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2008/04/20のBlog
[ 23:54 ]
[ 言葉のノート ]
[ 21:53 ]
[ 思いつき98%な日記 ]
いままで見向きもしなかったと言っても過言でない。
桜は美しいとは感じるけどわざわざ時間と労力を惜しんでまでは・・・。
と言うのが今までのスタンスだったから
なのに何故か今年は心が訴えるかのように気になって仕方が無かった。
桜が呼んでいる。
まさにそんな感覚だった。
桜は美しいとは感じるけどわざわざ時間と労力を惜しんでまでは・・・。
と言うのが今までのスタンスだったから
なのに何故か今年は心が訴えるかのように気になって仕方が無かった。
桜が呼んでいる。
まさにそんな感覚だった。
天気予報では日曜日。
今日は晴れると言う事を事前に確認し、デジカメのバッテリーの充電も余念が無い。
すでに気持ちは造幣局に向いていたのだ。
地下鉄天満橋駅を降りて驚く事は
想像していた以上の人だかり
造幣局に着いても、それは変わらない。
しかし、それを差し引いても余りある桜達がそこにいたのだ。
今日は晴れると言う事を事前に確認し、デジカメのバッテリーの充電も余念が無い。
すでに気持ちは造幣局に向いていたのだ。
地下鉄天満橋駅を降りて驚く事は
想像していた以上の人だかり
造幣局に着いても、それは変わらない。
しかし、それを差し引いても余りある桜達がそこにいたのだ。
普通では見る事の出来ない桜が所狭しと咲き乱れる。
時期が少々遅かった為か葉桜が目立ち
すでに散ってしまっている桜も目立つが
それでも絢爛と言う言葉が相応しかった。
思わず溜め息が漏れる。
桜に見とれてしまって息をする事を瞬間忘れていたかのように。
時期が少々遅かった為か葉桜が目立ち
すでに散ってしまっている桜も目立つが
それでも絢爛と言う言葉が相応しかった。
思わず溜め息が漏れる。
桜に見とれてしまって息をする事を瞬間忘れていたかのように。
空を見上げれば
久しぶりの青い空。
流れ行く白い雲。
それに添えるように映える桜。
明治16年(1883年)、時の遠藤謹助局長の
「局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか」
と言う言葉から開放された造幣局の桜の通り抜け。
久しぶりの青い空。
流れ行く白い雲。
それに添えるように映える桜。
明治16年(1883年)、時の遠藤謹助局長の
「局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか」
と言う言葉から開放された造幣局の桜の通り抜け。
2008/04/19のBlog
[ 22:48 ]
[ 言葉のノート ]
[ 21:33 ]
[ コンマ2秒のカタチ ]
自分は記憶力の良い人間でない。
物覚えは悪く。物忘れも酷い。
特に自分はプランを立てて行動するタイプなのだが
大抵、詰めが甘く見落としがちな事が多い。
最後の最後で肝心な事を忘れてしまっているからだ。
それでも友人からはお前は記憶力がいいと言われる。
なんでも友人が全く覚えていない事でも
鮮明に覚えているからだそうだ。
だが、それは記憶力が良いとは言えないと自分は考えている。
記憶には指向性があり
それは自分に興味がある事、集中できた事、そして衝撃的だった事ほど
記憶に残る。
感覚的には脳に焼け付くと言ったイメージ。
意識的に覚えようと何度も反復して脳に覚えさせようとするよりも
インパクトで脳に焼き付ける方が効率的な場合も多いだろう。
例えば、覚えにくい年号も語呂合わせで覚えるように
興味のある事については、一目で全てを鮮明に再現できるように
脳にはある種の記憶中枢があり、意識して覚えようと言う認識レベルが高い物ほど
長期記憶となって脳に残りやすくなっている。
その認識レベルが高くなる、もしくは記憶のプライオリティーが高いとされるモノは
無意識的にこれは重要、または興味があると認識したモノになる。
人は自分が面白いと感じた物には無意識的に集中してしまうモノで
瞬間的な集中力は記憶にも影響し、いつまでも覚えている物である。
記憶には想起と呼ばれるモノがある。
ふとなんとなく昔の事が思い出される記憶の事で
その記憶が子供の時のモノが多い事からも
子供の時の時間の方が大人になってからの時間より
集中していたからとも考えられる。
結論、どうでもいい事や他人が全く覚えていない事でも鮮明に覚えている事は
自分が他人よりもその物事に対して集中していたと言う事で
逆に自分が普段から物覚えが悪かったり、物忘れが酷いと言う事は
それだけ普段から集中力が足りない事の証明になるのかも知れない。
記憶は普段からどれだけ意識できているかで
脳に記憶中枢の回路を作り出すと考えられている。
つまり、想起を繰り返す事でその記憶を瞬時に繰り広げられる時間。
つまり検索時間が素早くなると言う考えだ。
どうしても物覚えが悪い時は、覚えられやすくするために関連する事項を
もう一度覚えなおしたり、覚えやすいような工夫が必要で
物忘れが酷い場合は、忘れないような工夫やメモを取るような習慣を身につけることで
次第に記憶回路を開発していく事が必要なのだろう。
とは言ってもすぐ忘れるモノは仕方が無い。
まずは自分で意識して記憶する事、集中する事を心がける事がいいのかも知れない。
物覚えは悪く。物忘れも酷い。
特に自分はプランを立てて行動するタイプなのだが
大抵、詰めが甘く見落としがちな事が多い。
最後の最後で肝心な事を忘れてしまっているからだ。
それでも友人からはお前は記憶力がいいと言われる。
なんでも友人が全く覚えていない事でも
鮮明に覚えているからだそうだ。
だが、それは記憶力が良いとは言えないと自分は考えている。
記憶には指向性があり
それは自分に興味がある事、集中できた事、そして衝撃的だった事ほど
記憶に残る。
感覚的には脳に焼け付くと言ったイメージ。
意識的に覚えようと何度も反復して脳に覚えさせようとするよりも
インパクトで脳に焼き付ける方が効率的な場合も多いだろう。
例えば、覚えにくい年号も語呂合わせで覚えるように
興味のある事については、一目で全てを鮮明に再現できるように
脳にはある種の記憶中枢があり、意識して覚えようと言う認識レベルが高い物ほど
長期記憶となって脳に残りやすくなっている。
その認識レベルが高くなる、もしくは記憶のプライオリティーが高いとされるモノは
無意識的にこれは重要、または興味があると認識したモノになる。
人は自分が面白いと感じた物には無意識的に集中してしまうモノで
瞬間的な集中力は記憶にも影響し、いつまでも覚えている物である。
記憶には想起と呼ばれるモノがある。
ふとなんとなく昔の事が思い出される記憶の事で
その記憶が子供の時のモノが多い事からも
子供の時の時間の方が大人になってからの時間より
集中していたからとも考えられる。
結論、どうでもいい事や他人が全く覚えていない事でも鮮明に覚えている事は
自分が他人よりもその物事に対して集中していたと言う事で
逆に自分が普段から物覚えが悪かったり、物忘れが酷いと言う事は
それだけ普段から集中力が足りない事の証明になるのかも知れない。
記憶は普段からどれだけ意識できているかで
脳に記憶中枢の回路を作り出すと考えられている。
つまり、想起を繰り返す事でその記憶を瞬時に繰り広げられる時間。
つまり検索時間が素早くなると言う考えだ。
どうしても物覚えが悪い時は、覚えられやすくするために関連する事項を
もう一度覚えなおしたり、覚えやすいような工夫が必要で
物忘れが酷い場合は、忘れないような工夫やメモを取るような習慣を身につけることで
次第に記憶回路を開発していく事が必要なのだろう。
とは言ってもすぐ忘れるモノは仕方が無い。
まずは自分で意識して記憶する事、集中する事を心がける事がいいのかも知れない。
[ 14:06 ]
[ yasu-boxプレゼンツ ]
CHANNEL50%のyasu-boxさん(以下、ヤスボ)がおすすめと教えてくれた動画第7弾!
「SPIN」
久方ぶりのyasu-boxプレゼンツで
ヤスボいちおしの動画の登場です!
この「SPIN」は短編のストーリーになっていて
凄い完成度の高い動画です。
ある日突然上から落ちてきた男と2つのトランク。
男はトランクを持って路面に面した広場に訪れた。
そこで起きていた惨状に男はトランクを開けてある行動を行う。
時間とは凄い複雑でいて、全ては繋がっているんだと
ある意味感嘆の声を上げてしまう程の作品。
最後の少女の眼差しが何かを訴えるシーンが意味深ですね。
「SPIN」
久方ぶりのyasu-boxプレゼンツで
ヤスボいちおしの動画の登場です!
この「SPIN」は短編のストーリーになっていて
凄い完成度の高い動画です。
ある日突然上から落ちてきた男と2つのトランク。
男はトランクを持って路面に面した広場に訪れた。
そこで起きていた惨状に男はトランクを開けてある行動を行う。
時間とは凄い複雑でいて、全ては繋がっているんだと
ある意味感嘆の声を上げてしまう程の作品。
最後の少女の眼差しが何かを訴えるシーンが意味深ですね。
2008/04/18のBlog
[ 23:57 ]
[ 言葉のノート ]
[ 23:16 ]
[ コンマ2秒のカタチ ]
踏み台と取るか、壁と取るか
と言う言葉がある。
人によって道を塞ぐ障害物が同じでも
踏み台と取って、さらに先を進む事に使う人もいれば
乗り越える事を壁と取る人もいると言う意味だ。
だけど、これは何も個人の能力差だけの話でない。
発想の幅、経験の有無、やる気やモチベーションなどの気持ち。
誰にでも可能性は有り
逆に違う見方をするなら、本来なら障害物とすら思わない物でも
次に進むステップにする人や自分を高める物に用いる人もいる。
だけど、そう言った違う視点で見れる人と自分は違うからと
端から否定してしまってはいけない。
簡単な話、視点が違う、意識が違うって話なだけである。
2手3手先を考える人にしても、常日頃、同じことを考える事によって
それが習慣づけされて脳が順応した結果だ。
順応した脳は、瞬時にその行動に対しての回答を導きだす回路が出来上がっている。
しかし、経験の無い事や不測の事態に関しては
いかに同じ様な状況に対面したか、もしくは経験したかで
精神的な動揺な有無等の影響もあり、冷静な反応が出来る人も限られる。
結局、他人と自分が違うからと卑下する事は無い。
他人に有って、自分に無いモノがあるなら
自分に有って、他人に無いモノがあるのも当然である。
道端に塞がっている障害物が壁に見えるか踏み台に見えるか
それは状況によって違ってくる。
もしも、壁となって立ち塞がるモノがあって
他人がそれを難なく乗り越えて言っても躊躇せずに乗り越えていけば良い。
そして、また同じ壁が立ち塞がった時こそ
踏み台にして乗り越えて行けば良い話だ。
何も人と違うからと悩む必要なんて無い。
自分は自分のペースで前に進めば良い。
と言う言葉がある。
人によって道を塞ぐ障害物が同じでも
踏み台と取って、さらに先を進む事に使う人もいれば
乗り越える事を壁と取る人もいると言う意味だ。
だけど、これは何も個人の能力差だけの話でない。
発想の幅、経験の有無、やる気やモチベーションなどの気持ち。
誰にでも可能性は有り
逆に違う見方をするなら、本来なら障害物とすら思わない物でも
次に進むステップにする人や自分を高める物に用いる人もいる。
だけど、そう言った違う視点で見れる人と自分は違うからと
端から否定してしまってはいけない。
簡単な話、視点が違う、意識が違うって話なだけである。
2手3手先を考える人にしても、常日頃、同じことを考える事によって
それが習慣づけされて脳が順応した結果だ。
順応した脳は、瞬時にその行動に対しての回答を導きだす回路が出来上がっている。
しかし、経験の無い事や不測の事態に関しては
いかに同じ様な状況に対面したか、もしくは経験したかで
精神的な動揺な有無等の影響もあり、冷静な反応が出来る人も限られる。
結局、他人と自分が違うからと卑下する事は無い。
他人に有って、自分に無いモノがあるなら
自分に有って、他人に無いモノがあるのも当然である。
道端に塞がっている障害物が壁に見えるか踏み台に見えるか
それは状況によって違ってくる。
もしも、壁となって立ち塞がるモノがあって
他人がそれを難なく乗り越えて言っても躊躇せずに乗り越えていけば良い。
そして、また同じ壁が立ち塞がった時こそ
踏み台にして乗り越えて行けば良い話だ。
何も人と違うからと悩む必要なんて無い。
自分は自分のペースで前に進めば良い。
2008/04/17のBlog
[ 23:18 ]
[ 言葉のノート ]
認めたく無くても、気づいた時にはそこにある。
それをどう受け止めるかが肝心だ。
カオスなんてカタチが無くてイメージ的に捉えようが
無い物だけど、気づいたときには、そこにある。
何かわからないけど、確実に自分を蝕んで
自分の心に侵食して来るんだ。
それが、漠然としない将来への不安に変わったり
ちょっとした苛立ちがストレスに変わったり
自分の心が負に満ちたりする。
時には、どうしようもない衝動に駆られたりする事もあるかも知れない。
でもね。
カオスなんてモノは自分の心が産み出した弱さなんだ。
その弱さを認めて、受け入れる。
そうする事で何をすればいいか見えてくると思ってる。
カオスは決して怖いモノじゃないんだ。
将来が見えないのも、それゆえに苛立ちが湧いても
結局、生きている以上は考えても仕方ないのだから
今を見つめて受け入れて、笑ってみるのもいいかも知れない。
[ 21:47 ]
[ コンマ2秒のカタチ ]
頭で思い描くプランを走らせ
脳内シミュレーションを何度も行う。
高鳴る鼓動を抑えようと必死になり
平常心、平常心と心中何度も呟く。
イメージするのは森の静けさ。
普段どおり普段どおりで良いんだ。
深呼吸をひとつ。
いつもの自分を取り戻せたと思い込む。
だけど、こーゆ時ほど緊張はピークに達している事が多いだろう。
前もってプランを立てて何度もイメージを繰り返している時点で
気が張り詰めているのがわかる。
こんな時にイレギュラーな事態が生じると
対応仕切れなくて、ずるずるとミスを連発する羽目になるのだ。
イメージするのは森の静けさ。
何事にも動じない心。
それはヒトツの物事に対しても
表面だけに囚われず、いくつもの可能性を模索し
それらに備えておく事で得られる心であるのかもしれない。
想定の範囲内の出来事で有れば
それはイレギュラーで無いのだから十分に対応できると言う事だ。
行き当たりばったりに順応できる人間は
サプライズすら楽しみに変える事が出来る人間だ。
しかし、どんな状況にも対応できる人間は少ない。
もし、それが出来る人間は頭の回転が早いのか
常日頃からそう言った喧騒の中で生きている人間だろう。
もし、自分はそうでないと思うなら
常に冷静でいるしかない。
心を常に冷静に保つ為、森の様に静かで
大樹のようにどっしりと構える事。
何事に対してもワンテンポ置いて行動する。
観察し流れを読み、どうすれば良いのか考え、可能性を模索する。
それは急いでいる時こそ、必要な心なのだ。
急いては事を仕損じる。
イメージするのは森の静けさ。
困った時こそ、目を閉じてみよう。
落ち着いて考えてみれば、見えてくる道があるものだ。
(yasu-boxより写真提供)
脳内シミュレーションを何度も行う。
高鳴る鼓動を抑えようと必死になり
平常心、平常心と心中何度も呟く。
イメージするのは森の静けさ。
普段どおり普段どおりで良いんだ。
深呼吸をひとつ。
いつもの自分を取り戻せたと思い込む。
だけど、こーゆ時ほど緊張はピークに達している事が多いだろう。
前もってプランを立てて何度もイメージを繰り返している時点で
気が張り詰めているのがわかる。
こんな時にイレギュラーな事態が生じると
対応仕切れなくて、ずるずるとミスを連発する羽目になるのだ。
イメージするのは森の静けさ。
何事にも動じない心。
それはヒトツの物事に対しても
表面だけに囚われず、いくつもの可能性を模索し
それらに備えておく事で得られる心であるのかもしれない。
想定の範囲内の出来事で有れば
それはイレギュラーで無いのだから十分に対応できると言う事だ。
行き当たりばったりに順応できる人間は
サプライズすら楽しみに変える事が出来る人間だ。
しかし、どんな状況にも対応できる人間は少ない。
もし、それが出来る人間は頭の回転が早いのか
常日頃からそう言った喧騒の中で生きている人間だろう。
もし、自分はそうでないと思うなら
常に冷静でいるしかない。
心を常に冷静に保つ為、森の様に静かで
大樹のようにどっしりと構える事。
何事に対してもワンテンポ置いて行動する。
観察し流れを読み、どうすれば良いのか考え、可能性を模索する。
それは急いでいる時こそ、必要な心なのだ。
急いては事を仕損じる。
イメージするのは森の静けさ。
困った時こそ、目を閉じてみよう。
落ち着いて考えてみれば、見えてくる道があるものだ。
(yasu-boxより写真提供)