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2008/04/16のBlog
[ 22:56 ] [ 言葉のノート ]

嬉しい時は誇りに思い。悲しい時はただ流せばいい。

だけど悔しい時だけは
溢れてくるその涙を忘れてはいけない。




嬉しい時はそれを誇りに思えばいい。
その涙は自分の気持ちをカタチにしたものだから。

悲しい時は何も考えずに、ただ泣けばいい。
泣ける時に流せる涙はあなたの優しさだから。

だけど、悔しいと思う気持ちが涙になったのならば
その記憶だけは忘れちゃダメだ。

噛み締めても堪えても、奥から奥から溢れ出してくるモノ。
それを心に刻み付けてバネにするんだ。


涙はいろんなカタチがあり、それぞれに意味がある。
だからこそ、涙を見せる事は恥ずかしい事じゃない。
[ 20:19 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
楽しいってなんだろうか。

自分のしたい事をやってる時?。
自分が夢見ていた事を達成した時?

想像してみるけど、楽しい時もあればそうでない時もある気がする。

じゃあ、なんだ?

結局、答えはきっと理屈じゃないんだろう。
って事に辿り着く。


楽しいと思える瞬間は、いつでもどこにでも有って
それは、その時なんでもない事だったりする。

昔話がどうしようもなく
楽しくてしょうがなく感じたり

自分の心が躍動してしまうような
感情を揺り動かしてならない出来事を目の当りにした時も楽しんだろう。


自分のやりたい事をやっている時も楽しいに違いない。
じゃあ、それが楽しめなくなる時は何時なのだろうか?

それは、きっと自分の心が難しく考えてしまう時だろう。

純粋にそれを体験、実感している時は
ただただそれに集中すればいい。そしてそれは自然に楽しい物だ。

しかし、ある程度進んでくると、いろいろと考えないといけなくなる。
その瞬間、それは純粋な楽しいから少し変わってくるのかも知れない。

考えること自体が楽しくなって、さらにその先に踏み出せるのなら
何も問題は無いんだろう。

だけども、明らかに自分のテンションを下げてしまう事が立ち塞がった時
楽しめなくなって、それに対する興味が薄れたり
楽しくないと思い込んでしまう事もある。


だとすれば、どうすればいいのか?

とりあえず、難しく考え無い事だろう。
イメージしてみよう。

上手になりたいと頑張って
上手に出来ると自信がつく。
いざ、挑戦して上手く出来くる度、どんどん気分がのって来た。
そして、ついにそれをやり遂げたと実感出来た時。
周りがそれを認めてくれる。
そして盛り上がる瞬間。

気持ちは自然に高鳴り、その時自分はこう感じるのだ。

ああ、なんて楽しいんだろう。
ああ、生きていて良かった。と


楽しいと感じるのに理屈は無いのだから
気持ち次第で、いつでも楽しめるとも考えられる。

どんな事でも視点を変えてみれば、面白いと感じるし楽しいと思えるのだ。

だから、自分は思いっきり何も気にせずやってみればいい。
周囲とか上手下手とか二の次だ。
自分がそれに対して本気を出せるかどうか。
そして自分がやり遂げたと思えるかどうか。
それがきっと楽しむって事に繋がるはずだ。
2008/04/15のBlog
[ 23:44 ] [ 言葉のノート ]

爽やかに吹く春風は誰にも訪れるもので

今までを一新しようとする気持ちが心の桜を咲き誇らせる。




誰にでも等しく春は訪れ風は吹く。
それが爽やかと感じるかどうかは自分の気持ち次第。


もしも悩んでいる気持ちがあるなら
新しい春を感じる様に
深呼吸ひとつ新しい真っ白な気持ちになってみよう。


その前向きな気持ちが心に春風を呼び込み
いつしか、心に春が訪れる。
[ 23:05 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
いままでの自分を否定されるような感覚で
それでいて、いままでの自分でなくなるような不安。
それゆえに拒絶してしまう自分がいる。

それが本当に大事な事でも
それが本当に素敵な物でも

簡単に受け入れる事が出来ないのだ。


思い込みが、先入観が
そのものを否定してしまう。

それが、本当に素晴らしい物である事はわかっているのに
断固として受け入れられない気持ちがある。


そんな気持ち、思いが心を縛り付けている状態で
周囲からどんなに説得されても、脅されても、煽てられても
受け入れられるはずが無い。
むしろ逆効果だろう。


結局、受け入れるのは自分で
自分の気持ちで全てが決まってしまう。

だからこそ、それの存在を全否定してはいけない。
その存在の可能性を探そう。

何も知らないうちに、その可能性を否定してしまう事は
全てを失うに等しい行為でもあるんだ。


その存在と同じく自分にも無限の可能性と
お互いを主張し引き出し合える魅力があるはず。

今は全てを受け入れる事が出来なくても
きっと、自信を持ってその存在を受け入れる事が出来る日が来るから。
2008/04/14のBlog
[ 23:25 ] [ 言葉のノート ]

飛び立つのに大きな翼はいらない。

小さくても勇気と言う名の翼があればいい。




いざと言う時。
恥ずかしいとか、失敗するかもとか

いざ大空へ飛び立たんと言う時に
後ろを振り返ってしまうのが人間なんだ。


こんな時に無いものねだりしてしまう自分がいる。
もしも自分に大きな翼が有ればと

でも、んなもんいらないんだよね。
飛び立つ勇気が少しでもあれば

人間誰でも飛び立つ事が出来るんだ。
恥ずかしいとか、失敗するとか
後で考えればいい。

まずはやってみる。と言う気持ちが
勇気と言う名の翼に変わる。
[ 22:24 ] [ 思いつき98%な日記 ]
夕暮れ時。


ふと寄って見たくなった。


幼い頃に見たきりの大阪城と

散る寸前の今年のサクラ。

桜並木の下で

終わりを告げようとする桜を惜しむかのような
宴が繰り広げらている中。


風が吹く度 ヒラヒラと

風が吹く度 踊り舞う。
咲き乱れて、舞い乱れて、散り乱れて


風が吹く度 サクラは乱れ
サクラ舞う度 ココロ乱され


時がただただ奪われて。
それでもサクラを見てしまう。
散り際こそ美しいから?


散り行く桜を目の前に


風が吹く度 ヒラヒラと
ただ眺める ぼんやりと


儚いからこそ美しいのか?
サクラ散るもの。
舞い散るもの。


その一面 染め上げるは桜色。
語るモノは春の声。


吹き乱れ サクラ舞い散り 春が来る

地に残るるは サクラのココロか


(大阪市中央区大阪城にて撮影)
2008/04/13のBlog
[ 23:59 ] [ 言葉のノート ]

強すぎるよりは、ほどほどが良い。

それでも想いの熱さは十二分に伝わるから。




強すぎる想いは、逆に重くなってしまいがち。

なんでこんなに強く想っているのに
と思うかも知れないけど

想いが強過ぎて見えなくなってしまうものも有る。

ほどほどでも自分の想いは伝わるモノで
周りが見えるほどの熱さの方が十二分に伝わったりする。


何事にも「塩梅」と言う加減が必要なのです。
[ 18:49 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
自由。


人は生まれもって自由であり、自由でないと言う。


生まれた時から誰しもが生きる自由を得ると同時に

世界に人として生を授かった時点で、様々な制約に縛られる。


自由とは、存在する反面、存在が希薄なモノだ。


特に今の世の中で、誰にも縛られず生きる事は無理だ。

なぜなら、国と言う概念がある以上。法律等のルールによって縛られるからである。

そして、そう言ったルールを除外しても
お互いの良好なコミュニケーションを維持する為に、色々と行動が制約されるモノだ。


そう言った意味では、今のこの日本と言う社会には自由が無いだろう。


だけども、本当の自由とはそう言った縛られている事によってなくなるモノではない。

縛られていても自分の思考は常に自由である。
何を考えようと、何を想像しようと自由なのだ。


自分のやりたい事を探し、想像し、見つける。
それを行動に移す時に、何らかの障害があるかも知れない。

それでも自分の意志は自由なのだ。


自由を押し通す事は、この束縛された社会では難しい。
それでも自由は存在しないワケじゃない。


自由を実現するには、自分に責任を伴う。
だからこそ、自由を求める為には漠然とした考えでなく地に足の着いた計画が必要である。


人は生まれながらにして自由である。
なぜなら、人は考えることが出来るからだ。

想像や妄想は誰にも止める事は出来ない。


それと同じくして人の可能性も常に自由な存在だ。

自分次第で大きくも小さくもなる変幻自在で
自由と同じくして、自分の行動で変化して行くモノ。


縛られていても、自由でいられないワケじゃない。
例えそれが逃げだと指摘されても、自分の想像は自分だけのモノだ。

自由は誰にも与えられている。

何かを考えて、イメージして、それを創造するのは自由だ。

(yasu-boxから画像提供)
2008/04/12のBlog
[ 23:47 ] [ 言葉のノート ]

ただただ繰り返すだけでも、必ず意味がある。

流れとパターンを把握する事で応用できる。




同じ事をただひたすら繰り返す事で
人は誰しもその動作に慣れてくる。

しかし、咄嗟の状況下で発揮される行動は
常日頃から繰り返す事で自然に見についた基本の動作だ。


応用は基本から成り立つ。
基本をいかにしっかり出来ているかで、応用の質も変わってくる。

基本をしっかり見に付け自分の物とし
その流れとパターンを自分でアレンジする事で
あらゆる出来事にも応用として順応させる事が出来る。


全ては基本から。
ただただ繰り返すそれには必ず意味がある。