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2008/05/04のBlog
[ 18:17 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
人と人がふれあい。
こころを通い合わせる事で

得た物。
失った物。

それぞれあるだろう。


得た物はかけがえのない物だ。

自分にとってこれ以上無いモノとなり
自分に足りない物、自分が欲する物を補ってくれたはずだ。


それと同時に
失った時、改めてその大切さを実感し
失望感に苛まれ、自分の心に穴を穿つ。
その穴は、静かにそして確実に深く大きいモノだと知る。


得た時は
時には生きている理由と
またある時は明日を照らす光と
自分では実感できずとも、心は自然に受け止めていた。

そして失った時に
再び得ようとしても戻らないモノと無意識で悟り
それを語るかの様に失った瞬間、全てを奪われた感覚が自分を蝕む。


それが極度のトラウマになり、人と接する事を恐れるきっかけとなる。

ついには人と過度に接すると自分が傷つくと思い込む事もあるだろう。


誰でも傷つく事は怖い。
後で傷つくぐらいなら最初から接しなければいい。

その時は、そう強く思うのに
それでも人はふれあいを求める。


孤独を愛する人ほど、ホントは人とのふれあいを欲して止まない。

なぜなら、一人でいる時間が長ければ長いほど
人の微かな温もりが特別なモノと感じてしまうから

ちょっとした、普通の会話ですら特別に感じ、ふれあいをもっと求めてしまう。


人は一人では生きていけない。
なぜなら、人はココロを持つ生き物で
ココロはふれあいを与える事で潤う生き物だ。


ココロとココロがふれあえるからこそ、人としての喜びを謳歌できるのだ。
2008/05/03のBlog
[ 20:48 ] [ 言葉のノート ]

何事も勝つか負けるかの2択を迫られ逃げる事が出来ない時

負ける事を考える事よりも勝つイメージをするべきだ。




勝ちか負けのどちらかを決定しなければならない時。
負けた事を考えるよりも勝つ事を考える方がいい。

過剰な自身は自分を滅ぼす事もあるが
ネガティブだと勝てるチャンスすら逃げてしまう時がある。

どの道、勝ちか負けのどちらにしかならないなら
最後まで自分の勝ちを信じれる物が勝利を招くモノである。
[ 09:28 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
身体は疲れているはずなのに
精神は疲れているはずなのに

不思議と何故か身体が軽く、頭がすきっとした時がある。


睡眠時間にしても少ないぐらいで
いつもなら、もうちょっと、もうちょっとと思う場面なのに
今日は清清しいぐらいの朝をむかえた。


心が集中しているのだ。


気を張っているとは少し違って
テンションが高くなっている感じをイメージするのが近い感じで

いつになく落ち着いて冷静である自分を自覚する時は
大抵、自分の中で何かに集中している時なのである。


自分は前々から
集中している時、集中しているモノが有る時は
肉体的、精神的に限界状態で
睡眠と言う休息を与えても、集中がリセットされず
数時間程度眠るだけで、従来よりも睡眠効果を高く発揮する事がある。


つまり、今自分は自分にとって楽しめる状況にあると言う事なのだ。

頭の奥底にいるもう一人の自分に
「眠っているなんてもったいない。
さっさと眼を覚まして十二分に今を堪能しろ!」
とでも言われている気すらする。


心も頭も期待しているからこそ、集中している。
だからこそ充実した一日を送ろうと心に決める。今日を楽しもう。

清清しい朝は気持ちも晴れてくるもので
深呼吸をひとつ。
今を楽しめるのは今だけなんだと考えるだけで
何故か自分は無限に楽しめる気すらしてくるから不思議だ。
2008/05/02のBlog
[ 22:51 ] [ 言葉のノート ]

しゃべりたくてウズウズするけど、内緒にしてみたい。

内緒にしてみたいけど、しゃべりたい。そんな幸せ。




面白いことを思いついた。
真っ先にその面白さを共有しようと話したいのだが

あとでびっくりさせる方が展開的には面白いとかも
考えちゃったりで、一人で笑みを溢しつつ楽しんでる。

悩みとか迷いとか忘れて、ただただ楽しめる時間。

こんな些細な時間こそが幸せとなのかも知れない。
2008/05/01のBlog
[ 23:05 ] [ 言葉のノート ]

耳にしたくないと無意識に通り抜ける言葉。

雑音のように振り払った言葉を今は欲して止まない。




耳が痛い言葉ほど聴きたくないモノで
「わかったわかった」と邪険にしまいがち

でも、ほんとに必要な時こそ
その言葉が欲しい時こそ

その言葉は自分に訪れないモノなのだ。


常にどんなに聞き苦しい言葉でも
素直に受け止めてみよう。

その言葉はきっと雑音でなく、明日に導く声になるから。
[ 21:31 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
準備している時が一番楽しいと
思える瞬間がある。


あれもこれもと脳内を行き来する様々な案を
ただ見つめるだけでも気持ちが高鳴ってくる。

上手くいくか、いかないかの不安すら
期待へのスパイスと変換され

どんどんイメージは妄想の域まで突入する物である。


準備と言うモノは実際に実感するよりも楽しい事でもあるのだ。

事実、イメージよりも実物が劣っている場合だってある。
期待外れと言うヤツだ。

祭りの屋台なんかで見た目からこれはかなり美味しいだろうと思っても
落胆する事があるように、人はある程度イメージで憶測するからである。


イメージや想像は無限のモノで
個人差はあるものの想像力がある限り、誰も止める事が出来ないものでもある。

だからこそ、想像、イメージの力は凄い。

何か行動する際にイメージシミュレーションをするかしないかで
成功率が激変すると言われるように
イメージとは精度を高めれば現実と変わらないレベルを実現する事も可能だ。

そして、そのイメージが準備と言う過程をどんどん楽しませてくれる。

これは、この準備と言う行為が期待で膨らんでいるからだろう。
もしも、準備が嫌々行っているとしたらイメージも面白く無いモノになっているはず。

結局、気持ちの持ちようでイメージも気分も左右されるもので
良いイメージを保つには良いテンションを維持する事でもある。


準備と言うモノはめんどくさいと思われがちでもあるが
備えあれば憂いなしで、むしろいろいろ想像しながら考えると
なかなかに楽しい物である。

結局、何を行うにしても気分次第イメージ次第なのだ。

ならば、常に楽しいイメージで物事にトライ出来れば
なんだって上手く行くのかもしれない。
なぜなら、失敗の過程すら楽しいモノに変化させてくれるから。


(yasu-boxより画像提供)
2008/04/30のBlog
[ 23:15 ] [ 言葉のノート ]

人それぞれのやり方と過ごし方がある。

そして活かすも殺すも自分次第でもある。




ただ、ぼーっと待ってみるとか
歌を聴きながら口ずさんでみるとか
いろいろと妄想したりとか

待ち時間をいかに過ごすかは
それぞれの自由でいて、やり方がある。

でも、その待ち時間を楽しめている?活かせてる?

時間は限りあるのに
その中で待ち時間は確実に存在してしまう。

でも無駄な時間と切り捨てないで
有効活用出来なくても、せめて楽しんじゃう事が
人生を楽しむコツで、何気ない事に目を向けるチャンスでもあるんだ。

フリーな時間を上手く活かす事が人生をさらに楽しくさせる。

(yasu-boxより画像提供)
[ 20:35 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
思考とは

次に何をするかを考えて
それから想像を展開し
脳内で仮想世界を創りイメージする。

その中で何をするべきかどうかを導き出す。

これが無意識的に瞬時に出る場合が咄嗟的判断で
頭の回転が速いと言われる人ほど
この判断が的確で早く、さらに先の先まで展開を読んでいる事が多いのだ。


だけども、みながみな頭の回転が速いわけでなく
自分ももちろん速くない人だ。

ならば速くないなら速くないなりに、考える時間が必要となる。
瞬時に答えが出ないなら、順序を追って答えを導き出す必要があるのだ。

しかし、もしそれが自分にとって乗り気の無い事だったり
他に悩み事や考え事、抱え込んでいる仕事等が有った場合
思考の一端がそう言った雑念に迷い込む事態が発生する。

つまり、次の行動を取り掛かるたびに
頭の隅に「嫌だなぁ」と言う考えがよぎる分、次の行動に移る時間がロスする。
結果、どんどん頭の回転が速い人に差をつけられる結果になるのだ。


「嫌だ」と思うのはとりあえず止めよう。
「嫌だ嫌だ」と考えると、ますます物事が捗らなくて
結果、嫌な時間を多く味わう事になってしまう。

むしろ「嫌だ」と思う時間を少なくするためにも
「嫌だ」と思わないで、とりあえず駆け足で駆け抜ける方が得策なのだ。

苦手を得意にしろと言われて、「はい、わかりました。」と簡単に出来るなら
みんな苦労はしないワケで。物事には順序がある。

「嫌だ」と思う事も行う以上は、とりあえず「嫌だ」と思わないでこなしてみる。

「嫌だ」と思う前に次はどうするべきか考える。
「嫌だ」と思う前に効率の良い方法は無いか考える。
「嫌だ」と思う前に早く終わる方法を考える。

そうしているうちに、いつのまにか「嫌な事」は終わってる物で
その積み重ねが「嫌な事」が「嫌な事」で無くなっているのだ。

「嫌だ」って思う事無く、自然にそれだけに打ち込めたなら
思考の回転速度はおのずと上がっているはずだ。

慣れと経験と知識と、それに打ち込む意欲の高さが
何かを行う事に対する思考の回転速度を跳ね上げるんだと考える。
2008/04/29のBlog
[ 23:55 ] [ 言葉のノート ]

過ぎ去った記憶が浮かび上がる度に君が現れる。

儚い記憶が薄れても、この想い忘れはしない。




どんなに時が過ぎ去っても
思い出がどんなに薄れていっても

君が傍にいたと言う事実と
君とずっと一緒にいたかったと言う想いは消えない。

時が過ぎ去る度に
掛け替えの無い思い出達は消えて行くけど

新しい思い出が、出会いが訪れるから
過ぎ去りし記憶がよぎる時だけは君の笑顔を忘れたくない。

君に出会えて幸せだった。
この気持ちだけはいつまでも大事にして
自分はまた明日に向かって歩み始める。

自分は過去を背にして歩み始めれる。
想いが自分を強くしたから。