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2008/04/23のBlog
[ 21:40 ] [ 言葉のノート ]
世は常に両極が存在し
その対比で成り立っている。


よく聴く言葉はYESかNOか。

それ以外の言葉は必要が無いと言わんばかりに
生きていれば究極の2択のような選択を迫られる事もあるだろう。


敵か味方か。
損か得か。

そう言う見方を求められる生き方をして来たからかも知れない。


rakuさんの記事「弱いということ。」を読んで思った事。


強さと弱さは互いが両極にあり
それでいてどちらも欠けてはならない
バランスを保つ為に正と負のベクトルが存在する。

しかし、正と負が存在するなら当然真ん中に零点
すなわち中立も存在する。

そして、世の中のほとんどはその真ん中なんだと思う。

強いか弱いかと言い出したら
上には上がいるし、下には下がいる。

さらに言うなら条件をある程度絞らないと
何に対して強いのか、弱いのかすら計る事すら出来ない。

曖昧でいて、適当な物差し。

だけど、人はそれで優劣を付けようとする。
いや、今の世がそうさせているのかも知れない。


でも、あえて自分は思う。

強さがあるから弱さもある。
逆に弱い部分があるからこそ、それが強さになるんだ。

誰しも強い部分だけで出来ていない。
強いと思える人だって、弱い部分は必ずある。
そして、それが人間と言う本質。

完璧な人間なんて存在しないし
自分はダメな人間だって思っていても
自分の強さをわかってくれている人は必ずいる。

弱いからダメなんじゃない。
弱さがあるのは当然で、それを受け止められるかだ。


弱かった自分がいたからこそ頑張れた。
弱い自分がいるのを知っていたからこそ、努力できた。

弱くていいんだ。弱いからこそ強くなれる。

弱さとか強さは自分で決めちゃっているだけのモノで
そう言う論点から言えば、人間と言う存在は弱いけど強い。


どっちかなんて必要無くて
強い時も弱い時もある方が人間くさくて
一番一緒にいて心地良い。


我が誇れる友人の様に。


友人yasu-boxより画像提供)
2008/04/22のBlog
[ 23:53 ] [ 言葉のノート ]

ぽつんと。いつのまにかヒトリになっていた。

でも、それは周りが見えていないだけ
ちゃんと見渡せば、自分に差し出しされた手がある。




何故かはわからないけど
取り残されたり、明らかに浮いてたりとかで
いつの間にか孤立していた。


気づいた時には手遅れみたいな感じで
逆に人間ってめんどくせ。
って投げやりになったり。

でも、ちゃんと目を凝らして見渡してみれば
自分に向けられたメッセージが必ずあるから。


自分はヒトリじゃない。
[ 20:31 ] [ 思いつき98%な日記 ]
思うようにいかない苛立ちが
以前はこうじゃなかったと言う焦りを生む。

ムキになればムキになるほど
意識すればするほど

いつも以上に気負いしてしまって
いつしか自分が自分でないような感覚に陥ってしまう。

イメージ通りに動けないばかりか、呆然と立ち尽くしていた。


何も出来なかった。
ただ虚しさと、悔しさだけが残るのは冷静になった時だ。

なんで?どうして?

疑問符で脳内を埋め尽くしても答えなんか出なくて
もがいても足掻いても抜け出せないループに嵌まり込み
ズブズブと闇の中に引きずり込まれはじめる。

完全に闇に塗り潰された時には
心は簡単にポキリと折れてしまっていた。


折れてしまった瞬間、今まで抱いていた夢や希望やらが弾け飛び
自分すらも信じられない疑心暗鬼に囚われてしまう。



でもね、イメージ通りにいかなくて当たり前で
いつもいつも、自分の思い描くベストを尽くせるワケが無いんだ。

失敗して、うっかりして、俺とした事がなんて呟きながらも
一回のミスをうだうだ引きずるより
我武者羅でもいいから、ただ前に進むだけでもいい。
さっきのミスを冷静に分析して次への踏み台にするのでもいい。

自分の呼吸を見失わないで
深呼吸して、変に気負ちゃってる自分に渇いれて
失敗してもいいんだぐらいの気持ちで
前に踏み出すぐらいで丁度いい。

思いつめないで思い込まないで
自分を信じられるのは自分だけなんだから
自分を嫌いにならないで

ただただ前を向いて歩こう。

自分の前には眩し過ぎるほどの光が広がっていて
自分には苦しかったりもする事もあるけど

いつかきっとその光が心地よく感じる時が来るかもしれない。

諦めないで、ゆっくりと前に進んでみよう。

自分を引きずり込もうとする闇から、いつの間にか抜け出せているから。
2008/04/21のBlog
[ 22:33 ] [ 言葉のノート ]

徐々に狂い始め、気づいた頃にはすでに泥沼だった。

そんな時こそ深呼吸ひとつ。
ゆっくりでいい最初から自分のリズムを刻み始めよう。




もう戻れないぐらい狂ってしまった。
慌てて焦って取り繕おうとしても
すでに泥沼でどんどん深みにはまっていく。


ならば、多少のロスを覚悟してでも
自分のリズムを、自分のビートを刻もう。

原点に戻る事こそ、起死回生の選択となる。


思考がホワイトアウトしたならば
慌てずゆっくり、最初からやり直せば良いんだ。


(yasu-boxより画像提供)
[ 20:48 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
何故か心を解き放つ。

何故か心を開け放つ。


暑いぐらいの春の日差しを受けながら
川沿いの心地よい風を感じながら

屋台で美味しそうな香りに釣られて買った「お好み焼き」を片手に感じる心の躍動感。


野外で食事をすると言う行為は、食欲を増進させ、味わいを豊かにする。
だが、この心の晴れやかさはそれだけで無い気がしてならない。

何故だ?と、熱々のお好み焼きを頬張りながら自らに問う。


うまうま。と満足気な笑顔をつい溢しながら答えが頭に浮かんだ。


何気なさ過ぎて、当然過ぎて、そして随分と懐かし過ぎて忘れていた。


人には安らぎの時間が必要で何気ない一時でも掛け替えの無いモノだ。

常に心を束縛され、閉め切られた空間で生きなければならない効率主義。

自ら必要無いと淘汰した時間こそ
自分の心を解き放ち開け放つ大事な時間と気づく。


なんでも自分が前を向いていなければ意味が無い。
目的を見失わない為に前を向いていないといけない。

その為にも心の窓を開け放ち空気を入れ替える必要がある。

それを感じられた時、何故かふと身体が軽くなった気がした。

自分は今、解放されたと感じた時
自分が閉じていた世界を開放したのだ。
2008/04/20のBlog
[ 23:54 ] [ 言葉のノート ]

気にしないでいい。自分が楽しめればそれでいいんだ。

楽しい。そう思える事がいづれ上達に結びつくから。




下手だから面白くない。楽しめない。
だから、やりたくない。

それだと、いつまでたっても上達なんてしない。

やりたいって気持ちがあるなら
失敗しても前向きにトライトライトライの精神でひたすら突き進め。


気にしないで体当たりでぶつかっていれば
どんな強固な壁だってぶち壊せる。

要は自分がどれだけ楽しめるかで
それこそが上達への近道なのだ。
[ 21:53 ] [ 思いつき98%な日記 ]
いままで見向きもしなかったと言っても過言でない。

桜は美しいとは感じるけどわざわざ時間と労力を惜しんでまでは・・・。
と言うのが今までのスタンスだったから

なのに何故か今年は心が訴えるかのように気になって仕方が無かった。

桜が呼んでいる。

まさにそんな感覚だった。


天気予報では日曜日。
今日は晴れると言う事を事前に確認し、デジカメのバッテリーの充電も余念が無い。


すでに気持ちは造幣局に向いていたのだ。


地下鉄天満橋駅を降りて驚く事は
想像していた以上の人だかり

造幣局に着いても、それは変わらない。

しかし、それを差し引いても余りある桜達がそこにいたのだ。


普通では見る事の出来ない桜が所狭しと咲き乱れる。

時期が少々遅かった為か葉桜が目立ち
すでに散ってしまっている桜も目立つが

それでも絢爛と言う言葉が相応しかった。


思わず溜め息が漏れる。
桜に見とれてしまって息をする事を瞬間忘れていたかのように。

空を見上げれば

久しぶりの青い空。
流れ行く白い雲。

それに添えるように映える桜。


明治16年(1883年)、時の遠藤謹助局長の
「局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか」
と言う言葉から開放された造幣局の桜の通り抜け。

来て良かった。

迷わずそう言える
桜の通り抜け。


桜と写真がまた好きになれた。


(画像上から林2号、鬱金、麒麟、天の川、雨宿)
2008/04/19のBlog
[ 22:48 ] [ 言葉のノート ]

素直に言えなくて、それでいながらもいつも届けたい。

感謝以上の想いと気持ちが籠められた言葉。




ありがとう。

笑顔でその人に届けられたら・・・・。と

いつも出来なくて後悔する自分がいる。


どれだけ自分に対して親身でいてくれて
時には厳しく、優しく、友達のようでいながらも親の様な存在で

今は思い出でしか会えない存在だけど
想う度に涙と言うカタチとなって現れる感謝の気持ち。


あの時、今の気持ちを言葉として伝えられたなら・・・・・。


素直でなかった自分の代わりに届けたい。
ありがとう。と言う言葉を
[ 21:33 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
自分は記憶力の良い人間でない。


物覚えは悪く。物忘れも酷い。


特に自分はプランを立てて行動するタイプなのだが
大抵、詰めが甘く見落としがちな事が多い。

最後の最後で肝心な事を忘れてしまっているからだ。


それでも友人からはお前は記憶力がいいと言われる。

なんでも友人が全く覚えていない事でも
鮮明に覚えているからだそうだ。


だが、それは記憶力が良いとは言えないと自分は考えている。

記憶には指向性があり
それは自分に興味がある事、集中できた事、そして衝撃的だった事ほど
記憶に残る。

感覚的には脳に焼け付くと言ったイメージ。


意識的に覚えようと何度も反復して脳に覚えさせようとするよりも
インパクトで脳に焼き付ける方が効率的な場合も多いだろう。

例えば、覚えにくい年号も語呂合わせで覚えるように
興味のある事については、一目で全てを鮮明に再現できるように


脳にはある種の記憶中枢があり、意識して覚えようと言う認識レベルが高い物ほど
長期記憶となって脳に残りやすくなっている。

その認識レベルが高くなる、もしくは記憶のプライオリティーが高いとされるモノは
無意識的にこれは重要、または興味があると認識したモノになる。

人は自分が面白いと感じた物には無意識的に集中してしまうモノで
瞬間的な集中力は記憶にも影響し、いつまでも覚えている物である。


記憶には想起と呼ばれるモノがある。
ふとなんとなく昔の事が思い出される記憶の事で
その記憶が子供の時のモノが多い事からも
子供の時の時間の方が大人になってからの時間より
集中していたからとも考えられる。


結論、どうでもいい事や他人が全く覚えていない事でも鮮明に覚えている事は
自分が他人よりもその物事に対して集中していたと言う事で
逆に自分が普段から物覚えが悪かったり、物忘れが酷いと言う事は
それだけ普段から集中力が足りない事の証明になるのかも知れない。

記憶は普段からどれだけ意識できているかで
脳に記憶中枢の回路を作り出すと考えられている。

つまり、想起を繰り返す事でその記憶を瞬時に繰り広げられる時間。
つまり検索時間が素早くなると言う考えだ。

どうしても物覚えが悪い時は、覚えられやすくするために関連する事項を
もう一度覚えなおしたり、覚えやすいような工夫が必要で

物忘れが酷い場合は、忘れないような工夫やメモを取るような習慣を身につけることで
次第に記憶回路を開発していく事が必要なのだろう。


とは言ってもすぐ忘れるモノは仕方が無い。
まずは自分で意識して記憶する事、集中する事を心がける事がいいのかも知れない。