ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | DoblogMusic | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
.2s
Blog
[ 総Blog数:317件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2008/05/14のBlog
[ 23:38 ] [ 言葉のノート ]

ふと思いついた事から始まって終わりの無いモノ。

考えて失敗して進すむ事で生まれたカタチ。




こうなればいいのに。
こうだったらやりやすいのに。

そこで止まらずに先を考える事で浮かび上がる発想。
その発想を元に生み出される物。

一工夫。

それは想いや情熱の結晶で
時には失敗と言う涙や苦労と言う汗を吸い。
閃きと努力によって編み出された作品。

でも工夫に終わりは無くて、さらに上を目指して進んでゆくもの。

今日もどこかで新しい産声を上げているんだろう。
[ 22:36 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
何かをする過程で人は常に考える物で
例え何も考えていなかったとしても
段階の途中でどうするべきかを選択しているモノだ。


特に買い物等で選ぶ時は
まず欲しい物に条件を決め、それに当てはまる物を選ぶ。
その条件を前提にしながら、あとは自分の直感やイメージで絞っていくのだ。


また、何かをしようと行動した際でも人は考える。
例えば単純に石を投げるにしても
より飛ばすにはどうすればいいのか。
綺麗に飛ばすにはどうすればいいのか。
投げ方ひとつにしてもイロイロと試したりするだろう。


人は考える生き物で、興味の無い事に関してはそれ程考えないかも知れないが
興味の有る事や自分にとって必要のある事に関しては常に試行錯誤したりする。

特にひとつに集中している事があると、それしか見えない人は多いだろう。
集中することで脳内が活性化され、ヒラメキで満ち溢れる事は良くある事で
頭が冴え渡ったり、いつもよりも冷静に考えられたりするものだ。


その考える事には効率化を求める傾向がある。
いかに物事を効率よく行えるかの一点に考えが絞られ
行動の無駄を無くし、より円滑さを求めるのだ。
これによって行動における時間の短縮や、労力の節約等の効果が得られる。

また、改善と言うカタチで
自分の行動に対して無理や弊害が生じた場合にそれをいかに改善するか
もしくはより良くするにはどうすればいいか?と言う考え方で
ひとつの考えに固執しないで、さらに上を考えたりする。
特に時代の流れは早く、昔のやり方では追いつかない事があるからだ。

しかし、効率を求めるばかりでも、上手くいかないのが人間で
特に人間関係に関しては、いくら考えても頭を悩ませる事が多いだろう。

むしろ効率を求めすぎるばかりに、失うモノがあったり
逆に他人に気を使いすぎるばかりに、自分自身が疲弊したり
考えても納得の行く方法が思いつかなかったり


人とは考える事によって生き、発展し、栄えた。
考える事で様々な可能性を生み出し、生き方を現した。
しかし、生きると言う事は人と言う感情があるからこそ意味がある物で

考える事は必要だけど、偏りすぎてもダメで
バランスが重要なのである。

効率をある程度求めつつも、自分自身や周囲に対しても負担が無い方法。
考えれば考えるほどイロイロな物が見えてくる。

それが人間の素晴らしい可能性だ。
2008/05/13のBlog
[ 23:41 ] [ 言葉のノート ]

失った時の事を考えると、前を進めなくなる。

だったら先の事を考えずに今を出来る限り楽しむ事だ。




それしか見えなくて
考えられなくて
無くてはならない存在で

だからこそ、これから先に進む事で
失ってしまうのでは
無くなってしまうのでは
自分から離れていくのでは
と考えるたび、胸が締め付けられ思考が負の闇に包まれる。

でも、それは今どれだけ考えても結論が出なくて
むしろ、前に進めなくなる弊害になるのなら
今と言う一瞬一瞬を楽しむ事に集中するべきだ。

失う事になるなら、最初から無かったら良かった。と思うのではなく
失う事になるかも知れないからこそ、今と言う時間を精一杯楽しむと考えるべきで
必ず楽しかった思い出は自分にとってプラスになる。

今を精一杯楽しめるモノは未来を楽しむ術を知る事が出来る。
そして未来の事なんて誰もわかんないのだから楽しんだ者勝ちでもあるんだ。
2008/05/12のBlog
[ 23:54 ] [ 言葉のノート ]

その必要があると感じたなら躊躇せずに突き進む。

その瞬間、問題と考えていた事が吹っ飛ぶから。




必要だと感じたならば
なにも躊躇う必要は無くて

それが自分から動く時でも
向こうから動くタイミングを持ってきた時でも
なんら変わる事は無い。

ただ、必要を感じているのに
立ち止まってしまう事は可能性そのものを無くしてしまう。


必要だと感じたら迷わず動け、なりふり構うな。
例えどんな労力を費やしたとしても
今しか得られない物は、今しかない!
[ 22:19 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
何かの為に備えたり
いざと言う時の為に構えたり


対処するために
対応するために


人は何らかの処置を講ずる。


それは自分自身に起こりうるものへだったり
これから訪れる事象に対してだったり、様々だろう。

しかし、これらに等しく言える事があるとするならば

構えるだけではまだ足りない。と言う事である。


備えをしっかりして、いざと言う時に構える。
それは大事な事であるが
構えているだけでは、いざと言う時に動けない。

構えながら、現在の状況を把握し、頭の中でイメージして
可能性を模索する。

常にリアルな現状を把握する事で、何に対して備え
何に向けて構えるべきかを考え、知る事が大事なのである。


後ろでどっしり構えていても、いざと言う時に動けないのは
現状をしっかり把握できていないからだ。

心と言うのは、普段から切り替えを行っていないと
いざ切り替えろと言われても出来ないように

構えも同じで、言われてから構えるのでは役に立たないし
構えてるだけで実際、反応出来ないのであれば構えの意味を成さない。


その為にも頭の中でしっかりイメージする事を
常日頃、自身で習慣付けるしかないのだろう。

いざと言う時に動けるかどうかは
常に構えている事も大切だけど、構えた上でどう動くかが見えなければ意味が無い。

動くためには、周囲の状況を把握できるアンテナを常に張り巡らす癖をつける事だろう。
2008/05/11のBlog
[ 23:33 ] [ 言葉のノート ]

何かを持て余していたり、しょうもない事を考える。

それこそが安らぎで身体を休めれている証拠だ。



ついつい暇だと感じたり
飽きてやる事を探したりするけど

それこそ、忙しさから解放された証拠で
悲鳴を上げていた身体が物足りないと呻いているのかも知れない。

そのヒトトキの安らぎに今は身を委ね
また戦場の様な忙しさに赴く準備をしよう。

心の準備を。
[ 21:38 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
2つの内、1つを選ぶ場面で
予め決めていたとしても

その1つを選ぶ事で、もう1つを完全に
諦めなければならない場合
必ず人は迷うモノである。


仲の良い二人の友達がいたとして
その二人が対立する事になった場合
選択肢は3つ。

どちらか片方に付くか
どちらにも関わらないか
両者を治める側に回るか

どの道もメリットとデメリットが有り
人間関係を乱さずに元鞘に戻すには、それなりの技量と経験を必要とするだろう。


だからと言って、どちらかを選べと言われて選べる物でもないし
仮に、そのどちらかを決めていたとしても
実際に、対立した場合に選べるか?と聞かれたら迷うモノである。


二つのうちから一つを選ぶとは、まさに究極の選択で

それがオヤツのプリンで有っても
掛け替えの無い親友で有っても

人は大小はあれど迷うものである。


決断力と言うモノは、瞬間的に正解を導き出す力でない。
例え間違っていたとしても、その二つのうちの一つを選べる力だ。
例え迷ったとしても人は必ず選ばなければならない時がある。

小さい事でも大きい事でも
リスクの無い事でもリスクのある時でも

人は自分で考えて悩んで決めていかなければならない。

選択の自由は誰しもに与えられていて、それは時に苦痛で残酷なモノでもある。

他者を切り捨てなければいけない時。
自分を殺さなければならない時。
何かを得るために何か捨てなければ進めない時。
生きる為に進む度、自分の夢が薄れていく時。

常に人は選んで生きている。
時には知らず知らず
時には知りながら知らない振りをして

逃げる事を選ぶ事で現実を捨てたり
悩む事で悔やむ事で未来から目を背けているのかも知れない。


だけど、今まで間違ってばかりだったとしても
自分は生きて来たワケで、周りからヒントやアドバイスを貰っていたとしても
ちゃんと自分で選んで生きてきたのだ。

迷う事は誰でもあるし、悔やむのなんて当たり前で
転んで逃げて穴に落ちて、初めてわかる事だってあるんだ。


苦痛は痛いだけじゃない苦しいだけじゃない。
痛いからこそわかる物もあるし
苦しいからこそ得る物もある。

選ぶ事を拒否してしまう、選ぶ事から逃げてしまう。
それが原因で招いてしまった現実に後悔する。

自分はそれが一番悔しいのかも知れない。

だから、散々迷って躊躇しながらでも、最後は必ず自分で決めればいい。

別に迷ってもいい。悔やんでもいい。
ただその時に自分の考えで最終的に選べるかどうかが
決断力の有無なんだと考える。
2008/05/10のBlog
[ 23:21 ] [ 言葉のノート ]

人の為ならずと心を鬼にするのも

旅は道連れ世は情けと、手を差し出すのも
決して間違いじゃない。



人にはそれぞれの生き方があるように。
それぞれのやり方がある。


傍から見て間違っているように見えたって
それで成功もすれば失敗もするのも誰だって同じ。


だから、手助けするのもしないのも決して間違いじゃない。

でも、情けを必要とする時としない時は、あるに違いない。
何でもかんでも助けては為には成らないけど
助けてあげないといけない時は人である以上誰だってある。

それだけは忘れないでいたい。


情けを同情と取らないで
人情と取ることが必要な時があるから。
[ 21:35 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
今までそれだけに力を注ぎ
熱くそれでいて大切に思っていたモノ、瞬間、繋がりが
その熱が冷める事で、何も感じなくなってしまう。


それが怖くて怖くて仕方が無い。


人と言うモノは何事でも興味が無くなってしまえば
続ける事が出来なくなる傾向があり
それでも続けるには強靭な意志か
物事に対する思い入れが必要なんだろう。


今まで大切だと思ったこと。
重要だ。貴重だ。チャンスだ。と感じた瞬間も
熱を失った時から意味の無いモノになってしまう。

喜びや悲しみ、人との温もりすらも思い出となり
それ以上でも以下でも無いただのメモリーと切捨てられる。


一度、熱を失ったモノは
何かの拍子で、再び目を向けられるかも知れないが
かつて抱いた熱との温度差を感じた瞬間
また手放してしまう虚しさと
何故あの時、続けようとしなかったのか?と
自己に対する自己嫌悪に苛まれ、それ以上進めなくなってしまう。

後悔したくないからと、思いっきりやろうと思うも
人間の心ってそんな簡単なモノでも無く
やろうと思うココロと、やる気の出ないココロが鬩ぎ合い
そんな中途半端な気持ちでやり遂げる事は出来なくて
結局、熱が冷めていく。


今は夢中でただ前に進むことしか考えられない。
だからこそ、ふと立ち止まった時が怖いと考えてしまう。

何も考えずに突き進めと言われても
今までの経験が脳に焼き付いていて、時々脳を掠める。


でも、結局は考えても仕方の無い事なのかも知れない。

起きてしまう事に対して何か対策を考える事は必要な事だ。
でも、怖がってばかりいるのはマイナスだ。

例え起きてしまう事が絶対だとしても
今を楽しめなくなってしまうのだけはNGなんだ。

熱は維持し続ける事が難しいなら
熱いのが今の内だけなら、精一杯楽しんで苦しんで
そして酸いも甘いも味わい尽くせばいい。

物事は先を見る必要もあるけど
考えてわからない事は考えずに体当たりする事も必要で
なってから考えて見ても、なるようになる物だ。

どんな経験もいづれ自分の力になるなら、躊躇せずに試せばいい。
その経験に対して、自分がどう思えるかが重要で
自分自身が納得行くことが無かったとしても
「やって良かった。だから今の自分があるんだ」と
感じる事が出来れば、ただそれだけでいいんだ。

そうやって人は成長していくんだから。