこうなるだろうと
脳内で勝手に想像してしまう。
しかし、手品等の場合は意表を突くのが商売だから
当然、期待を裏切る大技を披露する。
そうする事で、不意打ちを受けた脳内がよりいっそう凄いと感じてしまうのだ。
ただ、手品を見る事に慣れてしまった人にとっては
最初の技は前振りで、後に大技が来るぞと
予想してしまうので、逆にああやっぱりと来たかと思う事が多いかもしれない。
とまぁ、手品でも使われるぐらいの事だから
人と人とのコミュニケーションになってくると
この勘違いやすれ違いは多くなってくる。
それいいよな?と言われて指差された先にある物が
自分のお気に入りのストラップで
気分良くしていたら、実はそのお気に入りのストラップでは無く
携帯本体だったとか
実によくある勘違いだ。
そして、お互いが気を使いすぎて、すれ違ってしまうお互いの気持ちもあるだろう。
有名な話では「賢者の贈り物」だ。
懐中時計を大事にしている男性とロングヘアーが美しい女性が
お互い贈り物をしたいと考えるもお金が無い。
そこで、男性は大切な懐中時計を売って櫛を買い
女性は長い髪の毛を売って、懐中時計の鎖を買った。
結局、贈り物は意味を無くしてしまったがお互いの気持ちを
逆に確かめ合ったと言うお話である。
この話はうまくハッピーエンドであるが
実際、すれ違ってしまって取り返しのつかない事になった人もいるだろう。
人の思考は、自分の考え方とは違う。
よかれと思っての行動も、人にとっては迷惑になる。
なんで悪いのかわかっていなくても、世間一般では非難される事もある。
自分が要望したお願いと違う事をしてしまう人もいる。
だからこそ、人は人、自分は自分と思える気持ちと
それでいて、自分の行動を振り返って冷静に考える気持ちの両方を持ちたい。
きっと二つの気持ちはすれ違う様に、全然違う考え方になるのだろうが
それでこそ、迷って悩む事で、相手の立場と自分の立場を把握できる。
自分にも勘違いすれ違いはあり、それは他人も同じ。
だけども、それを恐れて思考するのをやめてしまってはダメだ。
決して100%の正解なんて無いのだから
その時、自分の一番良いと思う考え方を信じればいい。
2008/03/23のBlog
[ 21:08 ]
[ 言葉のノート ]
覚悟していても気持ちが揺らぐのは、ココロがある以上仕方が無い。
それでも、一度覚悟したのならば、振り返るべきでない。
苦渋の決断を下した。
それでも、ホントに良かったのかココロに迷いは残る物。
きっぱりと切り替えれる人間はそういない。
それでも、前に進むしかないのなら
振り返らずに進むしかない。
覚悟するとはそう言う事だ。
迷わず進もう。自分の気持ちは決まったのだから。