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2008/04/27のBlog
[ 17:12 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
自分の思考と反して身体が動かない時がある。

自分の中では行動するべきだ!と判断しているのに
いや、今は動くべきでないと言う思考がよぎり

結局、いざと言う時動けないのだ。


自分の中で考えて動いた結果。
それはとんでもない失敗を招き、失敗を恐れ、失敗から逃げてしまう。


その失敗がトラウマになって
いざと言う時の判断を鈍らせてしまう。

自分の中ではわかっているのに、何故か動けない。
躊躇ってしまうのだ。

心と身体が

過去の記憶に
悪いイメージに。


それを振り切って行動するって事は、なかなか出来ないモノで
さらにその躊躇が新たな失敗を生んでは、また凹む。

自己嫌悪が自分の心を支配するなんて事はよくある事で
だからこそ、失敗は失敗と割り切れる人に憧れる。


でもね、いつまでも凹んでてもしょうがない。
だからこそ、いっぱい凹んでいいと思う。
凹んで悩んで考えて、そこからわかる事ってあるから

何が悪かったのか、何が原因だったのか
自分が悪かったで片付けないで
ちゃんと自分の中で納得しよう。自分の中で整理しよう。

ちゃんと決着付けて、次はちゃんと出来るって言い聞かせる。

いつまでも同じトコに止まっていられない。
悔しいと思ったら傾向と対策をきっちり立てる。

凹んで踏まれて強くなれるなら
きっと今は強くなれる瞬間なんだって自分に精一杯言い聞かせて
とにかく歯を食い縛って前を睨んで見る。

まだまだ自分は前に立ち向かえるんだ。

やせ我慢でもいい。
いっぱいいっぱいでもいい。
はったりでいいから一瞬でも前を向いてみる。

そうすれば、悩んでいた事が少しだけ軽く感じる。

誰にでもやり直しは出来る。
転んだのなら、すぐ起きる必要は無い。
最終的に立ち上がれたらそれでいい。

凹める時に凹んで、ゆっくり立ち上がってマイペースで歩き出せば良い。

その繰り返しがいづれか慣れを生んで
躊躇っていた事がいつしか自然にこなせるようになったりしてるんだ。


最初は誰でも勇気が必要だし、踏み出して得る事はたくさんある。

一度失敗しても、何度も挑戦すればいい。
人はその繰り返しで強く大きくなれる。

それを実行する事は、とても難しいこと。
だからいっぱい悩んで考えて
最終的に自分が良いと思う答えを出せれば良いんじゃないかな?と思う。

たとえ後悔しても、その後悔がまた自分を強くすると信じてるから。
2008/04/26のBlog
[ 23:25 ] [ 言葉のノート ]

何かはわからないけど、心に確かな痛みが走ったなら

それは自分の本質をはっきりと捉えられた指摘だ。




その指摘に痛みが走る。
まさに痛い所を突かれたと言うヤツなのか

見て見ぬ振りして
ずっと見ないようにしていた部分だ。

わかっているつもりでも
自分自身に妥協している点があり

人に指摘されて痛いと感じたなら
もう一度見つめなおすべきかも知れない。

痛みを感じるうちは、まだ引き返せるはずだ。
2008/04/25のBlog
[ 23:42 ] [ 言葉のノート ]

とても優しい言葉で、とても落ち着く言葉。

人は眠る事で安らぎを得られるのなら
この言葉は心に安らぎを与える魔法だ。




人は眠る生き物で
どんなに眠れなくても、いづれ眠ってしまう。

眠る事で生きている存在なのだ。

人は誰しも眠っている時が一番幸せで

それを促す「おやすみ」はもっとも優しい言葉で
誰にも優しさと安らぎを与える魔法。


あなたにも良い夢が訪れますように。
[ 21:37 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
物事には何でも最初が存在し終わりがあるもの。

その過程に慣れと言うモノが存在する。


慣れとは、物事を行う事において
経験や知識ゆえに、何の躊躇いも無く実行できる事で

時には、それが身体に染み付き癖にも近い行動になったり
片手間でこなしたり同時進行する事が出来たり

常にギリギリな状況に慣れる事で
少々の事では揺るぐ事の無い強靭な精神力が見に付いたり

最初は躊躇してしまったり踏ん切りが付かなかった事でも
2度目からは徐々に最初ほどの躊躇いは無くなってしまう事だろう。


人間が生きると言う過程において慣れると言う事象は重要である。

人間の適応能力の高さは、この慣れによるモノと言っても過言ではないだろう。


しかし、慣れとは過度を越すと弊害にもなる。

特に仕事や作業において、いつも同じ事や慣れた作業を行う場合
いつも通りと言う心境でこなそうとする。
心に油断が生じるのだ。

油断している時こそ、ハプニングに弱い。
完全に不意を突かれた形で、緊張している時よりも被害を被る事が多いのだ。


また、慣れは人間関係にも影響を及ぼす

最初のうちはお互い気を使いあい。
金銭に関してもきっちりとしていた。
しかし、慣れてくると「なぁなぁ」になってしまい。
金銭に対してもルーズになってくる。
しかし、最初のうちはトラブルにならないかも知れないが
いづれ、トラブルは生じるモノだ。

また、慣れの怖い所は
最初は人に親切にされると恐縮したり、お礼をいったりと
感謝の気持ちが表に出るが
慣れてしまうと、してもらう事が当たり前になってしまう。

プレゼントを貰う事に慣れた人は貰って当然と思う様になったりする。
ちやほやされる事に慣れると、自分が偉いと勘違いする事もあるだろう。

過度の慣れは、自分の人間としてのモラルを著しく低下させる事もあるのだ。


しかし、それでも慣れる事で良い事はいっぱいある。

もともと人間誰しも自信が無いものだ。
それは、常に生きると言う事は失敗の連続だから。
しかし、成功する事を覚え、失敗しても次は成功するかも知れない。
と考える事に慣れれば、次第にチャレンジ精神旺盛な性格になる。

もともと継続する事が苦手な人も
周りの人と楽しみながら続けていると、続ける事が慣れてきて
苦にならなくなる。苦にならなければ続ける事はたやすい。


過度の慣れには要注意だが、適度の慣れは自分を高めてくれる。

飽き性の自分が今ブログを当然のように続けてられるのは
ひとえに友人yasu-boxのおかげで
記事に添付する写真を撮ることにも慣れたし
記事を書く事にも少し慣れてきた。


初心をいつまでも忘れない事は大切だけど
物事を続けるにはある程度の慣れも必要だ。と心底感じる。

初心と慣れの両立こそ理想のカタチなのだろう。


当たり前のように画像を提供してくれるyasu-boxへありがとう。
貰う事に当たり前にならない様にこの記事を自分への自戒にしたい。
(yasu-boxより画像提供)
2008/04/24のBlog
[ 22:38 ] [ 言葉のノート ]

息切れして、目の前が暗くなって、心も折れて

もう無理だって思う時でも、可能性はいつも有る。




どんな状況であっても何が起こるかわからない。

現実的に考えて、その何かを待つなんて
ありえない事だけど

途中で無理だと思って諦める前に
可能性を考えてみよう。


先に進む事で生まれる可能性。
原点に戻る事で出来る可能性。
一度考える時間を作る事で導き出される可能性。


ただ諦めるので無く、次に繋がる可能性を見つけ出そう。

可能性は無限にあるのだから。
50個の質問に答えると236パターンのどれかに分類されると言う

【未来予測機 ミライスコープ】rakuさん とこで見つけて
こっそり性格分析してみた。


何故こっそりかって?

それは決まってんじゃん!
いつも変な性格分析になるからさ・・・・・・・。○ra


それにしても50問は多いよ!
途中でだれてくる自分。

そもそも設問の内容に遊びが無いのが原因なのだ。

目玉焼きは白身より黄身から食べるほうだ。とか
今日夢に出てくる人は胡瓜を持って追いかけてくる。とか
ご飯にケチャップを掛けないと食べられない。とか

などなどピンポイントに攻めて欲しいとこである。


え?胡瓜はオヤツに入りませんよ(笑)


と冗談はさておき、なんとか四苦八苦して質問をこなし
(どちらでもない率が高いのは気のせい)

ついにドキドキの結果発表。


№169
周りを気遣い過ぎタイプ!


えー、いきなりありえない方向に来ました。
気遣いって美味しいんでしょうか?(^^;


自分を犠牲にして周りを気遣う

ないない(笑)
そもそも気配りは全然出来てなくて困ってるぐらいなのに(^^;


人に好かれる

猫には好かれます!友人の家の猫限定で・・・・・・・。


癒し系だ

最近、癒し系って意味変わったのかな?
むしろ癒されたいのは自分?(笑)


人を喜ばせたい

これはばっちり!
人の笑顔ってなんとなく自分の心にずっと残ってるんですよね~。


なかなか自立できない

ぐふ(吐血)。 ○ra



これ以上無いトドメを刺されました。


と言うわけで自分の性格診断はこんなネタ系でした(笑)

みなさんはどんなタイプなんでしょうか。
興味が湧いたら是非やってみると面白いと思いますよ~。
2008/04/23のBlog
[ 22:52 ] [ 言葉のノート ]

後から来た人に追い越されても
いつのまにかヒトリだけになっていても

自分を見失わないで、自分の信じる道を歩く事。




気づいたら真後ろまで迫っていて
駆け足で追い抜かれた。

それでも、自分のペースで歩いていたら
いつの間にか誰もいなくなっていた。


いつしか不安がカタチとなって自分に圧し掛かってくる。

でも、それでも自分が一度信じた道なら
自分を見失わないで、ただただまっすぐ歩いてみよう。

その先にきっと自分が求めていた景色が待っているから。
[ 21:40 ] [ 言葉のノート ]
世は常に両極が存在し
その対比で成り立っている。


よく聴く言葉はYESかNOか。

それ以外の言葉は必要が無いと言わんばかりに
生きていれば究極の2択のような選択を迫られる事もあるだろう。


敵か味方か。
損か得か。

そう言う見方を求められる生き方をして来たからかも知れない。


rakuさんの記事「弱いということ。」を読んで思った事。


強さと弱さは互いが両極にあり
それでいてどちらも欠けてはならない
バランスを保つ為に正と負のベクトルが存在する。

しかし、正と負が存在するなら当然真ん中に零点
すなわち中立も存在する。

そして、世の中のほとんどはその真ん中なんだと思う。

強いか弱いかと言い出したら
上には上がいるし、下には下がいる。

さらに言うなら条件をある程度絞らないと
何に対して強いのか、弱いのかすら計る事すら出来ない。

曖昧でいて、適当な物差し。

だけど、人はそれで優劣を付けようとする。
いや、今の世がそうさせているのかも知れない。


でも、あえて自分は思う。

強さがあるから弱さもある。
逆に弱い部分があるからこそ、それが強さになるんだ。

誰しも強い部分だけで出来ていない。
強いと思える人だって、弱い部分は必ずある。
そして、それが人間と言う本質。

完璧な人間なんて存在しないし
自分はダメな人間だって思っていても
自分の強さをわかってくれている人は必ずいる。

弱いからダメなんじゃない。
弱さがあるのは当然で、それを受け止められるかだ。


弱かった自分がいたからこそ頑張れた。
弱い自分がいるのを知っていたからこそ、努力できた。

弱くていいんだ。弱いからこそ強くなれる。

弱さとか強さは自分で決めちゃっているだけのモノで
そう言う論点から言えば、人間と言う存在は弱いけど強い。


どっちかなんて必要無くて
強い時も弱い時もある方が人間くさくて
一番一緒にいて心地良い。


我が誇れる友人の様に。


友人yasu-boxより画像提供)
2008/04/22のBlog
[ 23:53 ] [ 言葉のノート ]

ぽつんと。いつのまにかヒトリになっていた。

でも、それは周りが見えていないだけ
ちゃんと見渡せば、自分に差し出しされた手がある。




何故かはわからないけど
取り残されたり、明らかに浮いてたりとかで
いつの間にか孤立していた。


気づいた時には手遅れみたいな感じで
逆に人間ってめんどくせ。
って投げやりになったり。

でも、ちゃんと目を凝らして見渡してみれば
自分に向けられたメッセージが必ずあるから。


自分はヒトリじゃない。