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2008/03/14のBlog
[ 21:16 ] [ 思いつき98%な日記 ]
何かイロイロと考えてしまう生き物が人間だ。


そんなワケのわからん事を考えてしまう人間が自分である。


特に最近は色々考えさせられる事がある。


自分のブログの記事に合う写真の事とか
今後の自分自身についてとか
人の心の心理傾向とか
読みかけの小説の今後の展開とか
納豆の新しい味わい方とか
仕事とか仕事とか仕事とか
やりたい事としなければならない事の比率とか
明日の昼ごはんのプランとか
無性に朝起きたら何故か甘い物が食べたくなるのは病気なのかとか
友人の戯言の受け流し方とか
オイルマネーの事とか


とにかく大小さまざまに考えてしまう事が多い今日この頃。

何もかも忘れてどっかに行ってのんびりしたいと思うのもしばしばだ。


そんな悶々とする毎日で、ふともうすぐ桜のシーズンだな。と
思いついた。


桜は良い。何故か心が安らぐ時間を提供してくれる。

ひらひらと舞い散る花びらは幻想的で、春を感じさせる瞬間だ。


桜を見に行こう。何もかも忘れて、ただ桜に酔おう。

今日、そう決意した自分は近々桜を見る為のプランを考えている。


結局、イロイロ考えるのは止められそうになさそうだ(笑)
2008/03/13のBlog
[ 23:04 ] [ 言葉のノート ]

チャンスは後ろからやって来ない。前からやって来るのだ。

だから後ろ向きで無く前向きに考えよう。




自分がどん底だと気づけたなら
それ以上落ちない努力をしよう。

認め向き合う事で底から這い上がろう。

その想いが強ければ強いほどチャンスは向こうからやってくるはずだ。


自分が底と自覚した時こそ、その現を認め、向き合い。

後は登るだけと開き直れる人間が、チャンスを掴めるのだ。
[ 21:29 ] [ 思いつき98%な日記 ]
後でも下でもなく
ただひたすら前を向き

感情をひたすら噛み締めて、歯を食いしばり続けた。


強く生きる為だった。


何かを求める為に失うのでは無い。
手に入れる為に費やしたのだ。


そう自分に言い聞かせ


大から挑まず小から築き
「その積み重ねがどれだけ出来る?」と心揺らぐ

いっそ、命すらも賭して未来を開く為、奈落へ踊り出そうか


そんな自問自答が頭を掻き乱した。


それでも己を前に向かい合い
自分を保ち、信念をまっすぐに掲げる。

転び、折れ、堕ちようとも、それでも想いは消えず

光放つその未来をただ信じ、掴むまでただ走り続けよう。



今はまだ耐える時だ。

自分に必要な力を貪欲に掻き集め。

そのチャンスが来るまで、ひたすら耐え忍べ。


己の内に宿す炎を消さず。

いつかその輝きが世界を照らす事を夢見て

今はひたすら自分を磨け。
2008/03/12のBlog
[ 21:47 ] [ 言葉のノート ]

厳しさは、思いやりの裏返しだ。

素直に受け止めて、自分の心に刻もう。




言動、その全てがきっと正解では無いのだろうけど
そこには真っ直ぐな気持ちがあった。


その言葉は心に突き刺さり
ひとつひとつがつい逃げ出したくなる様な
辛く耐え難い一瞬だ。


それでも、その言葉には心が詰まっている。
それを全力で受け止めよう。

そうすればきっと自分の力になるから。
[ 21:22 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
「やさしさ」と「思いやり」の違いってなんだろう?


いつもながらの唐突な問答だが

今回はワケありだ。


いつも思慮深く見せて貰っている素敵なブログがある。

それはrakuさんのI am whoである。


その中の記事で違いについて考える。を読んで興味が湧いた。


そこでは「やさしさ」と「思いやり」の違いについて書かれてあり
自分の考えも概ねrakuさんに同意である。

ただ、そこからさらに踏み込んで
ちょっと自分的な考えを書いてみようと思いついたワケだ。



以前、自分は「中途半端なやさしさは罪だ。」と言う記事を書いた。

そこでは「やさしさ」故に泥沼にはまった友人の話を踏まえた上で
中途半端なやさしさは、双方を傷つける事にもなる事を語った。


中途半端なやさしさは罪である。
人を傷つけまいと思う事が逆に人と傷つけてしまうのだ。



では「やさしさ」とはなんだろう?

それは自分が思うに、人に差し出せる自分の良心だろう。
ただし、間違ってはいけないのは、その良心はあくまで自分視点の物だと言う事だ。
そして、「やさしさ」には思慮深いものから思慮浅いものまで幅広くある。


思慮浅い「やさしさ」の簡単な例を挙げるなら「余計なお世話」になるだろう。

自分は親切心のつもりの行動でも、相手にとっては邪魔になる事がある。

良心とは押し付けがましいだけでは、かえって迷惑になる。
その上、当の本人は良い事をしたつもりだから、始末に置けない。


では「思いやり」とはなんだろう?

それは思慮深いやさしさなんだと思う。
気遣いと心遣いから来る「やさしさ」は、その人の心に伝わる物。
なぜなら、その人の事を心から思う事によって生まれる「やさしさ」だからだ。


人の気持ちを考えた上での「やさしさ」と
自分の考えだけでの「やさしさ」は同じ「やさしさ」でも意味が違ってくる。


「やさしさ」の押し売りは結局相手を傷つけるのだろう。

自分の全てを包み込んでくれる「やさしさ」は本当に心地良い。
だけど、その「やさしさ」に甘えてしまうと自分は弱くなってしまう。


逆に、心を鬼にして辛く接っしてくれる人は、自分の事を心から思ってくれる人だ。

今は確かに辛いが、それを乗り越える事で自分自身が強くなった時
そこに「思いやり」の存在を見るだろう。


「やさしさ」と「思いやり」は、簡単に見分けの付くものでもない。

極論、自分では「思いやり」のつもりでも
相手にとっては「やさしさ」の押し売りにとられるかも知れない。


それほど、人の気持ちを知る事での行動は難しいのだ。


常に誰に対しても「やさしい」だけではダメだ。
時には心を鬼にして厳しい事も言ってやるのが「思いやり」なのだろう。


例え、その「思いやり」が通じなくても、きっと通じる時が来る。


結局、「やさしさ」と「思いやり」の違いは
自分が相手の事をどれだけ考えれるかの違いなのかも知れない。


やさしい事は別に悪いわけでは無い。
ただ、もう少し相手の事を考えるだけで
あなたは「ただ優しいだけの人」から「本当に優しい人」になれるはずだ。
2008/03/11のBlog
[ 22:56 ] [ 言葉のノート ]

どん底にいる時は、あまりにも地中深くにいるのか

周りを見わたしても、悩みと言う壁しか見えないものだ。




悩み悩んでいる時は
何を言われても、何を見ても壁しか見えない物だ。


しかし、それは自分が底にいると暗示をかけているだけで
しっかりと周りを見つめれば、上から光が射してるのに気づく。


悩めば悩むほど、周りが見えなくなるもの。
気分が暗くなり始めたら上を向こう。


そこには自分に向けて伸ばしてくれている手があるはずだから。
[ 22:54 ] [ コンマ2秒のカタチ ]
ありのままの自分とはなんだろう。


今の自分が偽りなのか不安になる時がある。
ココロから自分が笑っているのか、ふと考える時がある。
いつの間にか建前が板についてる事に気づいた時がある。


その瞬間、これは本当の自分なのか考えてしまう。


振り返れば、いつしか他人との会話に気を使い
言いたい事も言えない自分がいないだろうか。

立場と責任が自分を縛りつけ
言動に自由が無いのではないか。

楽しいと思って始めた事も
いつしか義務にも似た感情で楽しいと思えなくなっていないか。


ありのままの自分でいる事は難しい。

なぜなら、人には感情があり、それは人と人との関係を築く過程で
ある程度は抑えなければならないものだから。

常に自分の感情を出したままで生きるには、すこし難しいのが現実だ。


それでも自分が自分のありのままを表現したい。

それは、ずっと今まで自分の殻に閉じ込めていた感性を開放する瞬間だから。


だから、人は本を読み、映画を観、娯楽に興じる。
それはストレスと言う「ありのまま」を押さえる事によって出来るホコリを払う為だ。


擬似的に感情をそれらに発散させることによって、ありのままを演じているのかも知れない。


ありのままの自分を出す事は難しいのかも知れない。

それでも、あなたの近くにその「ありのまま」を出せる人がいるなら
あなたは幸せだ。
[ 20:55 ] [ 思いつき98%な日記 ]
まだまだ先になるとは思うのだが
「やって見たいな」と思う事が最近増えてきた。


その中でも特に強く思う事は
「自分の記事に合う写真を貼ってみたい。」である。


理由はものすごく簡単なのだが

いろいろな魅力的なブログを回るにつれて
自分の記事にも魅力的な写真を貼れたら・・・・。と

めくるめく写真の世界に取り込まれそうになる。


最近、そんな調子だからか
少し出かける時でも、ちょっとコンビニに行く時でも
デジカメを常に持って出かける様になってしまった。


それでも自分は駆け出しの初心者だ。
何が良いか悪いか等わかるはずも無い。

ただただ思いつきの直感だけを頼りに取り捲る。


荒地に転がってる大きな岩を撮って見たり
飛行機が珍しく低く飛んでたからと撮って見たり
使えそうだなと思う写真を撮る度に
「どの記事に貼って見よかな。」と一人でほくそ笑んだり。


なんか楽しい気分になってくる。

ちょっと嵌まり掛けてるのかな?やばいかも知れない。


それでも正直な話、自分ではうまく撮れたと思っても
なかなか自信が持てなかったりするものである。


そして、そんな時こそ持つべきものは友人である。

わざわざ友人に写真を送りつけて評価して貰うのだ。

正直、友人から見れば傍迷惑なヤツ極まりない(笑)


それでも友人は嫌味のひとつも言わず
「おお、なかなかいい感じじゃねぇ?」
とお褒めの言葉までくれる。


ホントに友人のyasu-boxは写真にも詳しく頼りになる存在だ。
(当人曰く、褒められるのに弱いので褒めておく。)


そんなこんなでブログを始めて早くも3週間があっと言う間に過ぎさった。

新しい事を始めて、楽しい事もあり悩む事も悔やむ事もある。
いづれ、辛い事やしんどい事もあるかも知れない。


それでも、新しい事を始める事でまた新しい物が見えて来た。

そして、また新しい事をしたいと思う気持ちに出会える。


ブログを始めて良かったなんて、まだまだ言うには早すぎるんだろうけど

それでもホントに良かったと思わずにはいられない。


近々、友人から頂いた写真と自分で撮った写真を過去の記事も含めて
貼っていこうと、こそこそ考えるのが楽しい自分は今日も楽しく記事を書いている。
2008/03/10のBlog
[ 20:10 ] [ 言葉のノート ]

一歩一歩進むにつれて、震えていた気持ちが自信に変わり、やがて慢心に繋がる。

一歩進む度に思い出せ。勇気を振り絞った最初の一歩を。




最初の一歩を踏み出すのに、恐怖と期待で満ち溢れながら
やっとの思いでその一歩を踏み出した。


一度、その一歩に慣れるとトントン拍子で先に進んでゆけるもの。

いつしか、自分に自信が出来初め
「自分は何でも出来るんだ。」と思い始めた。

だけど、慣れた心にいつも突然落とし穴が現れる。


油断は禁物だ。


自分に自信を持つのは良い。

だけど、最初の震えながらも脅えながらも自分の目指すモノの為に踏み出した
あの時の気持ちを思い浮かべてみよう。

今の自分が昔の自分と同じ気持ちなのか確かめてみよう。