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2008/05/12のBlog
[ 22:19 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
何かの為に備えたり
いざと言う時の為に構えたり


対処するために
対応するために


人は何らかの処置を講ずる。


それは自分自身に起こりうるものへだったり
これから訪れる事象に対してだったり、様々だろう。

しかし、これらに等しく言える事があるとするならば

構えるだけではまだ足りない。と言う事である。


備えをしっかりして、いざと言う時に構える。
それは大事な事であるが
構えているだけでは、いざと言う時に動けない。

構えながら、現在の状況を把握し、頭の中でイメージして
可能性を模索する。

常にリアルな現状を把握する事で、何に対して備え
何に向けて構えるべきかを考え、知る事が大事なのである。


後ろでどっしり構えていても、いざと言う時に動けないのは
現状をしっかり把握できていないからだ。

心と言うのは、普段から切り替えを行っていないと
いざ切り替えろと言われても出来ないように

構えも同じで、言われてから構えるのでは役に立たないし
構えてるだけで実際、反応出来ないのであれば構えの意味を成さない。


その為にも頭の中でしっかりイメージする事を
常日頃、自身で習慣付けるしかないのだろう。

いざと言う時に動けるかどうかは
常に構えている事も大切だけど、構えた上でどう動くかが見えなければ意味が無い。

動くためには、周囲の状況を把握できるアンテナを常に張り巡らす癖をつける事だろう。
2008/05/11のBlog
[ 23:33 ] [ 言葉のノート ]

何かを持て余していたり、しょうもない事を考える。

それこそが安らぎで身体を休めれている証拠だ。



ついつい暇だと感じたり
飽きてやる事を探したりするけど

それこそ、忙しさから解放された証拠で
悲鳴を上げていた身体が物足りないと呻いているのかも知れない。

そのヒトトキの安らぎに今は身を委ね
また戦場の様な忙しさに赴く準備をしよう。

心の準備を。
[ 21:38 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
2つの内、1つを選ぶ場面で
予め決めていたとしても

その1つを選ぶ事で、もう1つを完全に
諦めなければならない場合
必ず人は迷うモノである。


仲の良い二人の友達がいたとして
その二人が対立する事になった場合
選択肢は3つ。

どちらか片方に付くか
どちらにも関わらないか
両者を治める側に回るか

どの道もメリットとデメリットが有り
人間関係を乱さずに元鞘に戻すには、それなりの技量と経験を必要とするだろう。


だからと言って、どちらかを選べと言われて選べる物でもないし
仮に、そのどちらかを決めていたとしても
実際に、対立した場合に選べるか?と聞かれたら迷うモノである。


二つのうちから一つを選ぶとは、まさに究極の選択で

それがオヤツのプリンで有っても
掛け替えの無い親友で有っても

人は大小はあれど迷うものである。


決断力と言うモノは、瞬間的に正解を導き出す力でない。
例え間違っていたとしても、その二つのうちの一つを選べる力だ。
例え迷ったとしても人は必ず選ばなければならない時がある。

小さい事でも大きい事でも
リスクの無い事でもリスクのある時でも

人は自分で考えて悩んで決めていかなければならない。

選択の自由は誰しもに与えられていて、それは時に苦痛で残酷なモノでもある。

他者を切り捨てなければいけない時。
自分を殺さなければならない時。
何かを得るために何か捨てなければ進めない時。
生きる為に進む度、自分の夢が薄れていく時。

常に人は選んで生きている。
時には知らず知らず
時には知りながら知らない振りをして

逃げる事を選ぶ事で現実を捨てたり
悩む事で悔やむ事で未来から目を背けているのかも知れない。


だけど、今まで間違ってばかりだったとしても
自分は生きて来たワケで、周りからヒントやアドバイスを貰っていたとしても
ちゃんと自分で選んで生きてきたのだ。

迷う事は誰でもあるし、悔やむのなんて当たり前で
転んで逃げて穴に落ちて、初めてわかる事だってあるんだ。


苦痛は痛いだけじゃない苦しいだけじゃない。
痛いからこそわかる物もあるし
苦しいからこそ得る物もある。

選ぶ事を拒否してしまう、選ぶ事から逃げてしまう。
それが原因で招いてしまった現実に後悔する。

自分はそれが一番悔しいのかも知れない。

だから、散々迷って躊躇しながらでも、最後は必ず自分で決めればいい。

別に迷ってもいい。悔やんでもいい。
ただその時に自分の考えで最終的に選べるかどうかが
決断力の有無なんだと考える。
2008/05/10のBlog
[ 23:21 ] [ 言葉のノート ]

人の為ならずと心を鬼にするのも

旅は道連れ世は情けと、手を差し出すのも
決して間違いじゃない。



人にはそれぞれの生き方があるように。
それぞれのやり方がある。


傍から見て間違っているように見えたって
それで成功もすれば失敗もするのも誰だって同じ。


だから、手助けするのもしないのも決して間違いじゃない。

でも、情けを必要とする時としない時は、あるに違いない。
何でもかんでも助けては為には成らないけど
助けてあげないといけない時は人である以上誰だってある。

それだけは忘れないでいたい。


情けを同情と取らないで
人情と取ることが必要な時があるから。
[ 21:35 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
今までそれだけに力を注ぎ
熱くそれでいて大切に思っていたモノ、瞬間、繋がりが
その熱が冷める事で、何も感じなくなってしまう。


それが怖くて怖くて仕方が無い。


人と言うモノは何事でも興味が無くなってしまえば
続ける事が出来なくなる傾向があり
それでも続けるには強靭な意志か
物事に対する思い入れが必要なんだろう。


今まで大切だと思ったこと。
重要だ。貴重だ。チャンスだ。と感じた瞬間も
熱を失った時から意味の無いモノになってしまう。

喜びや悲しみ、人との温もりすらも思い出となり
それ以上でも以下でも無いただのメモリーと切捨てられる。


一度、熱を失ったモノは
何かの拍子で、再び目を向けられるかも知れないが
かつて抱いた熱との温度差を感じた瞬間
また手放してしまう虚しさと
何故あの時、続けようとしなかったのか?と
自己に対する自己嫌悪に苛まれ、それ以上進めなくなってしまう。

後悔したくないからと、思いっきりやろうと思うも
人間の心ってそんな簡単なモノでも無く
やろうと思うココロと、やる気の出ないココロが鬩ぎ合い
そんな中途半端な気持ちでやり遂げる事は出来なくて
結局、熱が冷めていく。


今は夢中でただ前に進むことしか考えられない。
だからこそ、ふと立ち止まった時が怖いと考えてしまう。

何も考えずに突き進めと言われても
今までの経験が脳に焼き付いていて、時々脳を掠める。


でも、結局は考えても仕方の無い事なのかも知れない。

起きてしまう事に対して何か対策を考える事は必要な事だ。
でも、怖がってばかりいるのはマイナスだ。

例え起きてしまう事が絶対だとしても
今を楽しめなくなってしまうのだけはNGなんだ。

熱は維持し続ける事が難しいなら
熱いのが今の内だけなら、精一杯楽しんで苦しんで
そして酸いも甘いも味わい尽くせばいい。

物事は先を見る必要もあるけど
考えてわからない事は考えずに体当たりする事も必要で
なってから考えて見ても、なるようになる物だ。

どんな経験もいづれ自分の力になるなら、躊躇せずに試せばいい。
その経験に対して、自分がどう思えるかが重要で
自分自身が納得行くことが無かったとしても
「やって良かった。だから今の自分があるんだ」と
感じる事が出来れば、ただそれだけでいいんだ。

そうやって人は成長していくんだから。
2008/05/09のBlog
[ 23:17 ] [ 言葉のノート ]

染め上げるその色は、生きている証明。

自分が人であると知り、生きて良いんだと実感する。




普通に息をして、食べて、生きて
突如、陥る疑問。自分はなんで生きているんだろう?
むしろ、生きるとはなんだろう?

自分の価値を見出せない。
困惑による自分への猜疑心が自分を追い込む。

でも、自分は涙も流すし血も流す。
笑いもするし怒りもする。

何の為に生きているとか理由とかは必要じゃなくて
自分は自分で、あなたはあなたで
それを知り認識できる事が生きている事だと。

突然、走る痛みと、流れ出る紅は自分が生きている証で
決して空気なんかじゃない。人形なんかじゃない。
[ 22:58 ] [ 思いつき98%な日記 ]
列車に揺られながら
旅立つ世界は夢の国。

いつしか、気が付けば
周囲の光景が一変していて
それでいて普通に受け入れてしまう不思議。


夢とは様々な可能性を秘め
それでいて安らぎを与える事も
恐怖を感じる事もある。


そんな仕事帰りの列車で揺られながらに
ふと覗いてみた夢の世界で

自分は当然のように何故か走っていた。
周りは、どんどん自分を追い抜いて行くのに
焦りを感じ、追いつこうと追い越そうと試みるが
何故か自分は走っても走っても足が上手く動いてくれない。
それどころか前に進んでないんじゃないのか?と言うもどかしさがあった。

それでも自分は走り続ける。
後ろから追われているのか
それとも急いで向かうべき場所があるのか知らぬままに走っていた。

ずっと延々と走る続ける。
時には火の中、雪の中、壁をよじ登り、穴を飛び越え
夜になろうとも走っていた。
そして、トンネルに入り走り抜けようとした時。

目が覚めた。

あのトンネルの先に何が有ったのか知らないけど
少し変わった夢と列車で熟睡してた自分に
苦笑しつつ、列車を乗り過ごしてた現実に少し戸惑いを感じながら

それでも、どこまでも走り続ける夢は
きっと自分の思うままに走り続けろと自分の中の自分が言ってくれたのかな?と
そう思う事で明日も頑張れるんだと思う。

走り抜けると風が気持ちいい。
夜風を受けながら走る自分は、きっと明日へも走り出せる。
2008/05/08のBlog
[ 23:16 ] [ 言葉のノート ]

自分では何も語らずに、そっと手を差し伸べる。

そしてその事に触れず触らず普通に接しる。




押し売りはいらない。

気持ちだけでいい。

強すぎなく弱すぎない助けの手をそっと差し伸べ
そこに儚いほど優しい思いやりを少し添えてあげるだけでいい。

その気持ちが相手に伝わるかは、わからないけど
その気遣いが相手の心に届く。
[ 22:51 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
思い違う度、間違う度。
逃げ出したくなる事の連続で

その度、踏みとどまろうと思う反面
身体は逃げ腰で、気づけば気持ちも逃げている。

逃げる度に後悔となり、何故と繰り返すのなら
はじめからしなければ良かったとすら考える。

だって、誰でも苦しいのは嫌だから。


それでも逃げてばかりではイタチゴッコで
それから抜け出すには、自分が良くなるしかない。

人は良くなるためには、いくつか方法があり
ひとつは自分で考えて自分の意志で動くことと
もうひとつは生き方を参考に出来る人から学ぶことである。

人はいきなり自立出来ている人間はいなくて
環境から自立せざる得ない状況になって自立する人も
ずっと自立しないまま生きる人もいる。

しかし、人は生きている以上、学ぶ生き物で
どんな人間でもそれは同じ。

ただ、自分の興味のあるものだけを学ぶか
嫌なモノでも自分の力になると信じて学ぶかの違いなのかも知れない。

自分の興味ある事ばかりで自分の生き方を貫けるなら問題は無いんだろう
でも、それが出来る人は一握りの人間だと言う現実も忘れてはいけない。

それに、いづれどんな時でも自分が嫌だと思う事をやらないといけない時は来る。
それが生きると言う事だから。

それなら、逃げ出しそうになる不安な気持ちを押さえて
前向きに挑戦してみるべきだ。

最初から出来る人間がいないのと一緒で
頑張れば出来るのも人間だ。

挑戦する前から諦めてしまえば何も出来ない。
挑戦する気持ちが最初から負けていても、やはり出来ない。

やる以上はベストを尽くす気持ちで、失敗から学べばいい。

出来ると言う自信が自立に繋がり、やがて自分の考え方を生み出す。
そうやって人は強くなって、傷ついても転んでも、前に進み続ける存在なんだ。