ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
.2s
Blog
[ 総Blog数:358件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2008/06/26のBlog
[ 22:11 ] [ 思いつき98%な日記 ]
人はヒトリでは何も出来ない。

それを実感する度に
隠せない苛立ちが訪れ、ただただ立ち尽くしてしまう。


混沌と虚無。


何も生まれぬ様な狭間で
思考のベクトルはマイナスへマイナスへ加速する。


それでも、淡々と別の思考回路は動き続け
次のプランと、修正案を発案する。

落ち込み、苦悩する事に思考は慣れてしまい。
悩み苦しむ裏で、冷静に状況を受け止める自分。


ゆえに立ち尽くす。
自分の無力さゆえに。


終わった後に、冷静な自分が指摘する問題点は
どうしようもなく、誰がどうみても自分の失態で
何もかもが自責であるような、そんな痛みが心を刻んでゆく。


もう何本の杭が自分の心を穿ったのか、それはわからないけれど

それでも、その痛みを忘れてはダメだと、刺さった杭を抜かずに背負おうとする。
その行為がすでに自分の首を締めている事を知らない振りして


苦しむ事で、自分が犯した過ちが許される事を願っているワケで無い。
だけど、それでも心の奥底では願って止まない。


苦しんでる事をアピールする?

>とんでもない!

じゃあ、どうするの?

>何も語らず、ただ微笑むだけさ。


常に笑顔でいる事が、どれだけ難しいか、わかってるつもりさ。
それでも悔やむ暇があるなら、笑って生きろと
いつも口癖の様に言ってたっけ。


誰にだって、苦しい時はあるさ

しんどい?つらい?

当たり前だよ。それが生きるって事だからね。

でも、生きるって何か考えた事はあるかい?

生きると言うのは感じるって事さ。
そして、感じるにはヒトリでは役不足。限界がある。

しんどい、つらいは、その先にある大切なモノをより一掃強める為に有って
誰しもがそれを、泣きながら弱音を吐きながらも乗り越えて手に入れて行くんだ。

どうやったら乗り越えるかって?
それは簡単さ、辛い時、しんどい時こそ。
笑うんだ。それだけでいい。


無力だからこそ、力を見につける楽しさがある。
まだ自分は出発点だと思えば、まだまだ楽しめる。

笑う事が生きると言う事。


自分の恩師が教えてくれた、大切な大切な言葉。
2008/06/25のBlog
[ 23:40 ] [ 言葉のノート ]

様々なモノにカタチがあり、想いがある。

そして何より忘れない為にある。




最初から存在したモノ。
人が長い年月を掛けて創り上げたモノ。
人が人に対して抱き続けた想い。

それらには、それらのカタチがある。
カタチは目で見える物。見えないモノ。千差万別、千変万化であるけれど

確実に存在する。

なぜならば、そこに象る事でそのカタチを創り上げた想い。
それを忘れないが為に存在しつづけるからだ。

カタチある物は、いつかは壊れる。
それでも、壊れたモノにもカタチはある。

カタチは常に存在しつづける。
人の記憶の中でも、ずっと。
[ 20:55 ] [ 思いつき98%な日記 ]
生まれてこの方、その存在は知っていようと
それはあくまでも知識の中だけで
実物を目視した事も、それを経験した事も無かった。


この間までは・・・。


もんじゃ王と自らを名乗る男に連れられ
来た店は、もんじゃ焼きのお店。

ここでもんじゃの全てをうぉしえてやる!
春が終わりかけ桜散った季節にいきなり言われた。


春と言えば、桜、ゲイシャ、モンジャー!な自称「もんじゃ王」は
もんじゃの店に入るなり

満席で2時間待ちと出鼻を挫かれる(笑)
それでも、もんじゃにコダワル「もんじゃ王」!

ホントは本場月島のもんじゃを食べたかったらしいが
時間の都合で地元のモンジャ屋で手を打ったのが、ちょっと切ない。


もんじゃの道は険しいのだと背中で語る「もんじゃ王」。

その頑なな姿に、もんじゃへの興味はますます高鳴ってゆく。
2時間が経ち店に再び訪れる「もんじゃ王」。
軽い足取りで通された席に着き、注文を取る。


頼んだメニューは明太もんじゃと牛筋もんじゃ。


その間に「もんじゃ王」は、もんじゃの焼き方が書かれたメニューを自分に渡しながら
もんじゃを焼く為に生きてきたと言わないがばかりに準備を整える。

その姿はまるで、戦場に放たれた歴戦の兵士を彷彿させ
これから現れる獲物をどう調理するかプランを立てているかの様だった。


しばらくして、運ばれて来た明太もんじゃの器。
器は一回り小さめの銀のボウルで
その上に並々載せられたキャベツの千切りの上に明太子が乗ってるのが特徴だった。

さて、これがどう知識の中のもんじゃのカタチに結びつくのか
興味がますます膨らむ中、ついに「もんじゃ王」が動き出した!

鉄板が温まってきたのを確認してから油を満遍なく広げ
ついに具材の入った器から具材を・・・・・・。


器から流れ出る出汁。
熱くなった鉄板にかかるなり蒸発。
その蒸気で熱がる「もんじゃ王」(笑)

メニューの「もんじゃの焼き方」には
ボールを水平にして具材だけを掻き出してくださいとある。

つまり、具材を掻き出す際に器を傾けちゃって
出汁がこぼれちゃったのだ(笑)


熱がるもんじゃ王に店員さんは「お客さん、もんじゃは初めて?」と尋ねる(笑)
もんじゃ王 絶対絶命のピンチ!?(笑)
それでも、もんじゃ王は負けない。

モンジャと言うより、お好み焼きの焼き方の様な
具の焼き方は年季が入っており
キャベツと明太子を掻き混ぜながら炒めていく!


どうだ!これがもんじゃの焼き方だ!と言わんがばかりに
キャベツを炒め終わると同時に土手を作り
出汁を土手の中に流し始める。

どうやら、もんじゃの生地は最初は出汁状で熱を加える事によって
とろみが出来、やがて生地状になるらしい。


感心しながら、もんじゃが出来てゆく様を眺める。
もんじゃ王がちょっと得意気だった。
途中で、とろみが出始めた生地と具を混ぜる際に
店員の手助けを借りながらもついに完成!


生まれて始めてのもんじゃとのご対面である。


おおー!テレビで見たのとそっくりだ!なんてコメントよりも
お腹が空きすぎて、やっと食べれるって感じと
出来る過程を直に見る事で、美味しそうと言う想いが相乗効果!


もんじゃ王と激しいデッドヒートを繰り広げながら
熱いのが苦手な猫舌な自分はもくもくとハガシと呼ばれる小さな小さなコテで
もんじゃを喰らう!

もにゅもにゅとした食感!程よいおこげの風味!明太子の絶妙なハーモニー!

いつしか、明太もんじゃの姿は鉄板から消えていた。
こうして、もんじゃとの出会いは
新しい物に挑戦する事の楽しさを教えてくれ
また、まだまだ知らない物、そして面白い物がある事を知れた。


もんじゃ。


それは食べず嫌いな人も多く、いまだ口にした事が無い人もいるが
時にはオヤツ、もしくはデザートと言う人もいるように
愛されて止まない理由が、もんじゃにはある。

また食べたいな。と言う想いを胸に、連れて来てくれた友人に感謝する。


ありがとう!もんじゃ王!君の勇姿は忘れない!



追伸:もんじゃ王直伝 必殺モンジャスター(写真の土手を星型にしたヤツ)は、折角教えて頂きましたが使わないと思います(笑)
2008/06/24のBlog
[ 23:08 ] [ 言葉のノート ]

無理しないで気軽に

それが笑顔の秘訣だ。




自分は話をするのが大好きで飢えていると言っても過言じゃないかな?

そんな自分は人の笑顔を見るのが好きで
やっぱり無理しながら気を遣いながらではホントの笑顔を見れない。

気軽にメールを友人としながら
返信早いなと突っ込みながら
いつの間にか笑顔が毀れる自分自身に。

気軽に無理しない自然体こそ笑顔なんだなぁって行き着いた。

だから笑顔って素敵なんだ。
2008/06/23のBlog
[ 23:40 ] [ 言葉のノート ]

そんなつもりは無いのだけど、いつの間にか抜けていたりする。

それが癖になってくると当たり前になって来るモノ。




最近、手抜きだなと思って
それでいて、そのまま流されてゆく自分。

言い訳だったら沢山出てくる。
でも、言い訳する暇有ったらその力を注ぎ込めと自己嫌悪。

一度、楽を覚えるとなかなか元に戻れない。

だけど、それはきっとね。
情熱が冷めかけてるからなんだ。

慣れてくると定期的に熱を入れなきゃすぐ冷めて来るモノで
それが次第に楽を求めてしまうんだ。

新しいモノを追い求めよう!

目標、夢、目的!

動機はなんだって良いのさ。
人はそこに何かがあればそれを追い求める生き物で
根っからの探求者でハンターなのだから。

追うモノ、求めるモノが有る限り走り続けられるのなら
目標はとことんでかい方が良いんだよ。
[ 22:48 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
全ては模倣から始まる。

良いと思った事を真似る事から始まり
それを自分の物にした後
さらなる改善を加えて進化させる。

その進化させた物をまた誰かが真似る事で
さらにさらに進化して行く。

そうやって人類は文明と言うモノを築いた。


真似る事は
なんでそうなるのか?
そうやれば上手く出来るのか?
と言う疑問から始まるモノで


真似て見て初めてわかるモノ、知るモノ、見えるモノがある。

猿真似だとか、モノマネだとか
オリジナルには到底及ばないと思われがちだが
真似る事は別に悪い事でない。

ただ、真似るだけで終わらずに、そこから自分のモノにアレンジ出来るかが重要なんだ。

真似るだけでオリジナルに及ばないのなら
そこから自分のカラーにすればいい。
似ているモノなら世の中にいくつも存在するが
そこに自分なりのプラスαを付け加えれば、それは自分の物なんだ。

何事も発想の転換で
全ては模倣から始まり改善に改善を重ねて
技術も文化も文明も発展して来た。

昔から技術は教えてもらう物でなく、盗むモノだと言われていた。
自分なりに分析し試行錯誤を重ねるうちに
その技術が自分の血肉になるからである。

良いと思った事は、どんどん吸収すれば良いんだ。
誰かが考えたとか、先に編み出したとか関係無い。
ただ、真似で終わらせずにさらにその先を突き詰める事こそが重要なんだ。
2008/06/22のBlog
[ 23:26 ] [ 言葉のノート ]

この世に自分程信じられないモノは無いと思っても

自分が自分を信じなければ、誰も信じてくれないのが真理だ。




最初は誰もが自信が無くて
その様子を人が見れば不安に感じるモノ。

自信が無かったとしても自信満々に振舞っている方が
多少は信頼を得られるのも事実なんだ。

自信を喪失して、失敗するのが怖くて怖くて仕方無かったとしても
信頼を勝ち取るには挑戦するしかない。

自分が自分に対して信じる事が出来ないのなら
自分への信頼を勝ち取る為に挑戦するべきだ。

自分なら出来る!
いきなりそう思う事、感じる事、信じる事は出来ないだろうけど
それでも、そう言い聞かせて挑戦する。

成功するまで何度も何度も挑戦し
失敗する度に、考察し、イメージし、成功への道を模索する。
そうやって成功を掴み取れた時こそ

きっと自分を少しは信じられる様になっているはず
自信とはそうやって築かれて行くモノだから。
[ 06:43 ] [ 思いつき98%な日記 ]
攻めに入るか。
守りに入るか。

この攻守の切り替えのタイミングが実に重要だと
実感する今日この頃。

常に攻めで突っ走れたのが若さゆえだとしたら
いつしか守りに入ってしまうのは老いたからだろうか?


その自問自答に、瞬時に浮かぶ答え。
守りに入るのは、守りの有効性を覚えたからだ。


常に攻めてばかりでは
自分自身にも今後の展開にも無理が出てくるのが現状で

時には様子見も兼ねて守りに入り
周囲の状況を把握し、分析する事で
今何をするべきか、何が出来るのか、そして何を優先しないと行けないのか
それらが見える。

我武者羅に攻めるだけでは、労力の浪費に過ぎないと
社会で生きる為の狡猾さが染み付いた結果かも知れない。


だが、いつしか効率を求めた結果。
攻めよりも守りに偏った生き方になっている事に気づく。

そして、時には何も考えず衝動的に感覚的に
攻めに徹する必要性を思い知らされた。


人は正論だけで生きていけない。
人は感情によって生きるモノなのだ。

時には感情を捨てる必要性は有ったとしても
最終的に戻ってくる場所は
自分自身の感情を素直に、そして当たり前に表現できる場所。

それが自分の居場所、自分の帰るべき場所なんだろう。

心を押し殺して、雁字搦めに縛り付けられたとしても
感情無しでは、喜怒哀楽無くしては人は人と言えない。

人は人形じゃない。
自分は人形じゃない。

人は人を気遣って、思いやって、そして分かち合って生きるモノだ。
それを伝える場所。それを教える場所。

最近では、文明の発達と共に薄れて行く事を思い知る。

自分らは機械じゃない。
ならば、自ずと見えてくる答え。

守ってばかりでは見えないモノ。得る事の出来ないモノがある。
ならば、思い切って攻めてみるべきだ。
攻める事で失う物はある。無謀だと後悔する事もある。
だけど、攻める事は次に繋がる事でもあるんだ。

攻めてばかりでは見えないモノ。失ってしまうモノもある。
自分自身を主張しすぎて、見えて無いモノが無いか?
時には止まって、深呼吸して周りを冷静に見渡す事も必要だ。


攻守のシフトチェンジを上手く出来るかどうか。
それにこだわっちゃダメだけど、攻め守りのどちらかに徹する事もダメなんだ。

人生はタイミングとバランスで
失敗しても、なんで失敗したんだろうを考えて踏まえて
一歩づつ歩けば良いし
新しい事に目を向け興味を持ち行動する事で
見えて来るもの、得られるモノもある。

攻めと守りは表裏一体。
でも、大切なのは人の心と自分の心。

結局、あまり深く考えず自分の気持ちに素直に行動し
時々、立ち止まって自分は自分に満足しているのか確かめる事が
自分自身に対しても攻めと守りに繋がるのかも知れない。
2008/06/21のBlog
[ 23:06 ] [ 言葉のノート ]

もって生まれたモノは何にでも誰にでも有る。

その価値は人に決められるモノで無く、自分で決めるモノ。




何の為にって考える事は誰でもある。

自分の力不足を認めたくなくても
明らかに力負けしている現実を前にして
愚痴のひとつでも吐きながら

自分自身の弱さを呪いたくなる。

だけど、それでいいのか?

笑われても、使えないとレッテルを貼られても
自分自身が認めなければ、それは自分の本当の価値にはならない。

自分の生き方は自分で決める。
自分の価値は自分で決めるんだ。

天然物の自分の才能が例え無かったとしても
それだけが自分の価値で無い。

本当の価値は、今ここで、そしてこれからを踏ん張れるかどうかにある。