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2008/09/29のBlog
[ 16:02 ]
[ 食彩・山菜 ]
きのこ狩りに行きいつもの木はついに倒れていましたが、ヌメリスギタケモドキは健在でした。
臭いがきついので妻は「味がいまひとつ」といいますが、豪快に大量に食べられるのが魅力です。
同じ県内でも地域や場所によってきのこの種類がかなり違うのも面白さの一つです。
この舌を噛みそうな名前のヌメリスギタケモドキは、川や湿気の多いところのタチヤナギの老木で見つかります。大きさもウチワくらいのときもあり、遠くからでも発見できる愉快を堪能できます。
臭いがきついので妻は「味がいまひとつ」といいますが、豪快に大量に食べられるのが魅力です。
同じ県内でも地域や場所によってきのこの種類がかなり違うのも面白さの一つです。
この舌を噛みそうな名前のヌメリスギタケモドキは、川や湿気の多いところのタチヤナギの老木で見つかります。大きさもウチワくらいのときもあり、遠くからでも発見できる愉快を堪能できます。
数時間で収穫した食用になりそうなきのこ。
ヌメリスギタケモドキの右上が長野で常連の「ハナイグチ」で傷みやすいです。
右中央が「ニガクリタケモドキ」
右下が傘に粘性がない「スギタケ」らしいのですが、土の上にでてきているので、「ツチスギタケ」か。ツチスギタケは毒という図鑑が多いのですが、地方によっては食べられたり、売られたりしているようです。
さて、食べるかどうか迷っているところです。
ヌメリスギタケモドキの右上が長野で常連の「ハナイグチ」で傷みやすいです。
右中央が「ニガクリタケモドキ」
右下が傘に粘性がない「スギタケ」らしいのですが、土の上にでてきているので、「ツチスギタケ」か。ツチスギタケは毒という図鑑が多いのですが、地方によっては食べられたり、売られたりしているようです。
さて、食べるかどうか迷っているところです。
2008/09/28のBlog
[ 22:47 ]
[ 食彩・山菜 ]
突然夫婦でキノコ狩りに行くことになりました。
二人で行くときは行く場所が決まっています。
散歩の延長のような平地でのフィールドです。
ねらいはハナイグチでしたが、残念ながらシロヌメリイグチが多く、行くのが早すぎたのかもしれません。シロヌメリイグチは食べられるのですが、味が今ひとつなので今回はパスしました。
二人で行くときは行く場所が決まっています。
散歩の延長のような平地でのフィールドです。
ねらいはハナイグチでしたが、残念ながらシロヌメリイグチが多く、行くのが早すぎたのかもしれません。シロヌメリイグチは食べられるのですが、味が今ひとつなので今回はパスしました。
本格的なキノコ狩りは、朝5時集合でそれこそ道なき道を踏破し、小さな崖をくだり、道や仲間とはぐれたり、まさしく身体を張った真剣な行為でした。
夫婦で行くときは極めてぐーたらで、しばらくぶりの割には、きょうも朝10時ごろ家を出たというテイタラクです。ふつうだったら、キノコ狩り終了時間ですが。
むかしは道沿いにもめざすきのこが出ていたり、量も種類も豊富でしたが、最近は行くたびに量質ともに激減しているのが気になります。
自然と人間とのバランスがますますかたより、人間中心主義になってしまいましたね。
これも一神教のグローバルな影響でしょうか。自然と共生してきた日本の「かつて」の農本的思想はだれが担うのでしょうか。
夫婦で行くときは極めてぐーたらで、しばらくぶりの割には、きょうも朝10時ごろ家を出たというテイタラクです。ふつうだったら、キノコ狩り終了時間ですが。
むかしは道沿いにもめざすきのこが出ていたり、量も種類も豊富でしたが、最近は行くたびに量質ともに激減しているのが気になります。
自然と人間とのバランスがますますかたより、人間中心主義になってしまいましたね。
これも一神教のグローバルな影響でしょうか。自然と共生してきた日本の「かつて」の農本的思想はだれが担うのでしょうか。
2008/09/27のBlog
[ 00:17 ]
[ 生き物 ]
[ 00:02 ]
[ 植物 ]
2008/09/26のBlog
[ 00:11 ]
[ 食彩・山菜 ]
裏山に落ちた栗がきれいに食べられていました。見事と言うほかないくらい上手に食べていきます。時間帯は夜ですね。
ハクビシンかイノシシか山ネズミか、犯人はまだ特定されていません。
夜中にごそごそしている怪しい音は裏山から確かに聞こえるのですが。
ハクビシンかイノシシか山ネズミか、犯人はまだ特定されていません。
夜中にごそごそしている怪しい音は裏山から確かに聞こえるのですが。
口の開いた栗のイガを一日あたりで集めてみたら、52個ありました。
そこから収穫した栗の数は、122個でした。ひとつのイガに約2.3個の栗が入っていることになります。
食害されたイガや口のあいていないイガを数えてみたら、約20個くらいでした。
したがって、3本の栗の木は、一日あたり約72個、1本あたり24個ものイガを落下していることになります。そうすると、栗の総計は一日あたり約166個落下していることになります。
もちろん、虫食いで食べられないものも含みます。
ただし、毎日この数字なのかと言うと、さだかではありません。今が旬の栗です。
そこから収穫した栗の数は、122個でした。ひとつのイガに約2.3個の栗が入っていることになります。
食害されたイガや口のあいていないイガを数えてみたら、約20個くらいでした。
したがって、3本の栗の木は、一日あたり約72個、1本あたり24個ものイガを落下していることになります。そうすると、栗の総計は一日あたり約166個落下していることになります。
もちろん、虫食いで食べられないものも含みます。
ただし、毎日この数字なのかと言うと、さだかではありません。今が旬の栗です。
2008/09/25のBlog
[ 19:30 ]
[ リフォーム ]
[ 19:13 ]
[ 食彩・山菜 ]
[ 01:07 ]
[ 農作業 ]
[ 00:26 ]
[ 生き物 ]
テレビをつけようとしたら、スイッチの所にオオカマキリが座り込みの実力行使!
確かにろくな番組しかなくて、日本人の劣化そのものの反映なのは確かです。最近、さすがにバラエティ路線を修正するというテレビ局の方針を発表していますが、中枢の人間がテレビの社会的公器としてのスピリッツや自覚が欠如しているのは事実です。
オオカマキリさん、そういうテレビやパソコンに依存している「思考停止の生活を改めよ!」という私への警告ですね。「大地を耕すとは、自分を耕すことにつながっているのか」とも。
「読む・書く・行動する」という私の初期の計画は、テレビとパソコンの設置とともに破綻をきたしてしまいました。
武兵衛の弱さを凝視するオオカマキリさん、北方謙二の「水滸伝」の番組はやっぱり見たいようーーー。
確かにろくな番組しかなくて、日本人の劣化そのものの反映なのは確かです。最近、さすがにバラエティ路線を修正するというテレビ局の方針を発表していますが、中枢の人間がテレビの社会的公器としてのスピリッツや自覚が欠如しているのは事実です。
オオカマキリさん、そういうテレビやパソコンに依存している「思考停止の生活を改めよ!」という私への警告ですね。「大地を耕すとは、自分を耕すことにつながっているのか」とも。
「読む・書く・行動する」という私の初期の計画は、テレビとパソコンの設置とともに破綻をきたしてしまいました。
武兵衛の弱さを凝視するオオカマキリさん、北方謙二の「水滸伝」の番組はやっぱり見たいようーーー。
2008/09/24のBlog
[ 00:36 ]
[ 農作業 ]
3本の栗の木からの収穫の一部です。
草にまみれて取り残しがいっぱいありました。
妻は長靴で栗のイガを抑えて栗をとりだしてくれましたが、そういう協力があって栗の木のまわりの草刈に専念できました。
単身の田舎暮しはやはり限界を内包していることを痛感しております。
草にまみれて取り残しがいっぱいありました。
妻は長靴で栗のイガを抑えて栗をとりだしてくれましたが、そういう協力があって栗の木のまわりの草刈に専念できました。
単身の田舎暮しはやはり限界を内包していることを痛感しております。
2008/09/23のBlog
[ 21:40 ]
[ 風景・ひと ]
[ 00:56 ]
[ 農作業 ]
[ 00:46 ]
[ 植物 ]
