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2008/04/17のBlog
[ 23:18 ] [ 言葉のノート ]

認めたく無くても、気づいた時にはそこにある。

それをどう受け止めるかが肝心だ。




カオスなんてカタチが無くてイメージ的に捉えようが
無い物だけど、気づいたときには、そこにある。

何かわからないけど、確実に自分を蝕んで
自分の心に侵食して来るんだ。


それが、漠然としない将来への不安に変わったり
ちょっとした苛立ちがストレスに変わったり

自分の心が負に満ちたりする。
時には、どうしようもない衝動に駆られたりする事もあるかも知れない。

でもね。

カオスなんてモノは自分の心が産み出した弱さなんだ。


その弱さを認めて、受け入れる。
そうする事で何をすればいいか見えてくると思ってる。

カオスは決して怖いモノじゃないんだ。

将来が見えないのも、それゆえに苛立ちが湧いても
結局、生きている以上は考えても仕方ないのだから

今を見つめて受け入れて、笑ってみるのもいいかも知れない。
[ 21:47 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
頭で思い描くプランを走らせ
脳内シミュレーションを何度も行う。

高鳴る鼓動を抑えようと必死になり
平常心、平常心と心中何度も呟く。

イメージするのは森の静けさ。
普段どおり普段どおりで良いんだ。


深呼吸をひとつ。

いつもの自分を取り戻せたと思い込む。


だけど、こーゆ時ほど緊張はピークに達している事が多いだろう。

前もってプランを立てて何度もイメージを繰り返している時点で
気が張り詰めているのがわかる。

こんな時にイレギュラーな事態が生じると
対応仕切れなくて、ずるずるとミスを連発する羽目になるのだ。


イメージするのは森の静けさ。
何事にも動じない心。

それはヒトツの物事に対しても
表面だけに囚われず、いくつもの可能性を模索し
それらに備えておく事で得られる心であるのかもしれない。

想定の範囲内の出来事で有れば
それはイレギュラーで無いのだから十分に対応できると言う事だ。


行き当たりばったりに順応できる人間は
サプライズすら楽しみに変える事が出来る人間だ。

しかし、どんな状況にも対応できる人間は少ない。
もし、それが出来る人間は頭の回転が早いのか
常日頃からそう言った喧騒の中で生きている人間だろう。


もし、自分はそうでないと思うなら
常に冷静でいるしかない。
心を常に冷静に保つ為、森の様に静かで
大樹のようにどっしりと構える事。

何事に対してもワンテンポ置いて行動する。

観察し流れを読み、どうすれば良いのか考え、可能性を模索する。


それは急いでいる時こそ、必要な心なのだ。

急いては事を仕損じる。

イメージするのは森の静けさ。
困った時こそ、目を閉じてみよう。
落ち着いて考えてみれば、見えてくる道があるものだ。

(yasu-boxより写真提供)
2008/04/16のBlog
[ 22:56 ] [ 言葉のノート ]

嬉しい時は誇りに思い。悲しい時はただ流せばいい。

だけど悔しい時だけは
溢れてくるその涙を忘れてはいけない。




嬉しい時はそれを誇りに思えばいい。
その涙は自分の気持ちをカタチにしたものだから。

悲しい時は何も考えずに、ただ泣けばいい。
泣ける時に流せる涙はあなたの優しさだから。

だけど、悔しいと思う気持ちが涙になったのならば
その記憶だけは忘れちゃダメだ。

噛み締めても堪えても、奥から奥から溢れ出してくるモノ。
それを心に刻み付けてバネにするんだ。


涙はいろんなカタチがあり、それぞれに意味がある。
だからこそ、涙を見せる事は恥ずかしい事じゃない。
[ 20:19 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
楽しいってなんだろうか。

自分のしたい事をやってる時?。
自分が夢見ていた事を達成した時?

想像してみるけど、楽しい時もあればそうでない時もある気がする。

じゃあ、なんだ?

結局、答えはきっと理屈じゃないんだろう。
って事に辿り着く。


楽しいと思える瞬間は、いつでもどこにでも有って
それは、その時なんでもない事だったりする。

昔話がどうしようもなく
楽しくてしょうがなく感じたり

自分の心が躍動してしまうような
感情を揺り動かしてならない出来事を目の当りにした時も楽しんだろう。


自分のやりたい事をやっている時も楽しいに違いない。
じゃあ、それが楽しめなくなる時は何時なのだろうか?

それは、きっと自分の心が難しく考えてしまう時だろう。

純粋にそれを体験、実感している時は
ただただそれに集中すればいい。そしてそれは自然に楽しい物だ。

しかし、ある程度進んでくると、いろいろと考えないといけなくなる。
その瞬間、それは純粋な楽しいから少し変わってくるのかも知れない。

考えること自体が楽しくなって、さらにその先に踏み出せるのなら
何も問題は無いんだろう。

だけども、明らかに自分のテンションを下げてしまう事が立ち塞がった時
楽しめなくなって、それに対する興味が薄れたり
楽しくないと思い込んでしまう事もある。


だとすれば、どうすればいいのか?

とりあえず、難しく考え無い事だろう。
イメージしてみよう。

上手になりたいと頑張って
上手に出来ると自信がつく。
いざ、挑戦して上手く出来くる度、どんどん気分がのって来た。
そして、ついにそれをやり遂げたと実感出来た時。
周りがそれを認めてくれる。
そして盛り上がる瞬間。

気持ちは自然に高鳴り、その時自分はこう感じるのだ。

ああ、なんて楽しいんだろう。
ああ、生きていて良かった。と


楽しいと感じるのに理屈は無いのだから
気持ち次第で、いつでも楽しめるとも考えられる。

どんな事でも視点を変えてみれば、面白いと感じるし楽しいと思えるのだ。

だから、自分は思いっきり何も気にせずやってみればいい。
周囲とか上手下手とか二の次だ。
自分がそれに対して本気を出せるかどうか。
そして自分がやり遂げたと思えるかどうか。
それがきっと楽しむって事に繋がるはずだ。
2008/04/15のBlog
[ 23:44 ] [ 言葉のノート ]

爽やかに吹く春風は誰にも訪れるもので

今までを一新しようとする気持ちが心の桜を咲き誇らせる。




誰にでも等しく春は訪れ風は吹く。
それが爽やかと感じるかどうかは自分の気持ち次第。


もしも悩んでいる気持ちがあるなら
新しい春を感じる様に
深呼吸ひとつ新しい真っ白な気持ちになってみよう。


その前向きな気持ちが心に春風を呼び込み
いつしか、心に春が訪れる。
[ 23:05 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
いままでの自分を否定されるような感覚で
それでいて、いままでの自分でなくなるような不安。
それゆえに拒絶してしまう自分がいる。

それが本当に大事な事でも
それが本当に素敵な物でも

簡単に受け入れる事が出来ないのだ。


思い込みが、先入観が
そのものを否定してしまう。

それが、本当に素晴らしい物である事はわかっているのに
断固として受け入れられない気持ちがある。


そんな気持ち、思いが心を縛り付けている状態で
周囲からどんなに説得されても、脅されても、煽てられても
受け入れられるはずが無い。
むしろ逆効果だろう。


結局、受け入れるのは自分で
自分の気持ちで全てが決まってしまう。

だからこそ、それの存在を全否定してはいけない。
その存在の可能性を探そう。

何も知らないうちに、その可能性を否定してしまう事は
全てを失うに等しい行為でもあるんだ。


その存在と同じく自分にも無限の可能性と
お互いを主張し引き出し合える魅力があるはず。

今は全てを受け入れる事が出来なくても
きっと、自信を持ってその存在を受け入れる事が出来る日が来るから。
2008/04/14のBlog
[ 23:25 ] [ 言葉のノート ]

飛び立つのに大きな翼はいらない。

小さくても勇気と言う名の翼があればいい。




いざと言う時。
恥ずかしいとか、失敗するかもとか

いざ大空へ飛び立たんと言う時に
後ろを振り返ってしまうのが人間なんだ。


こんな時に無いものねだりしてしまう自分がいる。
もしも自分に大きな翼が有ればと

でも、んなもんいらないんだよね。
飛び立つ勇気が少しでもあれば

人間誰でも飛び立つ事が出来るんだ。
恥ずかしいとか、失敗するとか
後で考えればいい。

まずはやってみる。と言う気持ちが
勇気と言う名の翼に変わる。
[ 22:24 ] [ 思いつき98%な日記 ]
夕暮れ時。


ふと寄って見たくなった。


幼い頃に見たきりの大阪城と

散る寸前の今年のサクラ。

桜並木の下で

終わりを告げようとする桜を惜しむかのような
宴が繰り広げらている中。


風が吹く度 ヒラヒラと

風が吹く度 踊り舞う。
咲き乱れて、舞い乱れて、散り乱れて


風が吹く度 サクラは乱れ
サクラ舞う度 ココロ乱され


時がただただ奪われて。
それでもサクラを見てしまう。
散り際こそ美しいから?


散り行く桜を目の前に


風が吹く度 ヒラヒラと
ただ眺める ぼんやりと


儚いからこそ美しいのか?
サクラ散るもの。
舞い散るもの。


その一面 染め上げるは桜色。
語るモノは春の声。


吹き乱れ サクラ舞い散り 春が来る

地に残るるは サクラのココロか


(大阪市中央区大阪城にて撮影)
2008/04/13のBlog
[ 23:59 ] [ 言葉のノート ]

強すぎるよりは、ほどほどが良い。

それでも想いの熱さは十二分に伝わるから。




強すぎる想いは、逆に重くなってしまいがち。

なんでこんなに強く想っているのに
と思うかも知れないけど

想いが強過ぎて見えなくなってしまうものも有る。

ほどほどでも自分の想いは伝わるモノで
周りが見えるほどの熱さの方が十二分に伝わったりする。


何事にも「塩梅」と言う加減が必要なのです。